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湖の主と、雷を呼ぶ手

 秋の陽ざしを浴びながら、二人は街道を歩いていた。

 空は澄んで高く、吹き抜ける風はひんやりと頬を撫でる。木々の葉は色づきはじめ、緑のあいだから黄や赤が点々と混じり、時折ひらりと落ち葉が舞い降りる。


「たまには仕事抜きで遠出もいいな」

 リアは鼻歌まじりに言い、肩の斧を軽く担ぎ直した。


「仕事抜き……のつもりなのか?」

 ルゴルは淡々と返し、歩調を変えずに前を見据える。


「そうそう。秋の内にまた商業都市にも行きたいしさ。香辛料もそろそろ尽きる頃だろ?」

「……香辛料か」

 ルゴルは少し考えてから頷いた。

「ついでに弓も見ていくか。特殊効果が付与された矢があれば、それも」


「お、乗り気だな。ルゴルが弓の新調なんて言い出すの珍しいな」

「実用の話だ。魔物次第では役立つ」

 相変わらずの淡々とした口調だが、わずかに調子が柔らいでいる。


 リアは笑いながら両手を頭の後ろで組み、澄みきった空を見上げた。

「ま、魚も香辛料も弓も。いろいろ楽しみってことで!」


 木の実を啄む鳥の群れが、ぱっと羽音を立てて飛び立っていく。

 二人の足取りは軽く、秋の街道を進んでいった。


---


 湖を抱く谷あいの町は、どこかのんびりした空気に包まれていた。

 水面を渡ってきた風が家並みを抜け、軒先に吊るされた魚網を揺らしている。


「ふぅ、着いたな」

 リアは腰に手を当て、大きく伸びをした。

「魚、魚! 湖の幸を食べるぞ〜」


 村に着くなりそのまま食堂に入ると、卓についたリアは元気よく声を上げる。

「おばちゃーん! 湖魚の煮込み、二人前!」


 厨房から顔を出した店の女将が、申し訳なさそうに首を振った。

「悪いねぇ、湖魚は切らしててね。今は出せないんだよ」


「えっ」

 リアは固まったまま、思わずルゴルを見やる。


「漁ができていないのか?」

 ルゴルが問いかけると、女将はため息をつきながら頷いた。

「どうもね、魔物が出てるらしくて。舟や網が壊されるもんだから、誰も湖に出たがらないんだよ」


 食堂の奥の卓でも、客たちが同じような話をしていた。

「俺の弟の舟も壊されたんだと」「漁に出りゃ稼げるのに、これじゃ腹が減るだけだ」


 リアは斧の柄を軽く叩き、笑った。

「なるほど。これはもう、私たちの出番かな」


「ギルドに寄ってみるか」

 ルゴルは立ち上がり、食堂の戸口へ向かう。


 町の小さな冒険者ギルドは、昼下がりで人もまばらだった。受付に立つ若い職員に声をかけると、ちょうど依頼が入ったばかりだという。


「湖の漁を妨げている魔物の討伐依頼です。危険度は中程度、報酬は、こちらです」

 そう言い、職員は書面の報酬部分を指で示した。


「結局、仕事か〜」

 リアは肩をすくめて笑う。

「ま、収入にもなるし、魚も手に入ってお得ってことで」


「そうだな。報酬も悪くない」

 ルゴルは淡々と答え、依頼書を受け取った。


 こうして、二人は湖の魔物討伐を請け負うことになった。


---


 ギルドを出た二人は、湖畔の桟橋で漁師たちから詳しい話を聞いた。

 秋の陽ざしを反射した水面はきらめきながら波立ち、桟橋に繋がれた舟の影を揺らしている。


 古びた舟は片側が大きく抉られ、網は無惨に裂けて使い物にならなくなっていた。


「湖の真ん中で、いきなり下から突き上げられたんだ」

「牙だか鱗だか分からんが、とにかく硬ぇ。網なんざ紙みてえに破れる」


 男たちは口々にそう語り、肩をすくめる。


 リアは桟橋の杭に腰を下ろし、ふうと息を吐いた。

「なるほどな。突進してくる系か。このあいだの山といい、最近そういうの多くない?」


「水辺となれば動きが制限されるな」

 ルゴルは舟の破損を指先でなぞりながら、確かめるように言う。

「潜水用の魔石は持ってきている」


「さすが用意がいいねぇ。お前のそのポーチ、なんでも出てくるな」

「……なんでもは出てこない。水辺に行く予定だったからだ」


 そんなやり取りをしていたところに、元気な声が割り込んだ。


「先輩方! 俺も手伝わせてください!」


 振り返ると、浅黒い肌の若者が駆けてきた。

 背丈は伸びているが、顔立ちにはまだ少年らしさが残っている。


「俺は、漁師のガルスの息子、トーレンっス!」

 勢いよく胸を張る。


「ガルス……誰?」

 リアが首をひねると、隣でルゴルが簡潔に口を開いた。

「ああ、さっき話を聞かせてもらった漁師の一人だ」


「そうっス! 覚えててもらえて嬉しいっス!」

 トーレンはにかっと笑い、さらに身を乗り出す。

「俺、こう見えて魔術の先生に師事してたんス! 後衛になりたくて……衝撃と電撃と回復、ぜんぶ使えるんスよ!」


「……なんか、魔法はノースと同じ属性なのにキャラが全然違うな」

 リアが苦笑すると、トーレンの目がぱっと輝いた。


「ノース先輩も知ってるんスか!? マジっスか! 俺もいつか追いついてみせますから!」

「へえ、ノースを知ってるの?」

「はい! 同じ先生に師事したんス。こんなところでノース先輩の名前を聞けて嬉しいっス!」


 ノースの名前を聞いて嬉しそうに笑うトーレンの勢いに押され、リアは肩をすくめて笑うしかなかった。

「ま、元気なのはいいことだ。で、ほんとにやれるのか?」


「はい! 攻撃でも回復でも、役に立ってみせますっ!」

 真剣な眼差しでそう答えるトーレンに、ルゴルは視線を落とし、わずかに目を細める。


「……無謀はするな」


 その静かな一言を合図に、三人は湖へ向かうことになった。


---


 湖畔に立つと、水面は鏡のように静まり返っていた。

 朝の光を受けて深い青がゆらめき、風がそよぐたびに細かなさざ波が走る。

 遠くで水鳥が羽を打ち、輪のような波紋が幾重にも広がっては消えていった。


「……見た目はきれいなんだけどな」

 リアが腰に手を当て、湖を眺めながら言う。

「これで魔物が潜んでるなんて信じられない静けさだな」


 ルゴルは湖岸に膝をつき、濡れた石を拾い上げて重みを確かめる。

「舟を突き上げられたという話と一致する。重さのある突進系だ」


「突進の秋だね~」

 リアは斧を肩に担ぎ直し、軽口を叩きながらも目を細めて湖面を観察する。


「俺の出番っスね!」

 トーレンが張り切った声を上げ、胸をどんと叩いた。

「攻撃でも回復でも、任せてください!」


 リアは横目でちらりと見て、口をもごもごさせる。

「……まぁ……活躍できるといいね?」


「できますって! 電撃で動きを止めて、衝撃で叩きのめす! それで万一傷を負っても、回復できる!」

 早口でまくし立てるトーレンに、ルゴルは視線を湖に戻したまま短く告げる。

「……回復は確かに助かる」


 その一言だけでも、トーレンは顔をぱっと輝かせる。


 静まり返った水面の下には、底に沈む気配がひとつ。

 まだ姿は見せないが、確かに何かが潜んでいた。


---


 湖面の下で、何かが大きくうねった。

 水がわずかに盛り上がり、次の瞬間、黒い影が飛び出す。

 裂けるような音とともに顎が水を割り、白い飛沫が陽光を弾いた。


「来た!」

 リアが叫び、斧を振り上げる。

 弧を描く尾に刃がぶつかり、衝撃が腕にずしりと響いた。

 尾が跳ね上げた水しぶきに足場ごとのまれ、リアは頭を振って顔をぬぐう。


 ルゴルの矢が走り、硬い鱗に弾かれて水面へ落ちる。

 矢じりがかすめただけで、深くは通らなかった。


「硬いな……!」

 リアが低く呟くと、トーレンが駆け寄り、勢いよく手をかざした。

「俺の出番っスね! 電撃なら――!」


 だが、リアが素早く止める。

「待て! 強く打ったら、湖の魚ごと全部やられる!」


「え……じゃ、じゃあ衝撃波なら!」

 トーレンが慌てて言い直す。


「水を強く揺らせば、名産の魚が岸に打ち上げられる」

 ルゴルが短く告げた。


「……っ」

 トーレンは息を呑み、何も言えないまま手を下ろす。


 湖面から再び黒影が跳ねた。

 リアは体をひねり、斧で衝撃を受け流す。

 ルゴルは動線を読むように矢を構え、影の浮上に合わせて射った。

 矢は鱗の隙間をかすめ、巨体が短く怯んで水中に沈む。


 荒れた波が岸を打ち、小魚がきらりと跳ね上がった。

 その光景に、トーレンは拳を握りしめる。

「……やっぱり、俺は役に立てないんスかね……」


 リアは笑みをこぼし、肩をすくめた。

「まあまあ、今回は相手が悪いって」


「そうだな。場所が悪い」

 ルゴルが矢を番えたまま視線を湖へ据える。

「だから――場所を変えればいい」


 不意に告げられた言葉に、トーレンは顔を上げた。

 リアも、「おっ」と言う顔で目を細めて横を見る。


「……場所を変える?」


 トーレンの問いに、ルゴルは小さく頷き、次の矢に狙いを定めた。


---


 湖面に浮かぶ波紋を目で追いながら、ルゴルが短く問うた。

「……衝撃波。どのくらいの威力を出せる」


 突然問われ、トーレンは一瞬きょとんとしたが、すぐに真剣な顔になる。

「えっと……前に防風林で練習した時、木を十本まとめて倒しちゃって怒られたんス。それ以来やってないんスけど……今なら二十本はいけると思うっス!」


 ルゴルは小さく頷いた。

「十分だ」


「え、十分……?」

 トーレンが目を丸くした瞬間、湖面が大きく盛り上がった。


「来るぞ!」

 リアが叫び、巨体が水を割って跳ね上がる。


 ルゴルの矢が飛び、魔物の進路をわずかに逸らす。狙いは湖の幅が狭まった一角だった。


 巨体が水面を割り、再び跳ね上がったその時――。


「今だ、衝撃!」


「は、はいっ!!」

 ルゴルの指示を受け、トーレンが両手を突き出す。

 轟音とともに突風が湖畔を駆け抜け、草地が波打つ。

 圧縮された空気の塊に弾き飛ばされた巨体は宙を舞い、地響きを立てて陸に叩きつけられた。


 水煙の中でもがく魔物に、さらに衝撃波が重ねられる。

 巨体は湖岸を滑るように転がされ、湖から完全に引き離された。


「トーレン、電撃だ!」

「了解っス!」


 少年の掌から稲光がほとばしる。雷鳴のような音が短く響き、水煙を裂いて火花が散った。水気を帯びた鱗が火花を散らし、魔物は痙攣するようにのたうつ。


 その瞬間を逃さず、リアが斧を構えて突っ込む。

「これで……っ!」


 全身の力を込めて振り下ろされた刃が厚い鱗を割り、確かな手応えを残す。

 巨体が大きく震え、やがて崩れ落ちた。


 湖畔に、重たい静寂が戻る。

 飛び散った水滴が草に滴り落ちる音だけが、静かに響いていた。


---


 押しつぶされた草の匂いの中、巨体はもうびくりとも動かない。

 リアは斧を引き抜き、肩で息をしながら振り返った。

「……よし、仕留めたな」


 ルゴルは矢を抜き取り、傷口を確かめてから静かに言った。

「動かない。確実に死んでいる」


 その言葉に、トーレンが大きく息を吐き出した。

「はぁ……はぁ……や、やったっスね!」

 額に浮かんだ汗をぬぐいながらも、瞳は達成感に輝いていた。


 リアは歩み寄り、にやりと笑う。

「立派な働きだったよ。おかげで斧もちゃんと入った」


「本当に……俺、役に立てたんスか?」

 恐る恐る問う声に、ルゴルが短く頷く。

「ああ。状況を選べば、お前の力は十分に活きる」


 その一言に、トーレンの表情がぱっと明るくなる。

「俺、もっと強くなって……いつか先輩たちと肩を並べたいっス!」


 熱のこもった言葉に、リアは肩をすくめて笑った。

「頼もしいねぇ。けどさ、焦って燃え尽きるなよ。長く続けてこそ一人前だ」


 三人は魔物の体を調べ、剛鱗や牙を素材として回収した。

 やがて駆けつけた漁師たちの中には、トーレンの父ガルスの姿もあった。


「俺は無理言って付いてきただけッスから! 報酬なしで……」

 言いかけたトーレンに、漁師たちは笑い声を返した。

「何言ってんだ、立派に働いたじゃねぇか」

「お前がいなきゃ引き上げられなかったんだ。ちゃんと受け取れ」


 差し出された袋に、トーレンは一瞬目を丸くしたが、やがて笑顔で受け取った。


 夕方の湖畔を後にし、街道へと足を向ける。

 リアが背伸びをして、大きく息を吐いた。


「いやぁ、結局仕事になっちゃったけど……魚はやっぱ食べたかったな」

 そう言って荷を背負い直し、僅かに名残惜しそうに湖を振り返る。


「また来ればいい」

 ルゴルが淡々と告げると、リアは少し意外そうな顔をし、笑いながら空を見上げた。

「決まりだな。秋のうちにもう一度来よう」


 西の空に夕日が沈み、水面で光を散らしながら湖面を茜色に染めていく。

 その光を背に受けながら、二人は軽い足取りで町へ続く道を進んでいった。

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