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壱:であったとき

夕暮れと言うのはきっと、たまにこうして見上げるから綺麗なんだと、彼は思った。毎日見ていたら目がどうかしそうなオレンジ色は、ふと見上げたら恐ろしく綺麗だ。ところどころ空にかかる灰色の雲は、空の色をひそやかに引き立てる。

とはいえ帰路の途中でぼんやりと立ち止まって空を見上げる学生がいたら、流石に不審に思われそうな気がしたからすぐに止めた。イヤホンから流れる音楽に気持ちを溶け込ませつつ、とっくに慣れ親しんだ道を歩く。家から一番近い高校に通うことが出来るのは、実は案外幸せなのかもしれない。


彼、こと渡利雪斗わたりゆきとはやがて自宅にたどり着いた。静かな住宅地の中の、特に代わり映えもない一軒家が彼の住む家だ。

ドアを開けながらただいま、と中に呼びかけると、すぐさま間の抜けた足音がぺちぺちぺちとこちらに近づいてくるのが聞こえた。リビングとの境界のドアを開いて顔を出したのは、弟の雹也ひょうや。今年の春小学一年生になったばかりの、可愛さ真っ盛りの弟だ。


「お兄ちゃんおかえりー!」

「ん、ただいま。ひょう、母さんと父さんは?」

「お母さんはおかいものー、お父さんはまだー」


雪斗はぴくりと、雹也の言葉に反応した。しゃがんで、雹也と視線を合わせる。


「一人で留守番?…悪かったな、兄ちゃんもっと早く帰ればよかった」

「ううん。さっきお母さん行ったばっかりだし、テレビ見てたから平気だったよ!お菓子もあったもん。」

「そっか、ひょうはえらいな」


そう言って柔らかい髪を撫でてやると、雹也は心底嬉しそうにえへへと笑った。それにしても小学一年生を一人家において、鍵もせずに出て行く母親は流行りのどじっ子と言うには度が過ぎる気がする。後でちゃんと言っておこう。そう思いながら雪斗は雹也を抱き上げ、靴を放るように脱いだ。

2階には自分の部屋がある。雪斗は片手を手すりに添えつつ、階段を一段ずつゆっくりと上がっていく。


「今日のばんごはんなにかなー、ぼくカレーがいいなー」

「昨日も一昨日もカレーだっただろ、ひょうはカレー好きだな」

「じゃがいもがすきー!」

「そっか、だけどちゃんとにんじんも食べろよ」


やだやだと頬を膨らませる雹也に微笑みを返しながら、階段を上りきった。雹也を下ろし、自分の部屋のドアに手をかける。


がちゃりと開いたドアの先を見た。

雪斗は思わず、勢いよくドアを閉めた。


「……あのさ、ひょう」

「う?なぁに?」

「…兄ちゃんちょっと宿題しないといけないから、ちょっとだけ下で待っててくれるか?」

「いいよー!またテレビ見てる!」


雹也はアニメでも見ていたのだろうか、軽快なリズムの歌を口ずさみながら階段を駆け下りていく。それを見送ってから、雪斗は大きく深呼吸をした。二、三度の深呼吸の後、雪斗はもう一度部屋のドアを開く。


「初めまして、驚かせてしまって申し訳ありません」



雪のような色の長い髪、目元と鼻をぐるぐると覆う包帯、血色の悪い肌、濁った緑の着物。

不審者が、ベッドの上に居座っていた。





「…誰だ、お前」



混乱する頭ではそれだけしか尋ねることが出来なかった。包丁とか拳銃を突きつけられるのとはきっと違うのであろう恐怖が、脳内を塗りつぶしていく。

だが相手はやけに現状を楽観視していた。何が嬉しいのか、口元には笑顔を浮かべたまま雪斗の問いに返事をする。


「誰か、と一口に説明するのはちょっと難しいですね。あっでも、私犯罪者とかじゃないですよ?

 少なくとも何処かで一人を刺したりとか、お金盗ったりとかそんなことはしていませんから」

「…じゃぁ何お前、どうして僕の部屋にいるんだ、何の用」


目の前の不審者は考える。そして考えた末に、ぽんと両手を合わせると笑顔でこう言った。


「私、神様なんです。」



***


日本では昔から八百万の神が存在すると言われている。だが実際それは、半分が正しく、もう半分は間違っているのだという。

確かに神は存在する。昔は本当に八百万の神が存在し、各々が其々の与えられたものを支配していた。

しかし現在、神は数えられるほどしかいない。強い神が弱い神を支配し、やがて弱い神はその存在意義を無くして強い神の一部となっていく。現在残っているのはその強い神ばかりで、今となってはお互いが戦いあいお互いが傷付きあうのを嫌って、誰ももはや手は出さないらしい。


「そして名誉なことに、その中の一人が私なんです。曲りなりにも神なので、こんな部屋に忍び込むことくらい出来て当然です」


目の前の自称“神”は、誇らしげにそういって説明を締めくくる。その説明を、雪斗はドアに背を預けたまま聞いていた。話している間も今も、心臓の鼓動はいつもより早い。緊張がほぐれない。馬鹿な話だと思っているけれど、不気味な宗教の信者なのではないかと思うと迂闊に聞き流してしまうわけにはいかなかった。

やがて不審者は息をつき、それで、とわずかに顔を上げて雪斗の顔をまっすぐ見つめる。包帯の向こうの瞳の色は何色なんだろうと、ふとどうでもいいことが頭を過ぎった。


「良ければ、そろそろ貴方のことも教えてもらえませんか?」

「どうして」

「話が進めにくくて。ほら、名前が分かったほうが進めやすくていいでしょう?」

「…渡利、雪斗。」


わたりゆきと、と不審者は繰り返す。にっこりと微笑んだ口元は、やっぱり上機嫌そうだ。


「渡利雪斗さん。素敵な名前ですね。」

「・・・」

「では、雪斗さん。実は先ほどのお話には続きがあるんです」

「…続き?」


「ええ。…先ほど確かに、神の間での争いはなくなったと私は言いました。私も一度も他の神に私から手を出した記憶はありません。

ですが私は今、神としての力が自然に弱まっていっている状況にあります。私の支配できるものがどんどん世界から消失していくにつれて、私自身の存在も少しずつ消えかけているのです。

そもそも私自身があまり上等な神ではないので…まぁ私が消えるのは仕方ないと言えば仕方のない事なんですが、だからと言って私の支配下にあるもの達は出来ることなら消してしまいたくない。」



神の中にも、ランクと言うものはあるらしい。彼はその中でも最下層の部類に所属するらしく、周りの神は誰も彼の存在を救おうとしなかった。彼の力を欲したところで大した力になると言うわけでもないからだ。むしろ一部の神は彼の存在そのものに異議を唱え、彼の存在を邪なものとし、処分しようとする者もいると言う。

神が処分されれば、彼の支配するもの達は消える。逆もまた然り、だそうだ。

ところが彼自身は消えようが生きようがどうされようが、それはどちらでも構わないらしかった。ただ唯一気がかりなのは、自分が支配していたもの達。

もの達にも存在する権利はある。もの達にも存在する意義はある。だから彼は決めたのだと言う。


「せめて彼等達には、存在してもらおうと思いました」


様々な地域に潜むもの達と直接会い、その存在を明確なものにすれば。

彼らの主張を皆に認めてもらえば、せめて彼等たちを救えるのではないかと、そう思ったのだと彼は言う。



「と言うわけで私はこの世界に降り立ったと言う訳です。」


長々と失礼しました、と彼はぺこりと頭を下げた。雪斗は無言のまま、改めて目の前の人物を凝視する。

奇妙な格好をして奇妙な事を語った不審者。口調は柔らかで思わず信じてしまいたくなるほど話に迷いは無かった。話に感情は入り込んでおらず、宗教に嵌まった人間の成れの果てというには不十分だ。

だけれど、だからといって彼の話を信じるには至らない。神だとか支配だとか、自分には程遠い、存在の有無さえ分からないような別次元の話を信じろと言われても無理がある。

雪斗は乾いた唇を舐め、目の前の不審者に尋ねた。


「でも、言い訳になってない。何でお前は僕の家にいるんだ?…言っとくけど僕は神様なんかじゃない、普通の日本人で普通の高校生だ。」

「ええ、私も元々は貴方自身に用事は無かったんです。用があったのは、こっちで」


そう言うと不審者は突然立ち上がり、壁のクローゼットの扉の前まで音を立てずにゆっくりと歩く。扉をざっと上から下に見下ろすと、その細い腕で扉を開いた。

中には雪斗の服が無造作に突っ込まれている、それだけのはずだった。のに。


「こんにちは、おりんさん。」


赤い着物を着た小さな女の子が、服の中からひょいと顔を出した。黒いおかっぱ頭の彼女は大きな目を更に瞠って、あーとかわいらしい声を上げる。もちろん雪斗の顔見知りなんかじゃぁ、ない。


「かみさまだ!」

「お久しぶりですね、何百年ぶりでしょうか」

「わかんないー、でも久しぶり!すっごい久しぶり!」

「最近見当たらないと思ったら、こんな所にいたんですね」

「うーん、だってぇ」


クローゼットからぴょこんと飛び出したその様子は、さっきの雹也の姿とよく似ていた。まだ10歳にも満たないだろうその女の子はちょこちょこと雪斗の方に近づき、その体にぎゅっと抱きつく。びっくりするくらい冷たい彼女の体は、雪斗にこれが現実であることをまじまじと実感させた。


「このおうち暖かいもん、この前みかん食べたけど誰も怒らなかったし、やさしいよ!」

「それは良かった。…雪斗さん、その子が誰だかわかります?」

「…知るか、よ」

「その子、<座敷童ざしきわらし>なんです。」


座敷童。確か子どもの姿の精霊とも妖怪とも言われる存在。彼らが住み着いた家は幸せになるが、追い出してしまうととたんに不幸になるという。

雪斗も存在を知らないわけではなかった。知識のひとつとして知ってはいた。

それでも、自分の家にその物自体が住んでいるだなんてことは、知らない。

不審者は先ほど雪斗が雹也にしてやった様にお鈴を呼び、ひょいと抱き上げた。声も出せず呆然とする雪斗の前で、彼はまた言葉を紡ぐ。



「申し遅れました。私の名前は伊織いおり

俗に言う妖怪や霊なんかを支配する、妖神あやかしがみを任じられています。以後お見知りおきを。」

「よろしくー!」


お鈴の言葉がやけに頭の中に響いた。ぐらりと雪斗の体が揺れて、脳が命令を出す前に体は重力に従う。雪斗の耳に伊織の声が届く直前に、雪斗はふっと意識を失った。

夢だったら、面白い夢だったのにな、だなんて、未だに非現実感を否めないまま。




***



随分昔の記憶だ。

公園でブランコに乗ってぶらぶらと揺れながら空を見上げた時のこと。

あの頃はまだ友達なんてものを作れるほど積極的じゃなくて、公園でも他の子が砂場で遊んでいるのに自分はひとりでブランコをしていたっけ。きぃきぃと錆びた鎖が立てる音は、自分の心の中をそのまま表現しているようであんまり好きじゃなかった。

砂場から一人の女の子がこちらに走って来る。綺麗な服を泥まみれにして、きっと後で怒られるんだろうな。


一緒に遊ぼう、だなんて言われても。ほら、君のお母さんはもうそこに来てるじゃないか。やっぱり怒ってる。


彼女は去り際に一度だけこちらを振り向いて、満面の笑みで言うんだ。


『またあしたね』


可愛い子だな、とは思った。白くて細くて。

でも、お母さんに引っ張られる様子は何処か寂しそうで、あんまり見ていたくなかった。


ああ、懐かしいなぁ。


***


「あ、大丈夫ですか?」

「…まだいたの」


目を覚ましたとき、霞む視界に一番に飛び込んできたのは伊織の顔だった。いつから覗き込んでいたのだろうか、そんなことを考え始めるとやっぱりこの目の前の人物は危険なのかもしれない。

伊織はわざわざベッドに運び込んでくれていたらしい。ベッドから半身を起こし、先ほどの問いに対する伊織の回答を待った。


「えぇ、先ほど言えなかった事がありまして、まだ残ってました。突然倒れた人を放って帰る訳にも行きませんしね。」

「で、何」

「実は貴方に、私のお手伝いをして頂きたいのです」

「てつだい?」


えぇ、と再び伊織は頷いた。そして懐から、一冊の古ぼけた本を取り出す。じんわりと紙の色が変色しているが、不思議と古い本独特の匂いだなんてものは全くしなかった。差し出された本を受け取りぱらぱらとめくると、ほとんどが白紙のページだった。


「先ほども言った通り、私はお鈴さんたちのような存在を消したくはないのです。そして、彼らの存在がきちんと認められれば…彼らも再びきちんとした存在でいられると、私は考えています。

 そうですね、その本丸々一冊分ほどの妖怪達の“書名”があれば、どうにかなるかもしれないと思いまして」

「書名って…というか大体、それだったら別に僕いらないじゃん」

「いります」

「なんで」


「私、ぱそこんと言うものに対してはとても疎いので」


妖怪たちは各地様々なところに住み着いている。やはりその情報を集める時に必須となるのはパソコンだとか携帯だとかから得られる最新の情報だそうだが、伊織は残念ながら現代機器に応対できる程の知識は持ち合わせていないと言う。

雪斗の勉強机の上にはノートパソコンが常備されている。それを偶然見つけた伊織がこの部屋の主を待って部屋に待機していた、というのが彼の言い分だ。


雪斗はその話を聞き終えると、本を伊織へ押し付けるようにして渡した。そして大きくため息をついて、伊織のほうを向く。


「先に言っとくけど、僕はお前を完全に信用したわけじゃないからな」

「えぇ、分かってます。ああそうだ、恐らく私の姿は一般人には見えていないと思いますのでご安心くださいね。」

「…はいはい」



目の前の神様はまた嬉しそうににへらと笑った。

ベッドの中の人間は笑わなかった。ぶすりとした顔のまま。


だけどそれでも、出逢ってしまった二人はもう、変えることは出来ない。


当作品は不定期更新です。主のやる気しだいで更新速度に波があったりなかったりします。

因みに前は文月という名前で活動してたりしてなかったり。文月時代は黒歴史だと思ってる

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