初秋の遠征と重くなる足
昼下がりのギルドは、出入りする冒険者たちの声でほどよく賑やかだった。 窓から差し込む初秋の陽ざしが床板を照らし、木の匂いと、乾いた革や鉄の気配がほんのり混じり合っている。
カウンターの向こうで依頼書を手にしたヤルクが、カウンター越しに二人へ顔を寄せる。
「――突進する、黒っぽい大型の生物だとよ」
書状を覗き込みながら、リアが首をひねった。
「土をかいて突進する……それ、土熊じゃないのか? それかブレドー」
しかし、ヤルクは頑丈な腕を組みながら首を振った。
「それがどうも違うみたいだ。ブレドーなら張り出した角ですぐ分かるはずだし、土熊はそこまでデカくならねぇ」
横で聞いていたルゴルが、依頼書に目を通しつつ口を挟む。
「それに、ブレドーならもっと乾燥した岩場や草原を好むだろう」
「……それはそうだな」
リアも納得したようにうなずく。
ヤルクは額に手を当て、しばし考え込むように唸る。
「あの辺りは人里から遠いし、あまり調査の手も入ってない。何が出るか分からん。くれぐれも用心しろ。いいな?」
「へーいへーい、分かってます」
いつもの説教じみた口調に、リアは片手をひらひらと振って笑った。
「ま、用心はするよ。どんなお土産になるのか、期待しといて」
そう軽口を返しながら背を向けるリアの後ろで、ルゴルが小さく一礼する。
「準備は多めにしていく」
二人はギルドを後にし、陽が高くなり始めた町へと歩み出した。
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翌日。
ふたりは山へと分け入っていた。
陽射しはまだ強いものの、森の空気はひんやりしている。谷を渡る冷たい風が木々の間を抜けるたび、頭上で葉が揺れ、微かなざわめきが降ってきた。緑の葉のあいだから、ところどころ黄色や赤が覗き、季節がひとつ先へ進んでいることを告げている。
踏みしめる土はやわらかく、靴底に湿り気が残る。落ちた木の実を齧るリスのかすかな音がし、秋の虫の声はすっかり主役の座を担っていた。
「思ったより秋だな」
リアが息を吐き、肩に担いだ斧の位置を直す。
「ああ。夜はさらに冷えるだろう」
ルゴルは振り返りもせず答え、歩調を崩さない。
そんなやり取りの最中、前方の木立の奥で枝がはじけるような音がした。地面に伝わる振動と共に、小さな鳴き声が重なってくる。
「……あれは」
木々の間から、ウサギによく似た姿が動いているのが見えた。丸みを帯びた体に、盛り上がった後肢。土を蹴り、根か何かを掘っている。
「スカリオだな」
リアは斧の柄を握り直し、手首を軽くひねって重さを確かめた。
「どうする? 狩ってく?」
口調は軽いが、目はすでに獲物に定まっている。
「当然だ」
ルゴルは短く答え、矢を一本取り出して弓にかけた。
ふたりの視線の先で、ひとつの影が跳ねた――と思う間もなく、周囲の茂みから次々と姿が現れる。五匹、六匹。みな耳を伏せ、強靭な後ろ脚を地に沈めていた。
「五、六匹ってとこか」
リアが斧を構え、身を低くした次の瞬間、森の空気が弾ける。
スカリオたちが次々に跳ね上がると、どすん、と地を叩く衝撃で木々の枝がざわつく。
落ち葉が舞うなか、ひとつが斜め上からリアの頭を狙って降ってきた。
「っと!」
斧を振り上げて受け止めると、思った以上の重みに腕がしびれる。見かけによらず、詰まった筋肉の塊だ。
別の一匹が脇から突っ込んできた。リアは体をひねってかわし、逆に斧の刃を振り下ろす。重い音が響き、血が落ち葉に跳ねた。
その間にも、三匹が木の幹を蹴って縦横に跳ね回り、死角からルゴルを狙う。
ルゴルは矢を素早くつがえ、一匹の着地を狙い撃つ。矢が脚に突き刺さり、スカリオは悲鳴を上げて転がった。
「やっぱり速いな……!」
リアが息を吐きながら言う。
「跳ねる相手は、着地を狙うのが定石だ」
ルゴルは淡々と告げ、次の矢を構えた。
斜め後ろから迫る影に気づき、リアは斧を横薙ぎに振る。がつん、と衝撃音が鳴り、スカリオが弾き飛ばされた。
その隙にルゴルの矢が次々と放たれ、動きの鈍った個体が次々と地に伏していく。
最後に残った一匹が高く跳ね、逃げようとした。
「逃がすか!」
リアが走り込み、着地に合わせて斧を振り下ろす。重々しい手応えとともに、跳ね足が地に沈んだ。
――森に、再び静けさが戻る。
リアは斧を肩に担ぎ直し、「ふう……遠征の初戦にしちゃ、いい汗かいたね」と笑った。
ルゴルは最後の矢を抜き取り、頷く。
「脚の状態は悪くない」
一体のスカリオの近くにしゃがんで脚を確認したリアは、その重さに笑みを浮かべる。
「だな。こいつら、夏に弱らなかったのかな? いいもん食べてそうだな」
ふたりは血抜きを済ませ、後ろ脚を解体して包む。森の匂いに、秋の鳥や虫の声が重なって響いていた。
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陽が傾き始めるころ、ふたりは小高い場所に腰を落ち着けた。
木々の間から西の空がのぞき、橙色の雲が重なっている。足元では丈の低い草が揺れ、群れになった小さな白い花がまだ咲き残っていた。
「ここなら強い風は抜けないようだし、いいんじゃない?」
リアは荷を下ろし、テントを広げながら伸びをする。
「ほら、見てみろよ。倒木も少ないし、風が気持ちいい」
ルゴルは周囲を一巡り見回し、落ちていた枝を拾い集める。
「風があるなら、火は早めに熾した方がいいな」
「仕事人間め」
リアは笑いながら石を並べ、焚き火の場所をつくる。枝が折れる乾いた音に混じって、虫の声が重なってきた。ひとつ鳴くと、まるで応えるように別の方向からも声が返る。
火を熾しながら、ルゴルがぽつりとつぶやいた。
「突進系かもな」
「出たな、“突進系”」
リアはにやりと笑い、斧の柄をとんとんと叩く。
「また正面からドーンって来るやつ?」
「大体そうだろう」
ルゴルの淡々とした返事に、リアは楽しそうに肩をすくめた。
「ま、突っ込んでくるなら私の得意分野だし」
ルゴルは小さく息を吐き、火に枝を足した。ぱちぱちと音を立てて炎が揺れる。
やがて簡単な食事を済ませると、風が冷たさを増してきた。夜の山は暗さが濃く、空には早くも星が散りはじめている。
「秋の夜はいいなぁ」
毛布を肩にかけたリアが、火を見ながら言う。
「夏みたいに汗臭くならないし、冬みたいに鼻が落ちそうな冷たさもないし」
「寝過ごすと体が固まるぞ」
「それ言うなよ。楽しい気分が一瞬で現実に戻る」
ルゴルのそっけない言葉に、リアは笑いながら毛布をきゅっと引き寄せる。
「でもまあ、お前が起きてたら安心か」
ルゴルはしばらく何も言わず炎を見ていたが、枝を火にくべると
「お前が起きていても安心だが?」と小さく笑った。
リアは笑って何かを小さくつぶやいたが、ひとつ大きく息をつくと、それきり寝息だけが残った。
火のはぜる音と、虫の声が重なって、夜が少しずつ深まっていった。
夜間の気温が落ち着いてくると、野営しやすくなりますね。