花火の石と始末書
昼下がりの茶店は、通りに面した庇の下で賑わいを見せていた。
焼き菓子の甘い匂いが漂う中、風に揺れる影の下で人々が茶を傾けながら語らっている。
リアは椅子に深く腰を下ろし、背もたれに体を預けた。
「はー、落ち着くなあ……いやほんと、歩き回った甲斐があった」
湯気の立つカップを両手で包み込むように持ち上げ、満足げに息をつく。
向かいのルゴルは、茶を口に運びながら店先の通りへ目を向けている。流れる人影を無意識に観察しているようだった。
そんな二人の隣の席から、控えめに声がかかった。
「……休んでいるところすまないが、少し頼みがある」
振り向くと、地味な制服を着た男が、いかにも役所勤めといった硬い姿勢で腰掛けていた。だが顔色は冴えず、額にはうっすら汗がにじんでいる。
「押収した未登録の魔石を……なくしてしまって」
リアはカップを持ったまま、ぱちりと瞬きをした。
「……へえ。で?」
軽く肩をすくめて笑い、ひと口すする。
「まあ、そのくらいなら、世界に激震が走るわけでもないし、怒られておけばいいんじゃないか?」
「世界は揺らがなくても、私の立場が揺らぐんです!」
役人の目が潤み、切羽詰まった様子で机に身を乗り出す。
触れると光や音が出ることから、「子どものおもちゃにどうだ?」と露天商が売っていたのだと言う。
「たかがおもちゃではありますが、押収品を失くしたなんてことが上司の耳に入れば……!」
涙目で縋るように訴える役人の声に、ルゴルがカップを置いた。
顎に手を添えてしばし考え、それから淡々と告げる。
「未登録品なら精度も怪しい。……光や音を出すだけならまだいい。だが、不具合で小さく爆ぜたり、発火したりする可能性はある。子どもが持っていたら……指くらいは飛ぶだろう」
その場の空気が一瞬で変わった。
役人の顔から血の気が引き、肩が小刻みに震える。
リアも笑みを引っ込め、目を細めた。
「……シャレにならないな、それは」
---
昼下がりの市場は、いっそう賑わいを増していた。
石畳の通りを抜け、荷車の影をくぐると、小さな空き地が広がっている。
その真ん中で子どもたちが輪になり、拳大の石を振りかざして駆け回っていた。
「見ろよ! 光った!」
「貸せって! おれにも!」
石の表面が時折きらりと閃き、子どもたちは歓声を上げる。
リアはその光を見て、額に手を当てた。
「あー……間違いなく、あれだな」
笑顔を作りながら、なるべく自然に駆け寄る。
「おーい、それ、ちょっと貸してみろ!」
だが、石を持っていた子はニッと笑うと、わざと地面に放り出して叫んだ。
「やだ!」
そのまま石の上にしゃがみ込み、勝ち誇ったように両手を広げる。
――その瞬間、ルゴルの眉がわずかに動いた。
「離れろ!」
鋭い声と同時に、リアは目の前の三人をまとめて抱え上げ、ルゴルは残りの二人を片腕で引き寄せる。
子どもを抱えたまま石畳を蹴り、空き地の端まで飛び退いた。
直後、放り出された魔石が「ポンッ!」と破裂音を立て、火花を四方に散らす。
細かな光の粒が宙に舞い、石壁に反射してきらきらと散った。
「「「わあああっ!!」」」
子どもたちは一斉に歓声を上げる。
「すげー!」「きれー!」「花火石じゃん!」
小さな手を叩きながら、目を輝かせて跳ね回った。
その無邪気な声を聞きつつ、リアは頭を抱え込む。
「……いやいやいや、花火石じゃないから!」
その後ろでは、ふたりに追いついた役人が呆然とした表情で騒ぎを見つめ、膝から力が抜けそうになっていた。
---
火花の散った空き地で、大人たちはしばし固まっていた。
子どもたちはまだ「すげー!」「もう一回!」と口々に騒いでいたが、辺りには安堵とわずかな緊張が残っていた。
ルゴルは残った破片を拾い上げ、掌に乗せてじっと見つめた。
「……証拠品だ」
静かな声とともに、欠片を役人へ差し出す。
役人は震える手でそれを受け取り、両手で包むように抱え込む。
しばらく言葉を失ったのち、決意を押し出すように口を開いた。
「……たかが玩具だと思っていましたが、認識を改めました。立場が揺らぐとか……そんなことを言ってすみません。きちんと始末書を書いて報告します」
リアは苦笑し、腰に手を当てる。
「おー、いいね。それ、多分いい選択だよ。頑張んな。怒られても死ぬわけじゃないし」
今回は、報酬はまあ……とリアが言いかけてルゴルを見ると、彼は小さく息を吐いた。
「……依頼は“上司にバレる前に探せ”だった。始末書を書くなら依頼は消える。報酬も要らない」
「えっ、いいのか?」
リアが驚いて振り返ると、ルゴルは淡々と肩の荷袋を整えた。
「仕事にならなかったからな」
涙目の役人は深々と頭を下げる。
「……必ず、提出します」
リアは肩をすくめ、子どもたちへ視線を移した。
まだ「花火石じゃん!」「また拾いてぇ!」と笑い合っている。
「……いや、もう拾うなよ!」
ツッコミ混じりの声に、子どもたちが「えー!」と返し、笑いが広がる。
役人も力なく笑みを浮かべ、緊張の糸が切れたように腰を落とした。
午後の陽射しはやわらかく、石壁の影がゆるやかに伸びていった。
「世界は揺らがなくても、私の立場が揺らぐんです!」という規模のミス、当人にとっては大変ですね。