転んでも
ウルの街への行商から数か月。
頭の中では色々な心配が渦巻いている。
突然軍が村に来て略奪を始めたり、若い娘たちがみんな連れていかれたり、俺達も奴隷に落とされて工場のようなところで報酬も貰えずに働かせられるんじゃないか? 等、恐ろしい未来が頭をかすめる。
そして、俺もそろそろ体が出来てくる。
武器を使った戦闘の、基本動作くらいは練習し始めた方が良いのではなかろうか?
と考えた。
大分前にカロと一緒に本屋で買った『槍と生きる』を開く。
「地味な始まりだなぁ。 判っていたとはいえ……。」
型の部分、前にサラッと見た時は、まあ、こういう本が良いんだよな、
と思ったもんだが、いささか教えがシンプル過ぎる。
教え自体も異常なシンプルさを誇っている。
『回し』
『突き』
『払い』
この三つだけ繰り返しやれ。
・回し: 槍の穂先で直径2~30cm程の大きさの”〇”の軌道を描く。
・突き: 鋭く穂先を前に突き出す。
・払い: 敵の攻撃をいなし逸らす、敵の構えを逸らし隙を作る。
そこから工夫するような技は紹介されているのだが、単純に見ただけでは応用編で紹介される大技等の動きとはなかなか関係している様には見えない。
大技というと、槍の石突を利用して飛び上がり、打点の高いところから振り下ろす様な技、
殿等を務める際に便利そうな、バックステップしながらの突き上げと付き下ろし。
――なかなか練習も地味になりそうだなぁ……
少しげんなりしながら、書いてある内容を頭の中で整理した。
そして、基本動作の中でも分かり辛い『回し』という技法だが、
これは主に相手を「崩す」時に用いる技で、この本の中で大変重視されていた。
相手の槍を上から押さえつけながらくるりと手首を返し、絡め捕るように相手の槍をコントロールする。
それを下からやったり、上からやったり、色々なバリエーションで敵を妨害する。
その技法を効率的に練習する為に、『回し』という基本動作が考案された様だ。、
それをとにかく繰り返しやる、という事になる。
「こうか……?」
昆を使って練習してみる。
槍先だけをぐるぐる回してみる。
『木の太い幹に穂先を付けながらやると、負荷が高まる』
と書いてあるのでやってみると、薄く”〇”の形の傷が木の幹に描かれる。
「足が……腹筋が、疲れる……。」
そうなのだ。
兎に角体幹の軸が小刻みに揺れるのだ。
手首、肘、肩、胸、腰、膝、足。
全てが疲れる。
「うぁぁぁぁ…… これはキクなぁ。」
10分もやると、腹筋も悲鳴を上げ始めた。
丁度丹田の辺りにかなり力を入れないと出来ない。
――どっしりとした構えが、自然に身に付きそうだ。
スリスリスリスリ……と、小さな音が聞こえてくる。
木の幹の”〇”は、まだまだ薄い。
次に、『突き』。
突き、これはやれば判る。
なんて事の無い動作と言えば、なんて事の無い動作だ。
しかし、とにかく足の裏を意識し、踏み込みを鋭くする必要がある。
俺の体は未だ小さい。
その為、昆にすらまだ振り回される感覚がある。
「後ろ足のつま先で地面を蹴るためには、
前足の体重が腰のあたりで溜められていないといけない……」
ぶつぶつ言いながら練習する癖が付いてしまった……。
やってみると判るが、運動と言うのはシンプルなもの程質に拘れるものだ。
質に拘るなると、頭を使わなくてはいけない場面が多々出てくる。
「このタイミングで引き始めないと、連続した突きを繰り出す場合に鋭くならない……。」
突きながら、ピッ……と音が鳴るかのようなキレを出す為には、色々と工夫の余地がある事に気付く。
こうやればもっと良くなる、もっと、いや、ここも……
突き出す動作と、引く動作。
突き出す瞬間に、もう引く動作を考え準備する必要がある。
……
突きと引き、腰を落として丹田を落ち着かせ、続ける。
折角なので、『回し』で付けた木の幹の”〇”の中心を狙って突く。
細かく、鋭く、強く、横に払われても崩れない様に体幹を安定させて…… 突く!
……
楽しくなってきたところで、もう一個あったなと、思い出す。
『払い』だ。
最後の『払い』だが。
これは体重移動が非常に重要な技である。
原則、この払いは自分よりも大きく、重い相手に使うのは困難な技である。
てこの原理が働くわけだ。
槍という長物は支点、力点、作用点の距離が長い。
他の武器に比べて格段に長くすることができる。
自分の槍に対して、この『テコの原理』を有利に働かせようとすると、短く持つことになる。
槍は長く持ってこその武器である。
短く持った状態で『払い』繰り出す事が、果たして槍を十分に使いこなしていると言えるだろうか?
それは否である。
そこで、二つの技法がある。
「相手の上を取る。」「相手の力、体重を使う。」である。
これは、最初の『回し』と組み合わせて使う事で実現する。
例えば、相手の体制を崩したうえで相手の槍の上を取って、抑え込んだ状態ならどうか。
相手の攻撃の力の向きを『回し』で逸らした上で『払った』らどうなるだろうか。
例えば突きを繰り出してきた相手に対して、『回し』、からの『払い』をやったらどうだろうか。
これをすると相手の態勢は大きく崩れる。
この様な状況を作り、此方も大技を繰り出すことが出来る様になる。
……
これらが基本編として重要とされている事項だった。
全部読むと「なるほど……。」と深い感嘆を感じざるを得ない。
地味だと思っていた全ての教えが輝いて見える。
然しながら、『回し』……
これをやるのは幼少のころからで良いと俺は思った。
なので、明日から毎朝遣ろうと思う。
――ちょっとやって判った。
『回し』を繰り返しすれば、どっしりとした構えが自ずと身に付くことになるのは明白だった。
小刻みな動きに、体の重心をコントロールする下半身の土台が自ずと働く。
結果、重心が低く、安定した構えと下半身が身に付く。
しっかりとした構えこそ、全ての武道に通じる第一歩なのだろう、と思うからだ。
……しかし、明日からの筋肉痛を思うと少しげんなりした。
しかしながら、体を動かして頭がスッキリしたところで魔術の練習をした方が、効率も良かろう、との想像に、俺は小さな拳をぐっと握るのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
「魔法が…… 出ない……。」
今日も俺はベースに一番乗りだ。
木の実を取り終え、槍を訓練し、魔法を…… もう、これ魔法の練習じゃない。
――精神修行だ。
そろそろ悟る。
いや~、俺は駄目なんかなぁ。
槍……
しかし、何か、槍の練習を始めてから「違う」感じがし始めていた。
体の感じだけでなく、なにか、こう、魔力的な。
台地の上に、なにか『立っている』感じ、『地面に刺さっている』感じと言えば良いだろうか?
――なにか、体幹が安定した感じ。
何か自分の内的な変化を示唆する感覚が芽生えていた。
「魔訶販慶昆財涯蔡品上郭寂架~災慢謝~……」
ゆっくりと呪文を唱える。
丁寧にゆっくりと…
?
うん?
と感じ始める。
――何やら体の中の魔力?
……形の無かったものが、固まっていく感じがする。
脳天に突き抜けるような冷たい感覚が上に上にと上がっていく……
――空気が……揺れた?
目に見えない変化……が、イメージした場所の辺りに、
なにやら歪んでいるかのように見えた。
あの、サーモクライン現象が固まった感じで、光が少し歪んで動いているのが見える。
……
「……埜架酢子環涯……師未月繊……」
ゆっくりと続ける。
未だ何も起きないか……
――でも、これ迄とは明らかに違う現象が起き始めている!
興奮した……
手が震える。
歯がガチガチよ鳴った……
フュン……っ……
どうも、空気が歪んだかのように一瞬見えた…… が、一瞬で戻ってしまった。
――こういうノイズは駄目なのかもしれない…… 気を付けないと。
集中集中!
「諦めるのはいつでもできる。」
と、気を取り直す。
小さな手ごたえだが、なにやら変化の兆しなのではないか? と、淡く期待する。
「俺はまだ小さいんだ……時間は有る。だからもう少しだけやってみよう。」
と気持ちを新たに、もう一回、もう一回、と心を集中した。
◆ ◇ ◆ ◇
あれから3週間程、あの「ゆっくり唱える練習」を繰り返した。
仮説を立てる。
体質なのだろうか?
俺は先に魔力を準備しないといけないのか?
魔力が少ない事なんかが関係しているのだろうか?
マヨネーズが残り少なくなった状態のチューブを想像する。
あんな感じか……
明るい未来は見えない…… がっくりする。
落込んだ時、腕輪を撫でてみる。
思い出を噛みしめてみる。
4歳の、あのエルフの女の子を助けた時の思い出。
……
続けていると、段々と空気の揺れがはっきりとしていくのが判った。
地面に近い辺りに狙いを付けてアレをやると、土埃があの歪みの形で立体化するのだ。
――ひょっとするぞ!
呪文を唱え終え、放つ感じをそのまま地面に向けた……
シュパッ……!
……カボチャの種の3倍位の大きさで、地面が明らかに抉れていた。
一瞬時が止まった気がした。
「……お!?」
俺はオッオッ言いながらベースの周りをぐるぐる走り回り、その後何故か森に向かった。
感動に、俺は正気を失っていた。
気付くと小高い木の上に登っていた。
だが、心の中は一つの言葉で満たされていた。
――これが魔法!
よかった……
努力が無駄にはならなそうだ……
俺の努力は……
小さいが、少しづつ報われ始めていた。
◆ ◇ ◆ ◇
これまでやっていた努力のせいか?
腐るほどの魔法の詠唱練習、それを通じて不思議なコツを掴んでいた。
無詠唱での魔術顕現が、やってみたら直ぐに出来てしまったのだ。
狙いを定め、空気の塊の動きを想像しながら念じる。
ビシッと音がして土が抉れる……
それを数回繰り返す。
体がか何かが抜ける感触。
その後に来る空気の動き。
タイミングがある様だ。
魔力を「準備」して、ギュっっと腹に力を入れて、スイカの種を飛ばすときの様に軽く気張る。
そんな感じだ。
感覚を感じ取り、ヘトヘトに体の「何か」が無くなるのを感じると、ぐったりと体が重くなる。
時々、その感覚と共に眠る様に意識が無くなる時がある。
恐らくだが魔力を使い果たしたのだろう。『魔力枯渇』の症状だ。
前にペーターが熊の魔物と戦った時に眠った気絶の様な現象、アレが俺の身にも起きた事を理解する。
「こんな感じなのか!」
無性に笑いがこみ上げてくる。
自分の笑い声を感じながら、笑いが俺の顔を支配している。
その反面、気付いていたことがはっきりしてしまった悲しみも感じていた。
しかし、恐らく…… いや、確定だろう。
あの魔法鑑定でもわかっていた事だ。
俺の魔力は相当少ない。
――2発も放てばフラフラになる。
訓練で増やせるとしても、どこまで増やせるか……
逆に、魔力の少ない子でも、この方法ならひょっとしたら上手く行く可能性もある。
――転んでも、只では起きないぞ……
と、小さな拳をぐっと握り締める。
気付くと、付けていたエミーナさんから貰ったブカブカの腕輪はじんわりと熱くなっていた。
こんなにとっつきにくい作品なのに読んで頂き、誠にありがとうございます。
できましたらブクマ、いいね、評価、感想等、宜しくお願い致します。
誤字報告大歓迎です。 いつも有難うございます。 (*^^*)




