魔法の習得 前衛であること
一か月が過ぎようとしていた。
春の空気の中に初夏の風が吹き始める頃、リアは日々の訓練に集中していた。町の片隅にある小さな魔法教室──そこに通い始めたのは、ほんの軽い興味と、実用性を求めてのことだった。だが、始めてみると、それは想像よりも遥かに根気と集中力を要する営みだった。
最初の一週間は、魔力制御の難しさに戸惑っていた。
水を溜めるはずのバケツがなぜか逆に空になったり、火の魔法で木片を燃やすつもりが、机の縁を焦がしたこともある。
けれど、リアは決して投げ出さなかった。
決まった時間に教室に現れ、まっすぐに課題に取り組み、終われば軽口を叩きながら水の補給や片付けも忘れなかった。
その真剣さと飄々とした態度の入り混じった姿は、見ているノエルの胸にいつも何かを残していった。
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毎朝、リアは市場での買い物やギルドへの寄り道を済ませると、決まって午前の遅い時間に教室の扉を開けた。セレイナは口数こそ多くはないが、その分だけ観察眼が鋭く、リアのちょっとした手の動きや魔力の揺らぎにも敏感だった。
「今の、悪くはないけれど、焦って魔力を流しすぎてるわね」
「う……はい」
指摘されるたび、リアは口をとがらせたり、眉をひそめたりしたが、それがむしろセレイナには微笑ましく映っていたらしい。ときに、「ふふ」と肩を震わせることもあった。
一方その頃、ルゴルはと言えば、以前のように一人でギルドの依頼を受けていた。単独でこなせるものもあれば、他の冒険者と即席のパーティーを組んで出ることもある。彼は無理にリアに付き合うことも、待つこともせず、自然に日常へ戻っていた。ただ、教室の帰りにばったり顔を合わせたり、夜になって食堂や酒場で一緒になることは、週に数回はあった。
「魔法っていうのはさー、やっぱ地道でさ。覚えた、使えた、ってとこからがスタートラインなんだね」
そんなことをつぶやくリアの顔は、どこか充実した色を帯びていた。
やがてその表情に、少しずつ自信が現れ始めたある日。
教室の窓辺で水を生成する魔法の最後の詠唱を終えたリアの手の中に、小さくきらめく清水が現れた。
「……やった」
ぽつりと呟いたリアを見て、セレイナが微笑んだ。
「いいわね。その集中力と、魔力の流れ……ようやく形になったわ」
その日の午後、最後の授業が終わると、セレイナはゆっくりとリアの正面に立った。
「リア。あなたは最初、まったく理屈に耳を貸そうとしなかった。けれど……続けていくうちに、体で覚えたことと、私の言葉が重なるようになったのでしょう?」
リアは一瞬、言葉に詰まったが、すぐに照れたように笑った。
「はい。ちょっとだけ、先生の言ってた“流れ”が分かった気がします」
そうして頷いたリアの顔は、”魔法を習う生徒”の表情から”冒険者”のそれに、ふっ……と変わった。
「ここで学んだことは大きかった。それは本当です。でも、私は冒険者として、前衛としてやっていきます。その中で水や火の魔法が役に立つから、こうして習いに来て……だから、今回は、ここまでで十分かな」
「そう」セレイナは頷いた。「でも、あなたならもっと高い魔法も扱えるようになる。もし次があれば──そのときは、もっと理屈を楽しめるかもしれないわね」
「ふふ、かもね」
リアの笑顔は、どこか柔らかく、誇らしげだった。
それを少し離れた机で見ていたノエルが、無意識に手を握りしめた。
(自分のしたいことって、なんだろう……)
リアの姿に、自分を重ねるように問いかける。
その様子をちらりと見たセレイナは、ふっと息を吐いて、肩の力を抜いた。
(理屈は時に、直観に敗れる。そしてそれは悪いことじゃない。互いに広げ合えるなら──)
その日、教室の空気はいつになく穏やかだった。
リアは水の浄化と生成、火起こしに使える小さな火の魔法を身につけた。
それだけのはずだったが、彼女の歩く足取りは、どこか誇らしく、軽やかだった。
「じゃ、ルゴル。次はちょっと遠出しようか。せっかく魔法も覚えたし、野営込みの遠征、いいだろう?」
夕暮れのギルド前で、リアは軽くウインクしてみせた。
ルゴルはいつもの調子で、無言のまま頷いた。
──旅が、また始まろうとしていた。
リアには高い魔力があるため、潜在的な魔法の素質はあります。ただ、故郷を焼かれて孤児院で育ったため、魔法の訓練を受けておらず、自分でも使えるとは思っていませんでした。魔法に対しては「自転車に乗れないまま大人になった」ような感覚で、今さら覚えるつもりもありませんでしたが、今回習ってみて「向いている」手ごたえは掴みました。今のところは、これ以上習得に時間を割く気はないようです。剣や斧で殴るのが好きだからでしょうね……。




