もう一人の存在
ディクトが暴れ馬を落ち着かせたその日の夜。
(全く、無茶をするやつだ)
俺は、ベッドに横たわる自分に向かって話しかけていた。
「だって、あのままだったらお馬さんがかわいそうだったんだもん」
(……本当に昔から変わらないな)
「昔って?昨日のこと?」
(いやもっと……もっと前のことだな)
「そんなに前からボクのこと知ってるの?」
(ああ、知っている)
「それなら昔のボクってどんな子だったの?」
(そうだな。優しくて、強い子だった)
「そうなんだ。ねぇねぇ?今のボクは昔のボクよりも強くなっているかな?」
(うーん……比べることは難しいな。だけどきっと強くなるさ。お父さんやお母さんたちの言うことをちゃんと聞いていればな)
「うん、ボクちゃんと聞くよ……」
(眠くなってきたか?)
「ううん……」
ディクトは眠りに抗うように目をこする。
(ふふっ、強くなるにはよく眠ることも大事だぞ)
「うん……おやすみ……」
(ああ、おやすみ)
そう言うと、ディクトの意識は眠りへと落ちていく。
(随分と大きくなったな)
今日のことを振り返っていると、俺はまるで父親気分になってしまう。
目覚めてからというもの、誰よりも一緒に居たからな。
成長もずっと見て、いや感じてきたんだ。
もう一人の自分というよりは息子に近い。
俺はふと昔のことを思い出していく。
すると、日本での日常の風景が昨日のことのように思い出された。
どうやら女神さまが言っていた浄化されなかった部分が前世の記憶だったらしい。
最初は戸惑ったものだ。
どうせならまっさらな気持ちで生まれ変わりたかったと思う。
その理由は簡単、この世界に馴染めないからだ。
目覚めたとき、耳から聞こえた言葉は英語でも日本語でもない聞いたこともない言葉だった。
文化レベルも低く、テレビもラジオもない。
当たり前だったものが当たり前ではなくなっている。
俺はこの世界でひどい孤独を感じていた。
そんな中でのただ一つの希望が、相棒の存在だ。
俺は相棒に全てを預け、彼の目を通してこの世界を見ていくことにした。
そしてディクトと名付けられた彼が学び、成長することで俺自身も言葉を理解できるまでになった。
それにどうやらディクトは馬の特性を残したまま転生したらしい。
ニンジンやバナナを好み、馬との意思疎通も可能だ。
そのおかげで俺も馬の言葉が分かるようになった。
これはホースマンとしては嬉しいものだ。
そうして月日が過ぎ、相棒の成長を心から嬉しく思っていると、
「ねぇ?きみ、だれ?」
ベッドで横になっているディクトが俺の存在に気づいたのだ。
驚きもあったが、それ以上に感動を覚えた。
存在を認識してくれるということがとても嬉しく思えたからだ。
「ねぇってば」
(あ、ああ……お、私は……)
自分というものをどう説明していいかわからない。
俺が言葉に詰まってしまうが、構わず言葉をかけられる。
「なんだか胸の中がいつもとってもあったかいんだ。きみがいるからかな?」
(それは良く分からないが……)
「きみのおなまえは?」
(名前か……ないな……)
「それじゃあボクがつけてあげるよ。だからおともだちになってほしいな」
(それは嬉しい、よろしく頼む)
「やった!それじゃぁねぇ……」
ディクトがうーんと悩み、考えた末に、
「トーマなんてどうかな?」
一つの名前を付けてくれた。
(……)
俺はその名前に絶句した。
「あれ……?気に入らなかった?」
いや、とても気に入ったよ……
「それじゃあトーマよろしくね!」
(ああ……)
偶然の出来事だとしても、まさか前世での名前を付けてもらえるとは思わなかった。
(ありがとう……)
いつの間にか眠っているディクトに感謝を込めて呟くと、
「えへへ……いいよぉ……」
寝言を言いながら微笑んでくれたのだった。
ちゅんちゅん……
鳥の鳴き声と同時にボクの目が覚めた。
と、同時に牧場へと遊びに出かける。
「おはようみんな!」
(おはよう!)
(今日も元気ね)
(今日は私に乗ってよね!)
牧場のみんなと挨拶をするのは欠かせない。
今日は可愛い子に乗せてもらって気持ちいい風を堪能してから、お母さんの作ってくれた朝食を食べた。
(ちゃんと準備はしているのか?忘れ物はダメだぞ?)
(分かってるよ。えーと国語に社会の教科書にノートに筆記用具と……)
ボクがその存在に気づいたのはいつだっただろう?
とてもよく知っているようで、全く知らない気もする。
ボクの体の奥深くにいて、何かで繋がっている、そんな存在に。
朝早くから馬と遊んでいると、いつの間にか学校の時間までギリギリとなってしまっていた。
ボクは急いでお母さんが縫ってくれた馬の刺繍が入ったカバン、その中に必要なものを入れていく。
「よし!大丈夫!」
ボクは部屋を飛び出して、リビングに向かう。
そこには一仕事終えた家族のみんながゆっくりと過ごしていた。
「ほらほら!さっさと行かないと遅れちまうぞ!」
「分かってるよ、お父さん!それじゃあ行ってきます!」
「気を付けていってらっしゃい」
「はーい!」
お父さんとお母さんに挨拶をして家を出る。
すると草の匂いが鼻をくすぐってきた。
この匂いがボクは大好きだ。
そしてボクは坂道を走りながら下っていく。
学校へ遅れないために。
「しかしディクトも十歳か。大きくなったもんだな」
「サイレスさんに似ずカッコよくなりましたね。学校では結構モテてるみたいですよ?」
父親のサイレスが感慨深げにつぶやくと、タスクがからかい始めた。
「てめぇ!最近彼女ができたからって調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
「そ、それは関係ないでしょ!」
思わぬ反撃を喰らい、顔を赤くしてしまう。
「ふふふ……でもあの子は相変わらず、馬のことにしか興味が無いみたいですよ?」
そんなやり取りを笑顔で見ている母親のハーイアは、少し困ったように首をかしげる。
「まあまだまだ子供だよ。その内興味を持ち始めるさ」
「ひ孫も見たいもんだのう」
「もう……気が早すぎますよ?お義父さま」
ハーイアが祖母のシエル、祖父のヘーロイと笑っていると、
「ふぇぇぇぇん!」
子どもの泣き声がリビングに響いてきた。
「あらあら?起きちゃったかしら?」
「ははは!大好きな兄ちゃんが行っちまったのが、わかるんだろうよ」
その声の主は四歳になるディクトの妹で、名前はティルという。
「よしよし……お兄ちゃんが帰ってきたらいっぱい遊んでもらいましょうね?」
そう言って頭を撫でてあげると、再びすやすやと眠り始めたのだった。
「えーではこの国の歴史を学んでいきましょう」
街の学校になんとか遅刻せずに到着すると、友達と話すこともできずに授業が始まった。
おじいちゃんみたいな先生が教科書を読みながら、黒板に文字を書いていく。
ボクはそれを見て、ノートへと書き込んでいた。
「二国間の戦争が終わりを迎えたので、多くの騎士たちが存続の危機になりました。このままでは不満を持つ将兵が反乱を起こすかもしれません。そのため王様は騎士という職を細かく分けていったのです。それが国内の治安を維持する盾の騎士団。闘技場で武を競い合う剣の騎士団。盤面にて戦いの勝敗を決する智の騎士団。そして馬とともにコースを駆け巡る翼の騎士団。それがこの街に大きく関わっている騎士団ですね」
「この街は翼の騎士団の半身である馬を育てています。そして馬主の方がこれはと思う馬を買っていただき、走り方を調教師に学ばせて、翼の騎士が騎乗して速さを競うレースを行います。そして栄えあるレースを勝ち!この街に再び栄誉がぁぁぁ!」
興奮してしまうおじいちゃん先生。
ボクはまたかと笑ってしまう。
それというのも、この街の馬たちは最近では目立った成績がない。
昔は、大きなレースを勝ったこともあるみたいだけど。
「はぁはぁ……おや?時間ですか……それでは授業を終わります……」
トボトボと足取りを重くして、先生は去って行った。
「相変わらずだね!あの先生!」
隣の席の女の子、ローゼリアが元気に話しかけてくる。
短めの赤い髪が特徴で、気が強いけどとても面倒見のいい子。
「あははは、とっても好きなんだよ。お馬さんのことが」
「いやぁ……あんたには負けるわよ?いくらなんでもね……」
「そうかな?」
「あんたの話す内容のほとんどが馬のことなのよ!そのおかげですっかり私も馬の健康状態から恋愛事情まで詳しくなったじゃないの!アルとスーがラブラブなんて羨ましい限りだわ!」
「あっ……昨日アルとスーは別れちゃったんだ……」
「えっ!?あんなにラブラブだったのに!?」
「うん……価値観の違いだって……」
「儚いものね……って結局馬の話じゃないのぉぉぉ!?」
ボクたちが楽しい話をしていると、
「お前らは相変わらずだな?寝れやしない……」
前の席の男の子が振り返ってきた。
茶色い髪はボサボサですごく眠そうだ。
「なによ、デュラン」
「好きなら好きって……」
「はぁぁぁ!」
バシバシ!
往復ビンタがデュランの頬を襲う。
「いでぇぇぇ!何しやがんだ!?」
「目を覚まさせてあげたんだけど!?」
「おかげさまでばっちりだよ!この暴力女!」
「やかましいわ!無気力野郎!」
そうやってけんかするのを止めるのがボクの仕事なのだ。
そんな楽しい学校の時間が終わり、家へと帰る。
「ただいま!」
「にいちゃ!」
「お帰りなさい」
するとお母さんと妹が出迎えてくれた。
「ティル、いい子にしてたかな?」
「してた!」
すっかりと生えた髪の毛はお父さんの黒、そして顔立ちはお母さんに似ている。
「おうまさん!おうまさん!」
「あははは、わかったよ」
ボクは床に手をついて四つん這いになると、
「うーん……」
ティルはその背中によじ登っていく。
「のれた!」
「じゃあ進むよー」
そのまま落とさないようにゆっくりと進む。
こうしているのがなんだか懐かしく感じるのは何でなのかな?
「きゃっきゃっ!」
「ふふふ、ホントに仲良しよね」
そうやって妹と楽しく遊んでいると、お父さんたちも帰ってきて夕食の時間となった。
食卓では今日あった話をみんなが話し、とても楽しい時間だ。
「おやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい」
ティルも眠り、ボクも眠くなってきた。
お母さんに声をかけて、自分の部屋へと戻る。
そうしてベッドにもぐりこみ、目を閉じると心の中から声が聞こえてくる。
(今日もお疲れだったな)
(全然平気だよ。トーマ)
ボクの中にいる存在をトーマと呼んでいる。
初めて気づいて声をかけたときにボクがそう名付けたんだ。
そんなよくわからない存在だけど、案外仲良くやっている。
なんでだろうな?
(無理するな。ゆっくりと休むがいい)
トーマの優しい言葉で、だんだん眠気が強くなっていく。
(うん……お休み……)
そしてボクの一日は穏やかに過ぎ去っていった……
「なるほど……浄化できなかった部分はサラブレットの特性と記憶でしたか。お互いが肉体を同じく成長したおかげで、言語も理解できているようですね」
女神は新たな発見を得たようで、満足そうに微笑んでいる。
「また今度を楽しみにしておきましょう」
そっとモニターの電源を落とす。
「それにしても……かわいく育ってますね……むふっ」
先ほどの微笑みは跡形もなく消え、残されたのはとても残念な笑顔だった。