サニーレタスで人助け
築30年。鉄筋コンクリート造りの3階建てマンション。駅から徒歩5分。
その2階に僕は住んでいる。マンションの隣りには、細い道を一本はさんで4階建のビルが建っている。
そのビルの2階には、せきクリニックという病院が入っている。診療科目は消化器内科と内視鏡内科。
ある土曜日、僕は朝9時に起きた。ベッドに座ったままカーテンを捲る。
せきクリニックの診療が始まっていた。
この時まで全く気づいていなかったのだが、クリニックの診察室が、僕の部屋から丸見えだったのだ。
しかも患者が窓の方に顔を向けて座っている。
プライバシーがない……
と、思った。
診察室にいる患者に目を向ける。
紺色の服に身を包んだ30代くらいの女性だった。
消化器内科を受診するくらいだから、お腹の調子でも悪いのだろうか。
でも、僕には関係ないことだと思い直し、背伸びをし、ベッドから下りる。
♡♡♡
翌週の土曜日も僕は、朝9時に目覚めた。何気なくカーテンを捲ると、せきクリニックの診察が始まっているのがわかった。
診察室には女性が座っている。
それは先週見た女性だった。
僕の視力は、とんでもなくいい。サバンナでも遠くにいるライオンを見つけられる自信がある。
だから見間違えるはずはない。
先週、紺色の服を着ていた女性は、今日は黒い服を着ていた。
今週も受診しているということは、内視鏡内科で、せきクリニックに通っているのかもしれない。
どこかにポリープでもできたのだろうか。
ちょっとだけ、女性のことが心配になった。
そんなことを思っていると、診察室にいる女性と目が合ってしまった。即座に目を逸らしたら、明らかに不審者になってしまうような気がして、僕は軽く頭を下げた。
すると女性も微かに頭を下げたように見えた。
ちょっとだけ距離が近づいたような気がした。
♡♡♡
そのまた翌週の土曜日。
8時に起きた。
せきクリニックが入っているビルの1階には、個人経営のスーパーが入っている。
9時前になり店員がバタバタ音をたてながら開店準備をしている。
朝食を食べ終え、洗濯が終わるまでやることのない僕は、部屋の窓から開店準備を見ていた。
この個人経営のスーパーは、かなり羽ぶりがいい。
わざわざ車に乗ってやって来る客もたくさんいる。
値段は全国展開しているスーパーに比べると高めだ。でも、たまにお買い得商品があったりする。
(バナナ100gあたり33円とかブロッコリー100円とか、きゅうり3本で99円とか)
そのお買い得商品は店の外側に陳列されるので、気になる商品があると、僕はそのスーパーに向かう。
店員がカゴを乗せた台車を押してやって来る。
おそらく今日のお買い得商品が入っているのだろう。
店員がカゴから品物を並べていく。
レタスとサニーレタスが山盛り出てきた。陳列台にそれらを並べ、店員は値札を置く。
〈お買い得!! レタス、サニーレタス 100円〉
レタスもサニーレタスも葉が瑞々しくて新鮮そうだ。そして大きさも立派だ。
――よし! 買いに行こう!
明日から、しばらく、うさぎみたいな食生活になるけれど。
家を出ようとすると、ピーピーピーと洗濯機が終了を告げる。
出かけようとしていた足を止める。
洗濯物はすぐに干したい主義なのだ。皺になるから。
洗濯物をどんどん干していく。
三日分となると、それなりに量もある。
最後のタオルを洗濯バサミで挟んで顔を上げた時。
せきクリニックの診察室が目に入った。
診察室にいるのは、やっぱりあの女性だった。
今日の服はネイビーブルー。
♡♡♡
家を出て、隣のスーパーへ向かう。
その間も、僕の頭の中では、せきクリニックに毎週、土曜日、午前9時に通院する女性のことを考えていた。
――重い病気?
手術を受けたものの、経過がよくないとか?
週一で投薬治療してるとか?
いろいろ妄想する。
スーパーに着くと、お買い得商品のレタスはすでに売り切れ、サニーレタスがぽつんと一つ残っていた。
――しまった! 洗濯、後にすればよかった!
そう後悔しながら、最後のサニーレタスに手を伸ばす。僕の手がサニーレタスに触れかかった時、色白の綺麗な手が伸びできた。
サニーレタスの上で手が重なり合う。
「あっ! すいません」
「ごめんなさい!」
僕と女性の声が同時に聞こえた。
女性の持っているカゴが目に入る。
トマト、オリーブオイル、白身魚のパック、セロリ……
そのまま顔を上げるとネイビーブルーの服が目に入った。
♡♡♡
小動物のような潤んだ瞳、小さな鼻と口。
せきクリニックに通院している女性だった。
「サニーレタスどうぞ」
僕は言う。それを聞いて女性はとんでもないというように、胸の前で小さく手を振り「いえ、でも」と言う。
「本当にいいので」と力を込めていうと、女性は「すいません」と言って、サニーレタスを手に取りカゴに入れた。
そして、微笑んで軽く頭を下げる。
それを見て、僕がしたことは間違いでないと思えた。
彼女が健康になるための手伝いができたのではないか。
そう思うと、ちょっと幸せな気分になった。
読んでいただき、ありがとうございました。