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高地の遺跡と騒がしい声(2)

 倒れ伏した巨体から、まだ熱が伝わってくる。カルドが大きく肩を上下させながら、先に倒した一頭に近づき、腰の短剣を引き抜いた。


「でかい牙だな……こいつは高く売れるぞ」

 勢いよく突き立てようとしたところで、ルゴルが手を伸ばして制した。

「乱暴に抜けば割れる。骨ごと崩す気か」

「へいへい、細けぇな」

 ぶつぶつ言いながらも、カルドは力加減を改める。


 ノースは少し離れ、倒れた獣の姿を見つめていた。短く祈るように目を伏せ、それから爪の根元を探って切り取る。


 作業を終える頃、少し離れた場所で戦っていたパーティーも二頭目のヘルバスを処理していた。互いに疲労の色を隠せないまま、それでも無事を確かめ合う視線が交わる。

「こっちは、とどめを刺しただけだ。ほとんど削っていたのはそっちだろう」

 ルゴルが声をかけると、向こうの前衛が片手を振った。

「いや、助けてもらったのはこっちだ。牙と爪、少し持っていけ。均等に分けといた」


 差し出された袋にカルドが一瞬目を見開き、それから笑って受け取った。

「ありがてぇな。次は酒の席で返すよ」

「楽しみにしてる」

 短いやり取りの中、戦場の緊張が少しずつ解けていった。


 収拾した素材をしまい、荷をまとめた三人は山道を下り始めた。あたりは夕暮れに染まり、石と草の匂いを含んだ風が頬を撫でる。疲労は重いが、足取りは軽い。

 遠く町の屋根が見え始めると、カルドが息を吐いて笑った。

「飯と酒だな。今日はうまいぞ」

 その言葉にノースも微笑み、ルゴルは黙って歩を速める。


 こうして三人は宿へと帰り、夜の卓を迎えることとなった。


---


 宿の食堂には、香ばしい肉と香草の匂いが立ちこめていた。夜の帳が降り、木の卓に置かれたランプの灯りが、揺れる影を壁に映している。

 カルドとノース、ルゴルは並んで腰を下ろし、湯気を上げる料理を前に杯を掲げた。


「なぁ、つがいだったってことは、子どもが生まれてもおかしくなかったんだよな」

 カルドが肉を噛みちぎりながら言う。

「子どもって……普通のサイズに戻るのか? それとも親並みにデカくなるのか?」


「魔物が通常の生物より大きくて狂暴なのは、魔素の影響だと言われています」

 ノースが慎重に答える。

「実際、魔素を多く取り込んだ個体ほど、その傾向は強くなりますね。おそらく、今回の個体もそうでしょう」


「いきなり親と同じサイズで生まれる可能性は低いだろうが……わずかな影響はあるかもしれん」

 ルゴルが淡々と口にする。「それを世代ごとに繰り返せば……」


「おいおい、その理屈でいくと、魔物ってこれからもっとデカくなり続けるってことか?」

 カルドが目を見開き、大げさに肩をすくめる。


「どうだろうな」

 ルゴルは落ち着いた声で返した。


「魔物も生き物ですから……どこかで限界は来るはずです」

 ノースは真面目に言葉を続ける。

「動きにくくなったり、エサが足りなくなったり、骨格が耐えられなくなったりするのではないでしょうか」


「……そうであることを願うよ」

 カルドがひと息つき、杯を掲げた。


 二人はそれに応じ、杯を軽く打ち合わせた。


---


 酒が進むにつれ、話は仕事から徐々に離れ、気がつけばノースの惚気話へと変わっていた。

 ことりと柔らかく杯を置いたノースは、少し照れたように頬をかいた。

「……レネアが隣にいてくれるだけで、十分幸せなんです」


 その一言に、カルドが「聞いてねぇ!」と大げさに嘆いて肩を落とす。わざとらしい仕草に周囲が笑い、ルゴルも小さく息を吐いて杯を傾けた。

 からかわれても崩れないノースの真面目ぶりは、酒場の喧噪の中で少し浮いて見える。それでも彼の言葉には迷いがなく、照れ笑いを含んだ表情は、穏やかな確信に満ちていた。


 そのあとは、冒険の話に移った。

 魔物に追われて泥まみれで帰った日のこと、依頼人に抱きつかれて困惑した仕事のこと。話すたびに卓の上に笑い声が重なり、杯が進むほどに声も大きくなる。

 酒場の熱気は夜に向かって膨らんでいき、ランプの光が揺れて、壁の影が少しずつ滲んでいった。


 やがてノースは、頬を少し赤らめ、穏やかな笑みを残して席を立った。

「……少し休んでまいります。おふたりは、どうぞ続けてください」

 丁寧に頭を下げ、静かな足取りで奥へと姿を消す。その背を見送りながら、カルドがぽつりと「律儀だなぁ」と呟くと、残った二人の間にわずかな静けさが落ちた。


 喧噪に包まれた酒場の中で、卓の周りだけ少し温度が変わったように感じられる。


 カルドは杯を揺らし、にやりと笑みを浮かべた。

「で? お前も誰かいるんだろ?」


 ルゴルは杯を軽く回し、酒の表面に波紋が広がるのを眺めてから口をつけた。ほんのわずかな沈黙の後、ぽつりと答える。

「……まぁ、いると言えば、いるな」


 思いがけない返事に、カルドは「お?」と目を丸くし、それから楽しげに身を乗り出す。

「へぇ、いいじゃねぇか」


 酒をあおり、ほんの一拍ためらってから──

「それって、あー……その、なんだ。まぁ」


 ルゴルが淡々と口をはさむ。

「お前も知ってる相手だ」


 カルドは目を見開き、杯を持つ手を止めた。

「……まじかよ……えっ、言うの? ここで?」


「聞いたのはお前だ」

 ルゴルは静かに応じる。


 短いやり取りの後、カルドは驚きと興奮を入り混ぜた顔でしばらく固まっていたが、やがて表情を和らげ、笑みをこぼした。

「……あー、いいんじゃねぇの? うん。それはいい“誰かいる”だな」


 ふたりは声を立てずに笑い合い、同時に杯を掲げた。

 澄んだ音が鳴り、酒場のざわめきに溶けていった。


---


 翌朝、一行を乗せた馬車が山道を抜けると、町の屋根が陽ざしにきらめいて見えた。

 馬車を降りて町に入ると、石畳が慣れた感触を足裏に伝える。

 通りには、人々のざわめきと荷車の軋む音、子どもの笑い声が重なっており、遠征帰りの三人の足取りを軽くした。


 ギルドの扉を押すと、ひんやりした空気と紙やインクの匂いが迎えた。

 カウンターで職員に声をかけると、報告と手続きが手際よく進められていく。

 木製の机に並べられた書類にサインをし、討伐の証を渡すあいだ、カルドは軽口を叩き、ノースは小さく相槌を打つ。

 ルゴルは椅子に腰を下ろし、書類のやりとりを静かに見守っていた。


 ひと段落ついた頃、扉の方から聞き慣れた声がした。

 振り返ると、リアとレネアが並んで入ってくる。ふたりとも軽装で、昼食帰りらしい和やかな空気をまとっていた。


「昨日の報告は済ませてあるから、今日は寄り道みたいなものだな」

 リアが笑いながら言い、レネアも軽く手を振る。


 合流の挨拶を交わすと、ノースとレネアは「では、失礼します」「またね」と並んでギルドを出て行った。

 残ったリア、ルゴル、カルドの三人は、「帰る前に見ていこうか」と掲示板に張り出された依頼に目を通していく。


 その時、奥の方から聞き慣れた大きな声が響いた。

「おう、お前ら!無事に帰ってきたか!」


 姿を現したのは、ギルド職員のヤルクだった。

 がっしりとした体つきに笑みを浮かべ、まるで親戚の子を迎えるような温かさで近づいてくる。世間話を交わし、近況を一通り聞き終えると、ヤルクは「じゃあな」と言ってまた仕事へと戻っていった。


 カルドと短い挨拶を交わしてギルドを出ると、陽射しはさらに強さを増していた。


 石畳の上を歩きながら、リアがふと振り返る。

「折角だし、このまま飲みに行く?」

「……昼だぞ。それに、飯を食ったばかりだろう」

 ルゴルが呆れたように返すと、リアは「いいね、ルゴルって感じがする」と肩をすくめて笑った。


「まあまあ、いいじゃないか!」

 リアはルゴルの肩をポンと叩くと、酒場の方へ軽やかに歩き出した。


 結局、リアの笑顔と勢いに押され、ルゴルもため息をつきつつ歩を進める。

 二人の影は、午後の光に溶けるようにして賑やかな酒場の方角へ伸びていった。


カルドは「いると言えば、いるな」で関係を察するので言いやすいのだろうなと思います。これがノースだったら、「お二人は付き合っていたんですね!?」になるので、心を開くかどうかとは別に、言えないだろうなと思います。それがノースの真っすぐさであり、いいところでもあり、ルゴルもそれをよく知っています。そして、カルドが軽いようでいて口は軽くないことも、ルゴルは知っています。

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