第8話 領主の相談役
三日後、セーラは新しい生活を始めるため、領主の館の門をくぐった。両親との別れは寂しかったが、「お前の好きに生きなさい」と背中を押してくれた父の言葉が、彼女の決意を固くしていた。
セーラに与えられた役職は「特任相談役」。具体的な職務はなく、領主テセスラインが必要とした時に、その知識を提供するという、前例のない立場だった。最初の仕事は、領地の財政状況の把握と改善案の提出だった。
山のように積まれた羊皮紙の帳簿を前に、セーラはため息をついた。収入と支出がただ羅列されているだけの、原始的な出納帳。これでは金の流れなど把握できるはずもなかった。
「まずは、この無駄だらけの帳簿から改革しないとね」
セーラは早速、テセスラインに許可を取り、数人の若い文官を集めた。そして、地球の常識である「複式簿記」の概念を教え始めた。資産、負債、資本、収益、費用。貸方と借方。文官たちは初めて聞く概念に混乱したが、セーラが具体的な例を挙げて辛抱強く説明すると、次第にその合理性を理解し始めた。
「すごい……これなら、銅貨一枚の動きまで正確に追跡できる!」「どこで無駄遣いが発生しているか、一目瞭然だ!」
新しい帳簿が完成すると、領地の財政の惨状が浮き彫りになった。特に、旧態依然とした農業政策への過大な支出が足を引っ張っていた。
セーラはすぐさま第二の矢を放つ。領内の農民たちを集め、自身の実家で提言し続けてきた「輪作」の導入と、鉄製の刃を持つ新しい「犂」の設計図を提示した。
「土地を休ませ、違う作物を植えることで、土の力は回復します。この新しい犂を使えば、今までより深く、楽に畑を耕せる。収穫量は、数年で倍以上になるでしょう」
しかし、長年の慣習に縛られた古い役人や農民たちからは、猛烈な反発が起きた。
「小娘の戯言を聞けというのか!」「先祖代々のやり方を変えるなど、とんでもない!」
議会の場で、セーラは四面楚歌の状態に陥った。だが、彼女は臆さなかった。
「では、データでお見せします。これが、このままの農法を続けた場合の収穫量予測。そして、こちらが私の提案する新農法を導入した場合の予測です。どちらがこの領地を豊かにするかは、火を見るより明らかでしょう?」
セーラが黒板にチョークで書き出したグラフと数字は、誰の目にも説得力があった。彼女は反論する者たちを、冷徹な論理で一人、また一人と沈黙させていく。その姿は、まるで戦場の将軍のようだった。
最終的に、領主テセスラインが鶴の一声を発した。
「面白い。セーラよ、お前に全権を委ねる。好きにやってみるがよい」
絶対的な後ろ盾を得たセーラは、次々と改革を進めていった。その手腕は、当初彼女を侮っていた者たちをも驚かせ、徐々に「知恵の魔女様」として畏敬の念を集めるようになっていく。
一方、夜には「黄金の夜明け団」の活動も着実に進んでいた。ココハッジョが元締となり、ストリートチルドレンたちによる「口頭情報屋」は、今や街に欠かせない情報源となっていた。彼らは街のゴシップに紛れ込ませ、『スラカシ商会の塩は、実はココハッジョの店の技術を盗んだもの』という噂を巧みに流し続けた。結果、スラカシ商会の評判は地に落ち、ココハッジョの店は「正直で確かな店」として、かつてないほどの繁盛を見せていた。
セーラは自らの知識が、表の世界でも裏の世界でも、着実に世界を動かしていることに、傲慢なだけではない、確かな手応えと責任を感じ始めていた。