ギルドと宿の食堂にて
ギルドの石扉を押し開けると、中はまだ昼の匂いが残っていた。石壁に囲まれた広いロビーは、一仕事終えて帰ってきた冒険者たちの出入りが少しずつ始まっていた。
カウンター奥の事務員が二人の姿に気づき、慣れた手つきで依頼書の束を確認する。
「依頼は『グラース峡谷付近の毒性生物の駆除』……討伐完了でよろしいですか?」
「うん、スキタリドだったよ。成体一体、それから――」
リアはすっと手を上げ、ルゴルに軽く目配せした。
ルゴルは無言で腰の袋から、黒紫に光る脚片のようなものを取り出し、卓上のトレイに置いた。毒針の名残も、殻の亀裂も、鮮明な証拠だ。
事務員は眉を上げると、慌てて別の書類を取り出した。
「スキタリドですか、それは……想定よりもかなり上のランクですね。危険度の再調整が行われますので、報酬も引き上げ対象になります」
「助かる」
リアはほっと息をつき、ルゴルに小さく笑いかけた。
「……なあ、これ分けるよな? 今さらだけど、勝手に手伝わせたわけじゃないし」
ルゴルは一拍置いてから、無造作に言う。
「半分でいい」
「お、言うね。……じゃ、後で飯でも奢るよ。朝から毒液と砂利まみれでお腹も減ったし」
報酬は、銀貨の束と引換券、それに納品した部位の評価としての追加報酬。
二人はそれをカウンター端に寄せて分け合いながら、それぞれの手袋を外し、銀を確認する。
「なぁ、ルゴル」
リアが唐突に声をかける。朝の光が彼女の横顔に落ち、うっすらと泥と血が混じる頬を照らしていた。
「さっきの連携、悪くなかったろ。――つまり、こういうの、またあるかもってこと。あんた……じゃなくて、ルゴル」
その呼び方の変化に、ルゴルは一瞬だけ、眉間をゆるませた。
「……ああ」
言葉少なに、だが確かに応じるその声に、リアはひとつだけ頷いた。
――――
ギルドの扉を出たとき、空はすっかり星の光を抱いていた。
石畳の道を踏みしめながら、リアはひとつ伸びをした。
「ふぅー……腹、減ったな。まだ喉んとこ、毒のにおいが残ってる気がする」
ルゴルは軽く首を回しながら、隣を歩く。
「あの毒は、殻を砕いた瞬間が一番きつい。下手に踏むと染みるしな」
「染みたね、靴の中。あれ、蒸発しきるまでなかなか取れないやつだ」
通りを進むうちに、街の喧騒がゆるやかに混じりはじめる。パン屋から香ばしい匂いが漂い、遠くから子どものはしゃぎ声が聞こえてきた。
「そういえば、お前……宿、どこなんだ?」
「ミルク樽亭。広場の裏手にあるとこだ」
「あれ、私もそこだ」
思わず顔を見合わせ、次の瞬間、リアが肩をすくめた。
「……まぁ、同じギルドで同じ依頼見て、って流れだったもんな。そりゃそうなるか」
「偶然ってやつだ」
ミルク樽亭は冒険者の宿としては手頃で、設備も悪くない。料理も酒も質がよく、何より朝が早いのが利点だった。朝が早いと早く動ける。早く動ければ早く帰れる。こうして思いがけないトラブルがあった日でも、丁度いい時間に夕飯にありつけるわけだ。
街道の空気はまだ冬の気配を引きずっていたが、宿場町の灯りは穏やかで温かかった。
――――
ミルク樽亭一階の食堂は、昼夜を問わず人が集う場所だ。入るとすぐ、煮込み料理の香りと、ほどよいざわめきが出迎えてくれる。二人は黙って扉をくぐり、空いたテーブルを見つけて腰を下ろした。
帳場の女主人が二人に気づいて軽く会釈すると、リアが小さく手を挙げた。
「折角の『偶然ってやつ』だし、食事。一緒にどう?」
「……あぁ」
食堂の奥、窓際の小さなテーブルに二人で腰を下ろす。
しばらくすると、給仕の少年が二人分のシチューを運んできた。小さな鉄鍋に煮込まれたミルクベースのスープからは、きのこや鶏肉、じゃがいものやさしい匂いが立ちのぼる。
「……沁みるな」
リアは匙を持ったままぽつりと言い、すぐに一口運んだ。唇にスープを含んだ瞬間、目を細める。
向かいに座るルゴルは、いつもの無表情のまま黙々と口を動かしている。だが、少しだけ目を細めたその様子に、満足の色がにじんでいた。
「うまい」
短く言って、パンをちぎってシチューに浸す。
麦パンと温野菜、鶏の煮込み。素朴ながら、しっかりと腹を満たす献立だった。
しばらくは、黙々と食べる音だけが続いた。
ちょうどパンをちぎるタイミングで、リアがぽつりと言う。
「それにしても、皆が逃げ帰る中でわざわざ戻ってきて知らない奴の援護をするとか……ルゴル、お前は意外とやるな!」
ルゴルはパンを口に運びながら、目を細める。
「案外ってなんだ。まぁ…………慣れてるが……」
リアは小さく吹き出した。
「はははっ! 悪い。助けてもらって言うことじゃなかったな。ありがとう。お前が来なければ、私は今ごろあいつらの餌だった」
「たぶん、もうちょっと粘れた」
「お、言うね」
にやりと笑い、リアは残りのシチューを掬った。
ルゴルも、静かにそれを見ている。
そして、ふたりの間にまた沈黙が落ちた。だが、それは気まずさのない沈黙だった。
――――
二人はしばらく、言葉少なに食事を続けた。空腹に満たされると、ようやく気が緩む。リアが少し姿勢を崩して椅子の背に身を預けると、ルゴルもそれに倣った。
「今日の大型スキタリドのこと、受付もまだ知らない様子だったな」
寛いだ様子で言うリアに、机を軽く指先で叩きながらルゴルも頷いた。
「あぁ。危険度の再調整が必要になると言っていたな。報酬が引き上げられたのは良かったが。」
「だろうね。あれ、まっとうな装備のパーティーでも厳しいでしょ」
「お前の装備は?」
「……借金して買った、そこそこの普通の鎧だよ。払い終わるのにあと三ヶ月はかかるな」
苦笑いを浮かべて肩をすくめたリアに、ルゴルは少し黙ったあと、静かに言った。
「次に会ったときのために、矢は余分に持っていこう」
気づけば、酒場のざわめきも遠く感じられた。湯気の立つ皿と、わずかに残るパン、そして言葉少なな信頼だけが、二人の間にぽつりと置かれていた。
食後、ルゴルは軽く目を合わせてから「じゃぁな」と席を立った。
「明日は別の依頼を探す。また会えば、その時はよろしく頼む」
「あぁ。私もだ。……そうだな。まだしばらくこの辺りで仕事をするなら、また会うこともあるだろうね。こちらこそ、よろしく頼むよ」
それだけ言って、リアも席を立つ。
二人は一緒に階段を上がるでもなく、別々のタイミングで各々の部屋へと戻っていった。
初対面の人との距離をちゃんと持てるリアと無口なルゴルの夕飯が静かすぎて、隣のテーブルでわいわいしたくなりました。