貴族
外に出ると、ヨハンが待っていた。
傍らに、紺色のマントをした大柄の女性が立っている。
「見て行ってくれ、モンペルの富農よ。」
荷車の幕を剥いだ。
中にはまた腰袋二つ、たすき掛けの肩掛け鞄四つが積んであり、
他にも料理用のキャンプナイフセットが置いてある。
「ひやっ、おやおや? これは魔道野営セットのナイフセットではないですかな?
ネオスタンダードでございますかな?」
と、ペーターが前のめりに一歩出た。
魔導入門はベース周辺で知らないものは居ない魔導書だ。
その広告ページは皆の脳裏に深く刻まれており、シュナイダー博士は「なんだか凄い物を作れるおじさん」と、最早村の子供達のヒーローですらある。
「まあ見て行ってくれ。 そのセットは金貨1枚だ。」
近付き、手に小さな木札を握らせる。
「買い物の合間に教えて戴けませんか?」
と、小声で短く伝える。
渡したのは此方が知りたい情報のリストが書いた木の板だ。
「言葉だが、丁寧な言葉を話す必要はない。 寧ろ長くなって無駄だ。
商人をやると考えた時から気にしないことに決めているので大丈夫だ。
それと、情報なら、この女を連れていけ。」
「では、対等な言葉で失礼致します。 ヨハン。」
大柄な女性が会釈する。
ドラコさんが馬車脇から見ているが、此方のやり取りまでは聞こえていないようだ。
――この女性、大柄だがとんでもなく美少女だ。
サラサラとした赤髪のポニーテールが風に揺れる。
綺麗な頬の丸みと気品のある顎のライン。
丸っこい顔で、気が強そうな可憐な顔付き。
貴族と関わる程の美貌は、気品ある佇まいでより一層引き締まった美しさを湛えている。
大柄な体から、時折羽音と思しきバサバサと言う音と、クルルルゥというなにかの鳴き声の様な音が聞こえるが……
深い紺色のマントが全身を包み込んでおり、中がどうなっているかは解らない。
――色仕掛けが心配になる……
それ程の美人さんだ。
信じるか、悩む。
――二重スパイの可能性……
ヨハンは既に革命軍に籠絡されており、この美少女は革命軍の手先で、幅広く情報を集めているとか、無いよな?
こういう時の判断は予備知識不足の俺には荷が重い。
貴族の当たり前を知らなければ、異常な仕草やボディランゲージに気付けない。
となると、嘘を見抜けない。
貴族社会含めた常識、知識を持つカロが居ないのが痛い。
的外れなことを気にして、ズレた判断をしそうだ。
今回はスルーだ。
「次に1か月後に来る。 その時に検討しよう。」
「……疑っている様だが、俺はお前の村の名前も知っている。 今更スパイを送り込む理由は無い。
俺の家族は新しい領主に殺された。 今対話した方がお互いに得がある。」
と、ヨハンが少し焦った顔で手短に言う。
状況をもう少し知る必要があるだろう。 ならば、と質問を続ける。
「ヨハンは村に来れないのか?」
「監視されている。」
成程。
「念の為ですが、この女の人は信用できる……って事で?」
「うちの乳母の娘だ。 兄弟同然だ。 俺も彼女の為なら命を懸ける。」
あの大柄の美少女はゆっくりと俯くと
「軽々しく命など懸けないでください。」と小声で呟いているのが聞こえた。
双方向の信頼関係を感じるやり取りだが、それを信じるかの情報すら足りないのだ。
警戒と共に質問を続ける。
「急ぎますか?」
「急ぐ。 が、少しなら待てる。」
前回のやり取り、やつれて疲れた顔、……食料が余程足りない状況が伺える――
察するに、余程革命後の体制側から締め付けられているのだろう。
「1か月後だと長いですか?」
「長い。 人が死ぬ。」
1か月持たない?
俺達が居なかったらどうなったのだろう?
他の貴族たちはどうしているのか?
――いや、共産主義革命ならこのくらいやりかねない……
前世の歴史上の共産主義活動家が、ブルジョワと見なした相手にどのような事をしたかを思い出す。
ドラコさんを一目見やる。
商品の鞄を見ている。
「例えば、ワイバーンが来たら、安全に隠せますか?」
ヨハンの目がやや痛快に興奮し、驚くように見開かれた。
俺たちがワイバーンを持っているのは予想外だったのだろう。
そして笑うように目を閉じて言う。
「ふふっ。 流石に無理だ。」
――ワイバーンでの臨時会合、物資輸送は無理か。
一刻を争うなら…… 此方もリスクを取るか迷うところだ。
こういう時の恩は心に残る。
ヨハンは我々にとって貴重な情報源であり、食料取引の上客候補だ。
今ならこちら側はいくらでも誤魔化せるだろう。
「相手が貴族だなんて知りませんでした」で済むか……いや、微妙か。
が、このまま碌に情報も聞かず、革命の状況がどの様に進むか推定する情報源も得られないのは危険だ。
賭ける価値は有る様に思う。
「ドラコさん、この女性を馬車の中へ。」
「ん? 馬車の中?」
ドラコさんが戸惑いつつも馬車の中を準備する。
大柄の美少女はヨハンに向き合い軽い会釈をしているが、目が潤んでいる。
別れの挨拶だろう。
互いに短い別れの言葉に小声で訊く。
「ヨハン、食料が足りないなら村に来ても問題ないぞ。
商人の馬車の中に紛れれば監視も誤魔化せないか? 来れない理由でも有ったのか?」
「私も簡単に人を信じれない。 信用できる商人も少ないし、ここのところ商人の往来も少ない。
まずは待つしか無かったんだ。」
なるほど。 それに俺達とも一回会ったっきりだ。
村に行ったとして、大勢に囲まれて脅される事なども心配する、か。
「街から出るのは禁止されてるんですよね?」
「禁止はされていない、が、許可を取るのが難しいのだ。 細かい説明が要る。
それと、護衛を連れて行くのが難しい。 護衛や兵を連れて街の外には出れないのだ。」
行き先、戻り、従者の数、荷物、これらすべてを説明する必要が有るらしい。
場合によっては役人が同行するという。
同行まですると言われると、此方も少し困る。
今のウチの村の状態を見られたら、大喜びで税を取りに来かねない。
そういう意味ではヨハンにもウチの村のすべてを見せる気はない。
状況が変わった場合にどう出てくるか解ったものではないからだ。
「じゃあ、護衛は此方が受け持ちます。 目的は、食料の取引にしましょう。
初対面の女性一人だけ連れて行くのは余り良いことでは無いでしょうし、ヨハンも同行して下さい。」
ヨハンは少し考えて答える。
「願ったりだ。 外に出たい。 明日の三の刻、宿屋迄迎えに行く。」
ヨハンが続けて女性に向かい、「マリア、戻れ。 明日になった。」と言う。
マリアさんと言うらしい。 ほっとした顔になり、ヨハンの元に小走りで戻る。
女の人だ。 なんだかんだで不安だったのだろう。
俺が口を挟む。
「了解。 問題があったら此方から行けるように住所を教えておいてほしい。」
恐らくそれなりの貴族なのだろう。
どうせ名前を出せば行けるだろうし、誤魔化しはすまい。
「……だが、うちの家に来るのはまずい。
俺の名前を出せば本屋の人間でも武具屋の人間でも教えてくれるはずだ。
ただ、来るのはまずい。 これ以上殺されるのは……忍びない。」
「誰か殺されたりしたのですか?」
「ああ。 執事が連れ去られ、帰ってこない。
武具の配達を頼んだだけだったが、それが気に食わないらしい。」
「そうですか……。」
息を呑む。
――……思ったよりも貴族は厳しい目に遭っている様だ。
ヨハンは有力貴族として目を付けられ、特別厳しく扱われているのだろうか?
確かに、このヨハン、少年でこれだけ交渉できるなら優秀な気がする。
それに平民を変に差別もしない。
理に適った判断が出来る人物だと思える。
それに、他に貴族でここまでの行動を起こしている者が居ない時点で、この歳で在りながら行動力も状況理解力も高いのは疑いない。
察するに、屋敷に人を呼ぶだけで人が殺されるとなると、相当締め付けられている。
そんな状況で、御用商人と取引も出来ず……
――だから食料も買えずに……
追い込まれている理由と状況が想像でき、諸処の言動を納得できた。
住所を教えるのも命懸けの選択……。
状況を鑑み、十分な担保と考える。
此方の不安を理由にこれ以上追い込むのも、気の毒だ。
甘いかも知れない。 が、一旦、これ以上の担保は望まない事にした。
「了解した。 明日の三の刻に宿屋だ。 鞄は肩掛けのを二つ貰おう。 それとナイフセットを貰おう。
他にお勧めはあるか?」
「魔道ランプだ。 夜も馬車で走れる。 最低でも20mくらいは前方を照らせる。
上手くすれば100m近く見渡せる。 金貨13枚だ。」
袋が渡された。 中にはランプが6個も入っている。
万力がついているランプか。 馬車の御者台にランプを掛けるフックがあるが、
これは木の棒があればどこにでも付けられそうだ。
前世の自動車のLEDのランプの様に、光盤が光の方向を揃えるように一列に並んでいる。
正直高いとしか思えない……が、夜に馬車で走れる…… それって結構大きい事ではなかろうかと思い直す。
ワイバーンはある程度寄る目が利くが、基本的に鳥目で、夜間の飛行はかなり制限される。
逃亡時を想像するに、必需品だと思うのだ。
「あまり金が無いので物々交換だと助かる。 食料と交換でどうだ?
若しくは、一つ提案がある。」
「……ほう。」
「畑を経営しないか? 召使いを何人か村の周辺で畑仕事をさせるんだ。」
「……ふむ。」
顎に手を当て考える表情に、こちらの提案が刺さっている様に見える。
「食料も毎回買うとなると、何時かそちらの財産が尽きるだろう。
今回の金額分に関しては、長い付き合いで埋め合わせれると思う。
ただ、農民と農業、虫や魔物に抵抗が無い人じゃないと無理だとは言っておく。
設備が整うまでは、風呂等もそうそう入れない。 釜で沸かした湯で拭くのがせいぜいだ。」
俺の提案にドラコさんも頷く。
「農業は誰でも出来ると思われてる節が有るが、実際は奥が深く、天候や植物が罹る病気の心配も有る。
虫に食われるし、雑草取りも大変だ。 動物も、魔物も来る。
だから一回で成功するとは思わない方がいい。 だけど、早く始めれば、早く成功できる。」
頷きながら聞くヨハンも、思う所は有るようだ。
役人達は、貴族達の収入を絶っているのは間違いない。
お金を稼げず、ジリ貧の行く末に不安を感じないはずは無い。
「此処最近で聞いた話では一番前向きな話だ。 だが、元手に金は掛かるだろう?
農業をやるにも家と水を引く水路等も作る必要があるだろう?」
「出資に関しては、魔導ライトと、……本当は武具と、魔導具を作る道具なんかが欲しいんですが……。
それが貰えるなら小屋と畑、簡単な指導位までは出来ると思います。
ウチもそれ程余裕は無いですが、農家をやる人達の今年の食料位は出せます。」
本当は食料には売るほど余裕が有るが、軽く考えられ、過剰に宛てにされても互いに不幸だ。
「魔導具を作る道具か……。
魔導具となると、カラマンディか、ウチの国だと東北部の職人の街が有名だが、もう商人が来なくなっている。
場合によっては値上がりしていくだろうな。 道具は……声を掛けてみよう。
貴族の中に持っている者が居るかも知れない。」
カラマンディはカラベルの南にある国で、ウルから南に行った辺りで国境を接しているはずだ。
魔導具が有名だとは知らなかった。
※ 全体地図
「僕らが持っている道具でも殆どのものは作れると思うんですが、特殊な細工の道具が無いんです。
あったら教えて下さい。」
「了解した。」
――不思議と信頼関係が生まれつつある気がする。
信頼できても、相手の行動に知性が足りないと、こういう信頼関係は生まれない。
見ている限り、ヨハンは思慮もあるし、なにより割と慎重だ。
人間的に信頼できても、
だまされやすい人とか、
調整できない人だとか、
思慮の浅い人だとこういう場面では
「信頼するに足りない」。
監視と思しき人の動きは特に見受けられない。
恐らく商売中の、しかも平民とのやり取りはあまり注意して監視しないのだろう。
周囲に緊迫した空気は無い。
ここでのやり取りに関しては、監視も手薄に見える。
逆に、だからヨハンはわざわざ毎回貴族街から離れてまで此処に来るのだろう。
◆ ◇ ◆ ◇
街を歩き、武具屋や道具屋を見ると夕刻の頃にもなる。
宿の食堂で肉を食べて元気を出して、一泊しようと宿へ進む。
いつもどおり、温かい肉料理を皆で楽しむ。
初めて食べる女の子達や、エストリック、デニスは目を見開いて味わっていた。
が、やはりかなり……想像以上に食事代が値上がりしていた。
いつもなら銀貨1枚の内容で、銀貨4枚という値段に、俺とドラコさんはテンションがだだ下がりだ。
一気に4倍に値上がり……。
本屋の店主が言っていた食料の分量は、値引き分と相場通りだったのだ。
しかも、市場小売価格での申し出であり、此方に有利な価格での依頼だったのが解る。
これは正直者にバカを見せてはいけないな、という気持ちになる。
渡しに行くときは色を付けてあげるべきだろう。
――折角本屋で値切ったのに、食事なんかで銀貨4枚も……
そんな事を知らないエニスとアストリッドは頬を膨らませ、ん~! と言いながら頷き合う。
この二人は絵になる。
心の整理がつかずとも、ひとまずお金のことは忘れるように務める。
しかしながら、女子も含めてよく食べた。
普段お転婆と女子力を同居させた『おしとやか系腕白女子』のアストリッドも、腹をパンパン叩いて、ふお~ と言いながら階段を上っている。
フランとフィンはゆっくりとデザートを味わっている。
……次から行商の同行枠は争奪戦になりそうだ。
が、お金が掛かると言う新たな問題が立ち塞がるのは確実だろう。
――ここの店主も食料をお金代わりに受け取ってくれないかな?
と、考えつつ、この日は眠りについた。
準備が必要だ。
これは、今までの交渉とは少し毛色が変わってくる。
◆ ◇ ◆ ◇
翌朝、三の刻、数分だが少し遅れてヨハンが現れた。
昨日の女性は昨日と全く同じ感じで付いてきている。
二人とも馬車に乗ってもらい、街を出る。
――長い話になりそうだ。
こんなにとっつきにくい作品なのに読んで頂き、誠にありがとうございます。
できましたらブクマ、いいね、評価、感想等、宜しくお願い致します。
誤字報告大歓迎です。 いつも有難うございます。 (*^^*)




