6話
その日の朝は気持ちよく目が覚めた。いつも以上に暖かく寝心地のいいベット。そこで目を開けた少年は直ぐに布団を被り直し2度目を決め込む、はずだった。
しかし部屋の外が妙に騒がしい。
外の声が中にまでしっかり聞こえてくる。
「だ〜か〜ら〜、入って起こさないと絶対に起きないんだって!!」
「貴方様であってもドアを開けることは許されません。」
「理由を聞いてるの、理由を!!」
「お教えする義務はございません。」
片方は聞き慣れた声でかなり苛立っているようだ。
「あ〜もう!!」
不穏な言葉の直後バン!!という音と共に誰かが入って来る音が聞こえる。
「ディーン!!起きなさい。」
言葉に対して布団を頭まで被って全面抵抗の構えをとる。
しかし、ベットに敷いてあった敷布団ごとひっくり返された。
ベットの下に落ち敷布団の下敷きになる。
苦しそうに布団から這い出すと当然のようにフィーアが少年を見下ろしていた。
「何だよ朝っぱらから騒々しい。」
「おはよう。今日は王様への謁見があるんでしょう。ほらさっさと着替えてご飯食べに行く。」
「そんないい服持ってねえよ。」
「普段着でいいから。ほら早く。」
そう言うとフィーアは躊躇うことなく少年の寝間着を剥ぎ取り服を着せる。
更にどこから取り出したのか大量の水を少年の頭からぶっかける。
「うわ!!何しやがる!!」
「起きたでしょ。もう謁見まで一時間しか無い。」
そう言って強引に少年の手を引き歩いていく少女。その顔は笑ってこそいないが昨日のことを忘れさせるほど嬉しそうだった。
その後は昨日と同じ様に食堂でディーンの叫び声がこだまする。
そうしているうちに自然と孤児院に居た時のような感覚になり笑顔になっていた。
しかし直ぐに思い出す、彼らの孤児院のあったエルドナはもうすでに存在しないということを。
そして昨日の「みんな」という言葉でフィーアがそのことを知らないであろうということも予想がついていた。
エルドナの誰も守れなかった自分は彼女にどう伝えればいいのか。そんな疑問ばかりが頭に浮かんでくる。
「ディーンどうしたの?」
勘の鋭いフィーアは彼の一瞬の表情の変化も見逃さなかった。
「いや、誰かさんに叩き起こされたせいで寝不足なだけだ。」
「あ〜、まそんな事言う。今日はディーンにとっても大事な日なんだからね。」
ディーンが上手くかわせたのかフィーアも彼の心情には気付いていなさそうである。
「王様に会うだけなのにそんなに大事か?向こうから呼び出したんだぞ。」
逆にディーンもフィーアの「大事な日」に反応する。
「あれ?まだ聞いてないの?まあ、でもすぐわかるよ。」
すぐに分かるらしい、がそんなことを言われると余計に知りたくなる。
「何だよ。教えてくれよ。」
「もう少しで時間だから行きなよ。」
はぐらかされた。すぐわかるらしいからいいか。
そうして彼は呼ばれた通りに謁見のため広間に向かった。
扉の前に立つ少年の顔は先程とは打って変わって戦場に赴く戦士のような引き締まった表情になっていた。
近衛兵によってゆっくりと扉が開けられる。
少年はゆっくりと歩き始める。
扉をくぐると豪勢な広間が待ち構えていた。
そして、その奥、階段の上の玉座に腰掛ける国王。王はかなり若く見える。エルナードと同じくらいか、あっても一つか二つしか上でないだろう。
更に彼のそばは近衛兵が堅める。王の隣に佇む男が近衛師団長だろう。スラリとした長身で鋭い目つきをしている。
花道の両脇には将校や貴族であろう者たちが少年の方を向いている。
ディーンが花道の真ん中辺りで立ち止まると国王が口を開いた。
「そなたはなぜ私がこの場にそなたを呼んだと思う?」
厳かな言葉。若さとは正反対の落ち着きにディーンが挑発気味に返す。
「さあな。神を退けたことか、命令違反か、まあ呼び出されても可笑しくないことはいくらでもやってきたな。」
軍の奴らを罠に掛けるなんかもしてきたしな。と心のなかで付け加える少年。
周りを見渡せば少年の無礼な発言に広間全体が静まり返っていた。
「貴様!!王の御前だぞ、言葉を慎め!!」
突然王の隣の男が叫んだ。
当たり前の反応。
しかし彼はなぜか国王によって止められた。
「君を呼び出した理由はどちらでもないしきっと君が全く想像していないことだよ。
突然砕けた口調になった国王。
それに対し少年がまた無礼に問いかける。
「じゃあ何だよ。金でもくれるのかい?」
「それも違う。答えは、君には戸籍がなかったからさ。」
「は?」
意味のわからない回答。それに思わず声を上げる。
「もう一度いうが君には戸籍がなかった。それに、出生届けも無いときた。そして突然エルドナの孤児院に現れた。だから聞かせてほしい君は何者だい?ディーンというのは本当に君の名前かい?」
少年が固まる。
そこに浮かんだのは迷いの表情。
そして彼は観念したようにため息をつき話し始めた。
「確かに俺の本名はディーンじゃねえよ。俺の名前は、ディネイバァ。性は無い、が母親からはネイブと名乗るように言われた。」
少年の答え。ネイブとは彼の産まれた月の名前。それを名に入れるというのがどういう意味なのか、性にその月の名前を名乗るのがどういうことかわからないものはいない。
それは、英雄の末裔、すなわち王族であるということ。
ざわつく広間、そこに一つの怒鳴り超えが響いた。
「ふざけるのも大概にしろよ!!それがどういう意味なのか理解しているのか!!!?」
「理解してるから今まで言わなかったんだよ。」
苛立ちを隠さずに返す少年。
そんな2人を落ち着かせるように国王が問いかけた。
「君の母の名はアイリス・フォル・ルーミリア。違うかい?」
「母の名はアイリスだったが性に関しては教えてもらえなかった。」
少年が少し悲しげに返す。
「その方は私の母で17年前に行方不明になったお方だ。その腹に二人目の王子を持って。」
分かっていた。自分が王族なら周りからの異常な優しさにも納得がいく。それだけでなく母が唯一度泣いていた日、あの日は先代の国王の没日だ。
父が死んだというのに葬式すらなかったが国王というのなら納得がいく。
考え込む少年に更に告げる。
「今回はそのことについてだが。身体検査さいに採取したDNAマップからDNA鑑定を行わせた。その結果は知りたいかい?」
ニコニコという擬音語が似合いそうな笑顔で、国王は無邪気に尋ねてくる。
「別にどうでもいいんだが。」
「そうか、知りたいか!!」
まるでこの返答を待っていたかのように、満面の笑み。
少年は頭を抱えそうになるのを必死にこらえた。
「当然、君と私のDNAは見事に一致した。私たちは兄弟だ。」
「……で、今回呼び出した理由はそれだけか?」
頭痛がしてくるような気がしながら、少年が問い返す。
「ああ、半分はそうだな。今日は貴族や軍部の者たちへの公開の場でもある。そしてもう一つ――君に頼みごとがあってね。」
少年の眉がわずかに動いた。
「来週の今日、国民向けに演説をしてくれないか? 君の“お披露目”だ。」
その瞬間、少年は理解した。
(……あの野郎。俺が頷くしかないように、全部仕組んでやがったのか。)
自分が王族であると伝えるだけなら、個室で話せば済む話だ。
しかし、わざわざ貴族や軍人たちの前で明かしたのは、断れない空気を作るため。
演説――それは、ただの儀式ではなく、王としての役割を強制的に与えるもの。
逃げ場のない状況に追い込まれながら、少年は王の頼みを、渋々ながらも受け入れるしかなかった。
その後、ディネイバァの姿は広い客室にあった。
元いた部屋に戻ると、ドアと窓が修理中だったからだ。
その場にいた衛兵の一人に、別の部屋で待機するように言われ、「二度と物を壊すな」と釘を刺されたのは、言うまでもない。
そんなわけで、少年は今、昨日とは違う部屋でくつろいでいた。
――そのとき。
勢いよくドアが開かれ、フィーアが飛び込んでくる。
「ディーン!! 天墜し就任、おめでとう!!」
「……はぁ?」
意味不明な祝福に、思わず声が漏れる。
「何言ってんだ、お前。」
「え? 謁見はもう済ませたでしょ?」
「ああ、済ませたけど。」
「じゃあ聞いたはずだよ。ディーンを“天墜し”の末席――つまり第8位に加えるって。」
「いや、俺は……」
少年は、今日起こった出来事を丁寧に説明する。
それを聞いたフィーアの顔に、困惑の色が浮かんだ。
「え、え、え? ディーンが王族? あれ? 私、今まで……」
混乱する彼女に、少年が問いかける。
「……俺が“天墜し”になるって、どういうことだ?」
胸の奥がざわつく。
とてつもない、嫌な予感がした。
「ええと、だから……貴方が神を退けたことで、その実力が評価されて……昨日の会議で、“天墜し”に加えようって話が出た、ってわけです、ます……。」
言葉を選ぶような途切れ途切れの文章にふざけているとしか思えない語尾。
思わずため息が出る。
「いつも通りでいいから分かりやすく話してくれ。」
「あ、私は敬語使わなくていいんだ。」
1人で勝手に納得した少女が説明してくれる。
「天墜しってね、いろいろな特権が与えられるの。例えば、階級とかが有名。天墜しは王を除く全ての頂点にあるの。だからディーンが王族でも私は対等ってこと。
で、ディーンは実力を評価されて天墜しに任命されたってこと。」
呆れと言うか諦めと言うかどう言ったらいいのか分からない感情が渦巻く。
そんな中出てきた言葉はおそらく最も悪いものだった。
「ところで、お前の新しい変える場所ってのはどこなんだ?」
出てきたのは昨日抱いた疑問。
フィーアの表情が陰る。
「それは…。」
不安、恐怖、迷いそれらが混ざったような表情をする少女。
しかしそれは直ぐに振り切られた。
「私はね、結婚したの。」
予想の遥か上をいく回答。
「どういう、っていうか誰とだよ。」
少女の言葉は疑うまでもない。だが他に聞くことはいくらでもある。
それを尋ねようとした――まさにその直前、客室のドアが開いた。
入ってきたのは、見覚えのある男。
瞬間、少年の脳裏に、封じていた記憶が浮かび上がった。
あの夜。
少女が組み伏せられ、声を殺して涙を流していた――最悪の夜。
少年が、力を求めるきっかけとなった、消せない記憶。
「お前は……!!」
反射的に叫び、立ち上がる少年。
見間違えようがない。あの男だ。
無意識に少女の前に立つ。その身体を制するように、背後から声がした。
「……大丈夫。あの人が、私の旦那だから。」
フィーアの声。
そして、彼女は立ち上がり、迷いなく男のもとへと歩いていく。
ゆっくりと、男と唇を重ねた。
その瞬間――ディーンの頭はスンと冷えた。
激情も、怒りも、すべてが一度に遠のいていくようだった。
残ったのは、ただ静かな、思考だけ。
「……あんたら、何やってんの?」
思考は正常。でも、状況が異常。
王族である自分の目の前で、これはアリなのか?
そう疑問に思っても、言葉にはならない。
「これは失礼。見苦しいものをお見せしました。」
男が少女を離し、右手を差し出してくる。
少年は無言でその手を取った。
「……見苦しいという自覚があるようでなによりだ。」
生ぬるい視線と皮肉。
「申し訳ございません。それでは、我々は失礼させていただきます。」
そう言って部屋を出ていく二人。
ドアが閉まるまで、少年の頭の中はずっと、疑問符でいっぱいだった。
「どういうことだ!!?」
王族のみに使用が許された部屋でディネイバァの声が響いた。
「悪かったね、天墜しのことを伝え忘れていて。」
突然部屋に飛び込んできた少年に対しその部屋の主である国王が答えた。
「そっちじゃない。フィーア…じゃない天墜し3位の…
「あぁ、彼女のことだな。それがどうした?」
慌てた少年とは正反対に落ち着いている青年。
「なんであいつがこんなとこに居るんだ。しかも結婚までしてるって。」
少し予想外の質問にきょとんとしてから納得したような顔をした。
「個人情報だから詳しくは言えないけど天墜しになったときにはもう結婚してたよ。さては、大好きなお姉ちゃんが取られて悔しいんだな。」
的を射ているようでそうでない言葉に怒鳴り返しそうになりながら少年が返す。
「そうじゃない。なんであいつをこっちによこさなかった。天墜しのしかも3位がいれば作戦だって持っとましなものにできた。」
少年の怒りの追求に困った様に目を逸らす青年から答えが帰ってきた。
「もう一度言うけど、彼女は既婚者だ。それに天墜しに対しては国王でも命令権はない。だから、彼女いや彼女の旦那が拒否したらそれで彼女は動かせない。」
「それなら家の方をお前らがどうにかしたらいいだろ!!」
答えを聞いてもなお納得できずに少年が叫ぶ。
「確かに相手が一般人なら良かったんだが、相手はな、あのセントモニカ商会の会長だ。あの商会にはお前も少なからず恩があるだろう。言ってしまったらあれと戦うよりも東を切り捨てた方が国のためだと思ったんだ。」
信じられない言葉。
少年はセントモニカ商会のものに恩があるどころか彼らのお陰でここにいられるのだ。
だからこそ彼は自分をそして自分たちのために死んでいった者たちを見捨てた商会の会長が許せなかった。
悔しさにうつむき手から血が出るほど固く拳を握る。
そんな少年に対し彼の兄である男が告げる。
「感傷に浸っているところ悪いが言わせてもらうぞ。」
そう前置きしてから彼は話し出す。
「お前は今、彼女がいれば誰も死ななかった、少なくとももっと犠牲を減らせたそう言ってな。
お前はそれがどういうことか分かるか?
お前が、そしてお前と共に戦った者のしたことすべてが無駄だったってことだぞ。
そうじゃないだろう。たとえ失ったものが多かったとしても守れたものもあったんだろ。そのために戦ったんだろ。
だったらそれを否定したらだめだろ。」
国王としていや、一人の少年の兄オルヴァレナとして言い聞かせる。
その姿は彼の名の由来となった救いと輝きの象徴ルヴァルにふさわしいものだった。
それから、飛ぶように7日間が過ぎていった。
王弟としての仕事も何故かもう舞い込んでくる。
その処理と同時に演説のことも考えていた少年にとって7日など一瞬だった。
こうして少年の天墜し就任とお披露目の日がやってきた。
送迎の車から降り、まるで神殿のように静謐な白亜の建築物へと足を向け階段を登る。
そこの前にはすでに数十万にも及ぶ人々が集まっていた。
少年は振り返らずに進む。
彼の頭の中にあるのは演説のことだけ。
自分に、今階段の下に居る彼らは何を望むだろうか。
あの時、絶望したときに自分は何を求めただろうか。
500年前、神と戦うことを選んだこの世界は何を求めるだろうか。
そうして彼は自分の兄である国王の前にたどり着く。
そこにはディーンという少年の姿はなかった。