墨油と兄弟と、意外な変化
もう一度言っておく。
「逞しく生きて行くぜぇ。」
◆ ◇ ◆ ◇
光陰矢の如し。 時は流れゆく。
今日で俺は4歳になった。 もうすっかり子供だ。 最早赤子と言われる事は無いだろう。
――兄弟達ともすっかり仲良しだ!
他の兄弟は上から、長男ニールス、次男ペーター、長女フラン、二女アストリッド、三男デニス。
兄弟たちはみな、年下の俺を構ってくれる。
姉2人にはいつも鼻先を指で突かれ、ペロっと舐めて返したりしゃぶったりして仕返しするたびに、「ヒャァっ!」 と喜んでいるのか嫌がっているのか解らないリアクションで、俺は毎日人気アトラクションのようだった!
毎日やられるので、毎日ペロペロチュッパッだ!
(母親には大変嫌がられ、「やめなさい!」スパンと叩かれるの迄セットだ!)
更に!
言葉は最早完璧!
文字も目に触れるものを片っ端から質問していった結果、手に入る木札の文字で読めないものは無くなった!
週イチの広場での絵本の読み聞かせの度に、「貴方にはこれを」「貴方には赤い花が……いえ、季節外れの花は、貴方だった。」「奥様、もう私の前では……化粧をしないで下さい。 好きになってしまいます。」とやっているうちに、近所のマダム達はこぞって俺の味方となった。
時々訪ねると、作り掛けのおかずや団子を貰える様になった。
で、だ。
あの木札はどうやらこの村の班長と呼ばれる統治者の手先からの伝達物だったようだ。
どこどこで洪水が発生したとか、
橋が壊れかかっているとか、
崖の道が通れないから留意するようにとか、
いろいろだったが、殆どはどうということもない内容だった。
「で…… よしっ……と。」
俺は父さんに作ってもらった小道具箱に、自分の名前を書くために悪戦苦闘していた。
身の回りに文字が少なく、俺も書きたくなったのだ。
――この村で、字を読み書きできるのは大人数人。 結構凄い事らしい。
俺にとっては造作も無い。
デュフフとほくそ笑みながらモテ期を想像する……
「暖炉の炭はなんだかんだで力を入れるとすぐパキるから、筆圧も線の細さも選べないな……」
ぶつぶつ一人でうんうん言ったりしながら試していく。
「ダメだなぁ、先人の根性を尊敬するよ……。」
はぁぁぁぁ……と、息を吐く。
書き終わる頃には炭を一本ダメにし、手は真っ黒。
書く度に小川までいくんかい!と思いながらうろうろと歩き、あ、やっぱ土でこすって、その後適当に草で拭いて手を洗ったら手の方は綺麗になりそう!
とか言いながらこまごまと試行錯誤する。
炭をクレヨンの様に使って書くのはかなり限界があるなぁ、と思いながら天を仰ぐ。
書いた板は手に付いた炭で指紋だらけ。
最悪の結果である。
「お! ヴェル……ナー……か。 お前書けるのか!」
一番下の兄、デニスが俺の作品を見つける。
デニスは身軽で落ち着きがない兄で、よく悪戯をして母さんに追いかけられている。
そんな兄達も字がある程度わかる。
簡単な人の名前程度ならわかる様だ。
デニスが見ている間に、やっぱ油と炭を混ぜるとかしないと駄目だなぁ……と、試す計画を考える。
「うん、自由に書けるようにいろいろ準備しなくちゃいけないですけどね。」
「へぇ~、ということは考えがあるのかい?」
簡単に説明する。
――木に書くと滲むかもしれないけど、第一歩には丁度良いかな?
炭を油で伸ばして、木を細ーく削って鉛筆のようにして書く、という計画。
これをやってみたい、と言ってみた。
「『札書き』は村長の家にしかないからな、作って使えるようであれば便利かもな!」
デニスは面白がっている。
両手を頭の後ろに組んで、枝を拾ってくるといって出て行ってしまった。
「母さん、油とナイフないかなぁ。」
俺は兄弟の中で一番小さいのでナイフは未だ持たせて貰えていない。
まあ、母さんにお願いすると大抵のものは大丈夫なのだが。
「油は貴重だからちょっと出せないわ。」
と言って、ナイフを持たせてくれた。
油……
考える。
ナッツ類から取れたんじゃなかったっけ?
それか、種。
ドングリ……ドングリを絞れば取れるかもしれない。
ドングリは子供がよく集めてくるのだ。
――油は色々と戦略物資。 料理にも使える。
やってみるか!
この小さな挑戦が、後々大きな変化を俺の周りに生み出していくのだが、この時は俺自身全く気付かなかった。
俺にとってはちょっとしたことだったのだが、兄弟や周りの俺を見る目が変わっていったのだ。
大きな変化の最初の一歩って、案外こういう何気ないチャレンジなんだろうな。
◆ ◇ ◆ ◇
「兄さん! ドングリ沢山集められませんかね?」
「おお、ドングリなら『子供の城』に小さい子供達が集めたのが10kg位あるんじゃないか?」
一番上の兄ニールスと次男のペーターと一緒に見に行く。
子供の城と言うのは、低い柵に仕切られた小さな子供達専用のスペースの事だ。
そして、ドングリはそのくらいの年齢の子供たちが親と一緒に面白半分で毎年集めるのだ。
――ドングリのあの形って、どういうわけか子供を惹き付けるよな……
なんとも和む形だ。
場所がうろ覚えで分からず、誰か教えてくれないかな? と思いながら問いかけると、
目の前の子供が答える。
「あっちだよ。」
と指差した先に、小さな犬小屋位の小屋が有った。
2年前あたり、そのお兄さん年代の子供たちが大挙して作った小屋だ。
殆どはその父親の労力だったが、一応使える状態で今も残っている。
――ああ、あの春になると変な虫が大量に出てくる一画…
そこにドングリが大量に入れられたヤシのような木の実の殻が大量に放置されていた。
「あぁぁぁぁぁあああああ~!(クワァァァ~、ペッ)
ドングリ油を取るならぁ~ 一回干した方がええぞ。
干したら細かく切るんじゃぁ。」
暇な爺さんが不規則に震える声で助言をくれる。
物凄く口が臭い。 魚系だ。
適当に距離を取ろうとすると近づいてくる。
判った判ったと言い、駆け足で離れた。
――いったい何を食べたんだ?
心に残るような匂いだった。
◆ ◇ ◆ ◇
「これでインクになってたらいいなぁ…。」
ドングリを干す間を惜しみ、そのまま絞ったが案外油が出る。
思ったよりもサラサラで、炭も溶けたというか、粉が混ざった混合物と言った感じだ。
細かく擦り、待つごとに段々と固形感が薄れ、インクっぽくなっていく…‥
――一応、インクっぽい。 トロっとしてきた。
デニスが木を削って持って来てくれた。 しっかりと尖っている。
インクに浸けて2分ほど経った。
しみ込んだ油を少し飛ばしてから……
「よーし、準備できた。書いてみるよ!」
一緒に見ているニールスとデニスが息を呑む。
……
俺の小道具箱に、記念すべき一本の線が書かれた。
「お、結構綺麗に書けるな!」
おお、と言いながら速足で歩いてくるデニス。
続けてサラサラと、小箱に自分の名前を書いてみる……
ほぉっと息を吐くデニスがにこにこして「ちょっと俺も……」と呟いて走り出す。
そこに、他の兄たちも続いて走り出す。
なんだろう? と思いながらゆっくりと「字体はこうした方が良いかな?」「丁寧に書くと滲むかな?」と思い描きながら何回も試す。
そうこうしているうちに、走っていった兄たちは自分たちのお気に入りの品を持ってきた。
「名前を書いてくれってことですかね……。」
それぞれ品を持ってきて、俺の言葉にはにかんたような変顔で頷く。
眉がハの字に吊り下がっている口角の上がった笑顔……というより変顔だ。
ウチの兄弟同士はこういう顔をして笑い合うことが多い。
それぞれの名前を書く。
「……ふふふ。」
「色が良いなぁ……。」
ニールスもニマニマして、インクのところに変な土などが着かない様に注意している。
色……炭の色は、なんだかんだ言ってあの気品の高い色、チャコールグレーだ。
案外いい色だ。 気に入るかどうかって結構色とかだよな。
「乾くまでは触らない方が良いですよ、文字に見えなくなるんで。」
皆、上機嫌だ。
乾くまでじっと見ながら待ち、乾くと楽し気に持って帰っていく。
――力を合わせて成し遂げたのって、楽しいな。
それと……字を書けるのは、この村でも大人数人だ。
子供だけでやるのは、なかなかにレアなことだろう。 デュフフ……
皆が持ってきた道具だが、皆、大人の手伝いで使う道具だ。
――みんな、大人の役に立つのが好きなのかもしれない。
俺も子供の頃、早く一人前になりたかったし。
俺自身も幼少の頃を思い出す。
「こんなんだったかもなぁ……。」
――それに、自分専用の道具が、いちいち嬉しいんだっけなぁ。
と、兄弟を見回す。
嬉しそうでこっちも嬉しい。
そんな俺達の喜ぶ様を、ドングリの絞り方を教えてくれた魚じいさんは木の陰からキッとした目で眺めていた。
こんなにとっつきにくい作品なのに読んで頂き、誠にありがとうございます。
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