神奈川チョーコーのサイと士官・桜井 その6
「この日本人の不良たちとの抗争をやめる事。それが、在日への差別による攻撃を止める一番の良策だと思っている」
サイ以外の、その場にいた4人は、サイのまさかの発言に驚いた。
抗争をやめる。
横浜中の不良たちから恐れられる、恐怖のサンペンと言われる神奈川朝鮮高校の番長がそう発言したのだ。
その意味は非常に重い。
この発言を、他の不良が聞いたら。
「ハマのエンタープライズがイモ引いた」
と取られかねず。
ハマの不良たちが、そこから一気呵成に朝鮮学校への反撃を開始し始めないとは限らず、今までチョーチュー・チョーコー生たちの団結した力によって守られてきた朝鮮学校や在日達への差別による攻撃がより苛烈になっていく危険を帯びる。
それほどの意味をもっている発言だった。
戦後30年近くがたった、1973年現在の神奈川。
校内暴力に暴走族や愚連隊が大手で暴れまわるなど、荒れた時代であり、男達は子供のころから強くなければ生きていく事はできなかった。
それは神奈川だけでなく日本全国でだったが・・・・・・。
だからこそ、朝鮮人として日本で生きていかなければならないチョーコー生達は、ただでさえ荒れた時代に、誰よりも強くなることは、日本人よりも何倍も必要不可欠な事であった。
日本の英雄である、在日朝鮮人であるプロレスラー力道山も、在日同胞でもある弟分のプロ野球選手・張本勲から、なぜそこまで頑張るのか?と尋ねられたことがあった。
その時、力道山は、こう返答した。
「日本の植民地時代に、わしら朝鮮人は虫けらのように扱われたんだ」
日本による植民地支配によって、朝鮮人は二等国民として扱われ。
創氏改名により、日本名を強制され、「内鮮一体」政策により、ハングルの使用が学校や官公署で制限された。
そんな時代、朝鮮人は日本人から劣った民族として、散々差別されるという屈辱を味わった。
それは、肉体的に強い力道山も同じであった。
そこから、1973年の現在。
その頃の力道山が生きた時代に比べると、日本人による朝鮮人への差別意識は、多くの在日も含めた朝鮮人・韓国人の努力行動によって薄れてきたが、日本国内ではまだまだ朝鮮人や在日に対する偏見・差別意識は非常に強かった。
それは、国士館による度重なる朝鮮学校生襲撃という事件をとってみても明らかであろう。
そんな、非常に在日朝鮮・韓国人たちにとって生きていくには過酷な時代に、サイ・ガンチョルの発言は、フベ(後輩)たちにとって、チョーコーマインドを根底から覆すような、そんな衝撃発言であった。
「東京チュンゴのキム・ブントクと前話したことがあったが。あいつもあいつなりにこの在日たちのフベを守りたいという思いで、東京中の不良たちとチョーコーの看板をあえて背負って戦っている」
サイは話を続けた。
「あいつが在日同胞を守るのに、力による戦いを選んだなら、俺も俺なりに、チョーコー生が殴り合いの戦いだけじゃない、違う戦い方もできるんだと、神奈川中のごんたくれどもに見せつける。そういう道をフベ達に見せてあげる事も、チョーコー生の使命なんじゃないかと俺は思う」
サイは、そこまで言い終わると、目の前のフベたちを見た。
どう返答するのか待っていた。
「・・・・・・ヒョンニムの考えは分かりました」
少しの静寂を経て、チャンが口を開いた。




