4話
何もない廊下だった。
彼はそこに立っていた。
「どこ、ここ。」
見覚えがある、いやよく知っている。当たり前だ自分は去年からこの孤児院で過ごしているんだから。
何を考えていたんだろうと、思いながら突き当りにあるトイレに向かう。
すると一つ手前の部屋から声が聞こえてきた。
少しドアの隙間から光が漏れている。
院長が起きているのかと思いながらドアを開ける。
そこには信じられない光景があった。
親友である少女を取り押さえる大柄な2人の男。そして少女にのしかかる自分より7つほど年上の少年。
気がつけば叫び声を上げて少年に飛びかかっていた。
しかし直ぐに大柄な男に押さえつけられ殴りつけられる。
そこに飛び込んできた院長に庇われ部屋の外に引きずり出される。
どれほど暴れても院長の手は振りほどけなかった。
直後辺りが火に包まれた。
炭の様になって崩れ落ちていく院長。あちこちから聞こえて来る誰かの叫び声。
そして――少年は目を覚ました。
ベットの上から寝転んだまま辺りを見渡す。
病院…ではなさそうだ。
壁も天井も灰色。例えるなら独房のような部屋。
更にそこにいるのは優しそうな看護婦ではなく、むさ苦しい武装をした男達。
「どうやら地獄に墜ちたみたいだな。」
ポツリと呟くとそこにいた1人の男が叫んだ。
「起きたぞ!!」
すると突然ばたばたとし始め、直ぐにロイシンとエルナードが走ってきた。
「起きたかディーン」
「心配したんだぞ。」
本当に心配そうに声を掛ける2人に先程の男が告げる。
「そいつここのこと地獄とか抜かしやがったぞ。」
その言葉に少し2人の緊張が緩む。
「何だと〜どう考えても天国だろう。」
「これのどこがだよ。せめて病院のベットで寝させてくれ。」
エルナード言葉に腹立たし気に返す彼の寝ているベットは硬いことで有名な軍部のベットだった。
だが彼らの会話の中には温かさがありいつもの日常に戻ったことを意味していた。
「どうなったんだ?」
少年の問い。彼の寝ている間に何かあったかという質問。
それを聞いたエルナードは優しく答える。
「お前が寝てたのは2日間だ。その間に神は天界に撤退した。それに首都から核ミサイルがラーシェイスに飛んでったお陰で向こうからゲートを閉じてくれた。」
そこで一度言葉を切り、大仰な仕草で告げる。
「つまり、俺達の勝ちだ!!!」
その言葉に少年は俯き肩を震わせる。
喜んでいるのか、それとも払った犠牲の多さに泣いているのか分からない。
「犠牲はどれくらいだったんだ?」
「……約八千六百人。その中には……もちろん、コルディス達の名前もあった。」
俯いたままだった少年の頬を雫が伝っていった。
それを見ていたロイシンがゆっくり告げる。
「勝ちはしたがお前の傷もかなりやばかったぞ。
俺達がお前を見つけた時には、大量失血で意識不明の重体。病院に運び込んだ時には心肺停止までしてた。お前はもうちょっと自分を大切にすることを覚えろ。
「悪かったよ。」
「後、ここでお前が寝てたのは単なる嫌がらせだ。」
「はあ!?」
流石に聴き逃せない言葉があった。
「当たり前だろ。それ以外に死にかけのやつをこんなとこに寝かせとく理由なんて無いだろ。」
「てめえ!!…っつ!」
殴りかかるも傷を押さえて悶絶する。
少年が男達にチクチクといじめられているとそこに1人の少女が入って来た。
「ディーン起きたんだ。はいこれあんた宛のファックス。」
そう言って差し出された一枚の紙。しかしそれは直ぐにエルナードに取り上げられた。
「何すんの!!」
少女が反発するも彼は平然とそれを破り捨てる。
「何だそれ。」
少年が問いかけると
「お前は知らなくていいもんだ。」
ロイシンにまで言われてしまった。
少年が諦めようとしたとき、彼の眼に一つの単語が映り込んだ。
それは『首都』
「見せろ!!」
目の色を変えた少年がエルナードに詰め寄る。
「首都ってのはどういうことだ。何が書いてあった?」
少年の気迫に負けた彼は説明する。
「これに書いてあったのは神を退けた者、つまりお前に対する出頭命令だ。」
何かを諦めたように呟く。
その前にいる少年に顔は笑みに満ち溢れていた。
「ねえ、なんでディーンってそんなに首都に行きたがってるの。」
ルイシャの疑問を聞いてエルナードとロイシンがディーンの方を向く。
そしてロイシンも尋ねる。
「確かに、俺もエルナードから聞いただけだからよく知らないな。ちょうどいい、ここで理由を話せ。それによったら首都にいかせてやってもいい。」
それを聞いたディーンは嫌そうな顔をし、エルナードも複雑そうな顔をする。
「エルナードは、俺と同じ孤児院にいたし、付き合いは長かったから話したな」
そしてディーンはぽつぽつと話し始めた。
物心がついた頃から、母はどこか不自然なくらい優しかった。
叱られることもあったが、その言葉の裏には、いつも疲れたような微笑みが浮かんでいた。
そんな母が涙を見せたのは、一度きりだった。
いつのことかははっきりしない。ただ、あのとき――たしか「父さんが死んだ」と呟いていた気がする。
けれど、父親の顔すら知らなかった俺には、それがどれほどのことかも分からなかった。
思えば、あの頃の街はどこか沈んでいた。
みんなが口をつぐみ、静かに何かを耐えているような、重たい空気に満ちていた気がする。
それから間もなく、母は病に倒れた。
看病のかいもなく、三ヶ月も経たないうちに――帰らぬ人になった。
孤児となった俺は、孤児院に引き取られた。
そこでは、まるで壊れ物でも扱うように、大事にされた。
エルナードたちと一緒に木に登ろうとすれば、俺だけが怒鳴られ、無理やり引きずり降ろされた。
そんな過剰な庇護は、子どもたちの間で浮くには十分だった。
同い年の連中は俺を避けるようになり、話しかけても目を合わせなくなった。
その代わりに、年上の子たち――七つ年上のエルナードや、二つ上のフィーアたちは、俺を気にかけてくれた。
俺を憐れんでいたのか、それとも別の理由があったのかはわからない。けれど、優しかった。
そんな感じで過剰な庇護以外は幸せだった。
……今にして思えば、あの孤児院には、妙なところがいくつもあった。
新しく入ってくる子どもが、妙に多い。
そして、何の前触れもなく――出ていく子どもも多かった。
俺はその時、それが不自然だとは思いもしなかった。
でも、もっと早く気づくべきだったんだ。
あの場所に、何かがおかしいということに。
それは、あまりにも唐突に起きた。
エルナードが軍の学校に進んでちょうど一年が経った、ある深夜のことだった。
俺はなぜか寝つけず、トイレに行こうと廊下に出た。
――そこで見てしまったんだ。
フィーアを押さえつける、二人の大柄な男。
そして、その上に覆い被さる、明らかに年上の少年。
フィーアは涙を浮かべて、必死に抵抗していた。
頭が真っ白になって、気づけば飛びかかっていた。
だが……一瞬で叩きのめされた。
床に転がされ、何度も何度も殴られる。
その時、院長が現れて俺の前に立ちはだかり――そいつらから引き離すようにして、俺を部屋の外に連れ出した。
きっと、睡眠薬でも打たれたんだろう。
目が覚めた時には朝になっていて、フィーアの姿はもうどこにもなかった。
それから俺は、奥の部屋に閉じ込められた。
鍵をかけられ、外に出られず、誰の声も届かない部屋に。
……だが、それも長くは続かなかった。
“あれ”が来たんだよ。
天使ども――偽天使の襲撃で、街ごとすべてが焼き尽くされた。
皮肉なもんだ。あの部屋に閉じ込められていたおかげで、俺は死なずにすんだ。
あのとき、エルナードが助けに来てくれなければ、あのまま俺も終わっていた。
それから、俺たちはメルバスまで逃げのびた。
――そして軍に入った。あいつは軍学校を出て、俺は志願兵として。
本当は、フィーアたちを連れ去った奴らを見つけてやろうと思ってたんだ。
でも、全部無駄だった。
軍と繋がってたんだよ。あの孤児院と。
あそこにいた子どもたちは“買われて”いた。人体実験のために。魔道具の素材にするために。
許せなかった。
そんな理由で子どもを保護していた孤児院も。
人間扱いしなかった軍も。
だから、俺は軍を辞めた。
それが――メルバスが陥落する、三日前のことだった。
そう締めくくったディーンの表情には、どこか諦めにも似た陰りが浮かんでいた。
ついでに言えば、このときにはもう、彼の中で“強制支配”の基礎は完成していた。
その御蔭でルイシャたちを無事に逃がす事ができたのである。
「……このことについて、エルナードはどこまで知ってたんだ?」
沈黙を破ったのはロイシンだった。
静かに、しかし鋭く問いかける。
「一応……今こいつが話した内容は全部だよ」
エルナードが淡々と答え、肩をすくめるように言葉を続けた。
「そうじゃなかったら、俺が軍の奴らを殺すディーンを見逃すわけないだろ?」
「……どういうことだ!?」
思わず声を荒げ、ロイシンが詰め寄る。
「お前、考えたことあるか? ディーンがなんで“天使どもの核”を売らないのか――」
エルナードの視線が鋭くなる。
「ディーンはそれを使って、あえて天使を“再起動”させてたんだよ。
戦闘部隊の後方に復活させて、奇襲を仕掛けさせていた。
敵にも味方にも、等しく地獄を見せるためにな。」
言葉を失ったように、誰もが黙り込む。
重たい沈黙――その静寂を破ったのは、ルイシャだった。
「……じゃあ、なんでディーンは首都に行きたいの?」
一瞬、エルナードがディーンを窺うように目をやる。
だが、答えたのは本人だった。
振り返ることもなく、声だけで――静かに、しかし鋭く。
「そりゃ当然、首都を焼くためさ。」
「ん? 偉くなって、悪い人たちを裁くためじゃないんだ?」
ルイシャが不思議そうに首をかしげる。
その問いかけに、ディーンはあっさりと短く答えた。
「ああ。」
「じゃあさ、なんで“呼び出される”まで待ってるの?
今すぐ攻め込んで、派手に荒らして、逃げちゃえばいいじゃん。ディーンならそれくらいできるでしょ?」
それは、誰もが一度は思う素朴な疑問だった。
確かに、首都を襲撃するだけなら、わざわざ招待を待つ必要などない。
しかし、それには理由があった。
「……首都には“結界”が張られてる。
正式に許可を受けた者じゃないと、近づくことすらできないんだ。」
代わって説明したのはエルナードだった。
そう――首都を包む結界。その内部は空間が歪みきっており、神の攻撃を避けるため常に首都の場所は移動している。
つまり、正規の手段なしには侵入すら困難なのだ。
もちろん、侵入方法がまったくないわけではない。
ディーンたちはその一つ、将官以上の階級、あるいはその家族としての“招待枠”を利用して内部に入ろうとしていた。
――しかし、もうその必要はない。
今や彼らの手元には、“それ”があるのだから。
「確かにお前は首都からの出頭命令が来た。これなら首都に入れる。」
エルナードが神妙な面持ちで諭すように告げる。
「だが、お前は歓迎されてるわけじゃねえ。いやそれどころか王命無視と神を退けたってことで最大限の警戒態勢で迎え入れるだろう。そんな状態で暴れて何になる?」
エルナードの言いたいことは分かっている。無駄なことは止めろと言っているのだ。
それでも彼は首を横に振る。
「入ってもお前は首都について何も知らないんだぞ!!そんな状態で勝てるわけ無いだろう!!!!」
「誰がいつ勝たないといけないなんて言った?」
少年の冷たい返答。
それだけ告げて少年は苦しげに傷をかばうように体を引きずるように出ていった。
外に出てみると辺りはすでに暗闇に満たされていた。
空を見上げると煌々と輝く5つの月。
それに見とれていると突然少年の後ろから声が聞こえてきた。
「今月はレイジスの月か〜」
驚いて振り向くとルイシャが立っていた。
「そんなに驚くこと無いでしょ。後ろに立たれても気付かないなんて相当疲れてるんじゃない?もうちょっと休んできたら?」
「あんなとこで寝れるか。」
ディーンが反応するよりも早く少女が不満気にそして心配そうに尋ねる。
「そういえば知ってる?王族の人たちって苗字がない代わりに産まれた月の名前を名前に入れてその月の名前を苗字の代わりに名乗るんだって。」
「知ってるよ。初代国王の名前の由来が月の名前だったからだろ。先代ならアルダリスに産まれたからゼノアルダス…だったはず。」
自信なさげに答えるディーンに覚えとけと言って肘で突き回すルイシャ。
そこには先程の冷たい空気など忘れさせるものがあった。
「じゃあ来月はネイブルか。」
ふと思い出したように呟くディーン。
「ああ、あんたの誕生日はネイブルだったっけ?プレゼントは何がいい?」
「いらねえよ。どの道ここに居られるとは思えねえからな。」
それを聞いたルイシャが尋ねる。
「あんた、あんたの産まれた月の名前の意味、知ってる?」
「愛情、慈悲、思いやりそして、希望だ。」
「覚えてたんだ。」
珍しくディーンにしてはしっかりした答えが返ってきたことに驚くルイシャ。
「あんたには一番最初のが足りて無いんじゃない。」
その言葉に少しムッとしたようにディーンが言い返す。
「仕方ねえだろ。五歳のときに母親が死んで以来そんなもんを他人から感じたことねえんだからよ。」
「それは嘘でしょ。」
当然のように否定された。
「だってロイシンとかエルナードはあんたのことちゃんと愛してくれてるでしょ。」
「アイツラは恩とか義務的なところから……
「あんたはそれだけでこの国に喧嘩売れるの?」
少女の言葉の一つ一つが少年の心を衝く。
エルナード達は彼に恩もなければ彼の味方をすることで損しか無いはずだ。
それなのに彼の味方で居続けてくれる理由は偏に愛情ゆえではないか。そんなことを考えたことも何度もあった。
逆に彼がエルナード達に同じ事ができるかと考えると、できないとしか言いようがない。そんな自分が嫌いで、みんなからは遠ざかって欲しくて、だからずっと突き放すようにしてきた。
それでも周りは彼に優しくて……
沈黙する少年を見ていたルイシャが不意に話し始めた。
「さっき、あんたに愛情が足りないって言ったけどあれは間違いだったわ。」
唐突な言葉に少年が振り返る。
「だってあんたは彼らのために死ぬ覚悟さえある。そこに愛情が無いわけ無いでしょ。問題なのはあんたがそれを自覚せずに自己嫌悪に陥ってること。」
向かい合う2人。
「そのせいで自分が死ぬのが最適解だと思い込んでる。そんなこと無いのに。それどころかあんたが死んだらあんたの大切な人も悲しむ。あんたはそれを理解してないの。」
そこで一度言葉を切り少し息を整える。
「でも、私はそれをあんたに気付かせる方法を知ってる。」
直後、少女が消えた。
いや、彼の胸元に飛び込んできたのだ。そして感じる一度も味わったことのない感覚。
彼はそれを避けられなかった。
否、避けたくなかった。
直ぐに離れる少女。
彼女の顔には花が咲くような笑顔が浮かんでいた。まるで、荒れ地に咲く一輪の花のように儚くしかし確かな気高さがあった。
それは、彼がかつて守れなかったと思い込んだもの。もう二度と戻ることはないと、諦めていたもの。
巨大な満月、レイジスを背に立つ少女は、何よりも神々しく映った。
少年は何も言えずに彼女を見つめていた。