田舎の牧場に男の子が生まれました
「はぁぁぁん!?落ちつかねぇぇぇ!」
「牧場長……気持ちは分かりますけど、ウロウロしても何も変わりませんよ?」
小さな電球が一つで灯すには広い室内。
その中を黒髪の屈強な男が、木製のテーブルの周囲を落ち着かない様子で歩きまわっている。
ツンツンした髪に目つきの悪さと、なかなかの悪人顔だ。
「そうは言うけどよぉ!?こんなに緊張したことねえんだぞ!?馬の出産は何回もこなしてきたってのによぉ!」
「そりゃあ馬も家族ですけど、やっぱり自分が当事者となったら緊張するでしょう。それに自分は何もできませんからね」
冷静にそう返すのは金髪の少年。
大人びた雰囲気だが、顔つきはまだ幼い。
そういう彼もティーカップを持つ手が少し震えている。
しかし、今の状況ではよっぽど黒髪の男より大人に見える。
ガチャ。
奥から扉の開く音が聞こえ、小さな人影が近づいてきた。
「か、母ちゃん!?まだ産まれないのかぁぁぁ!?」
「うるさいね!ちったあ静かにしたらどうだい!このバカ息子が!」
みぞおちにパンチを一発。
「ぐっ、ぐへぇ……」
「お産は時間がかかるもんだ。それくらいは知ってるだろうに、顔に似合わず小心者なんだから」
やれやれ……といった感じで首を振るエプロン姿の婦人。
粗野な言葉遣いではあるが、切れ長な目が特徴のクールビューティといった女性だ。
男と同じ黒髪だが、少し白いものが混じり始めた髪をお団子にまとめている。
「おや?父ちゃんはどこに行ったんだい?」
「安産祈願のため教会へ行ってくると、出て行きましたよ?」
「馬の神様に安産祈願してどうすんだい……ホントに」
婦人は呆れたようにため息をつく。
「あははは……この街にある教会は神馬が象徴ですからね。馬の出産や健康を祈るのは効果があるかもしれませんけど……」
「まあ、でも効果はあるかもしれないね」
「えっ?」
「私がこの子を産んだときもお祈りしてたからね。元気で健康な子が生まれてきますようにって。で、こいつが生まれたってわけ」
「ご利益抜群じゃないですか。病気してるとこ見たことないですよ?」
「頭がちょっとね?」
「それは、そうですね」
「好き勝手言ってんじゃねぇぇぇ!」
倒れこんでいた男が怒りを露わにして立ち上がる。
だが、全く意に介さない二人はケラケラと笑っていた。
一方、他には誰もいない教会で馬の像に祈りを捧げる人物が一人。
少しくすんだ茶髪に、眼鏡をかけた優しそうな男性。
「孫が元気で健康に生まれてきますように……あと」
一拍置いて、彼は続ける。
「……頭も人並みに良ければ、他は何も望みません」
以前のお祈りよりも少しだけ、欲張りになっていたようだ。
そんな家庭の中で、新しい命を宿した女性はベッドで横になり、大きなお腹を撫でている。
こう言っては失礼になるが、野盗にさらわれてそのまま結婚しました、というのがしっくりきてしまう。
長く美しい銀髪は肩で纏め、日に焼けた様子もない白い肌、弱々しくも優しそうな微笑み。
可憐という言葉がしっくりくる、そんな女性だ。
「ふぅ……みんなあなたのことを待っているわ。無事に生まれてきてね?お母さんも頑張るから……」
そう願う優しい母に応え、
「……おぎゃぁ!おぎゃぁ!」
夜明け近く、新しい命が誕生した。
「よく頑張ったね。可愛い男の子だよ」
気丈に振舞いながらも、目にはうっすらと涙を浮かべる。
「……ありがとうございます。お義母さま」
「だから、お義母さまっていうのはやめておくれ……そんな柄じゃないんだからね!」
「クスクス……ごめんなさい」
「……ほら、抱いてあげな」
元気に泣く赤ちゃんを、母へとそっと渡す。
「はい……とっても可愛いですね。たくましいお鼻なんかそっくり……」
「まあそこだけは良いところだからね。あとはあんたに似てくれるといいんだけど」
「か、母ちゃん!?生まれたんだろ!?俺たちも中に入れてくれよ!」
「男の子ですか!?女の子ですか!?」
「元気にしておるかの!?」
ドアの外から男たちの声が室内に響く。
「うるさいね!ちったあ余韻を味わせてやりな!お産中も散々にうるさくしたから追い出したんだよ!」
「「「……」」」
婦人の一喝でドアの外は静まり返る。
「大丈夫ですよ。皆さんに見ていただきたいです。元気に生まれてくれた、この子を」
「まったくお人よしなんだから……」
ガチャ。
ごつん!
「「「あいたぁ!?」」」
「急に開けるんじゃねぇよ!」
「早くいれてください!」
「わ、私が一番に……!」
「騒ぐなら中に入れないよ……」
「「「……」」」
またしても一喝をされ、三人は口をギュッと閉じた。
「よし、静かに入りな」
そろりそろりと、三人は慎重に入っていく。
その様子に母は優しく微笑む。
「ふふふ……元気な男の子ですよ」
赤ちゃんの顔を見るなり、言葉を押し殺しながら喜んだ。
そして、一斉に両手を差し伸べる。
「えっと……赤ちゃんは一人ですよ?」
「……!(父である俺が先に決まってるだろ!)」
「……!(ここは歳の近いボクが先でしょう!)」
「……!(年長者を敬うことを知らんのか!)」
三人は目でバチバチと火花を散らすと、
「「「……!(ほいっ!)」」」
順番を決めるために、じゃんけんをし始めた。
「まったく、バカばっかりだ……」
「ふふ、可愛らしくて素敵だと思いますよ」
ため息を吐き、呆れる婦人と嬉しそうに微笑む母。
「……ありがとう。私たちの元に来てくれて」
その日、小さな牧場に一人の男の子が産声を上げた。
「無事に生まれてくれましたか……」
机の上に置かれた薄型のモニターで様子を見ていた女神。
魂の港の管理官である彼女は、安堵した様子で椅子に深く腰掛けた。
「行き先を調べるなど、あまり褒められた行為ではないのですが……」
自虐的な苦笑を浮かべつつ、何もない天井を見上げる。
「二人の魂に触れたとき……」
女神はそっと目を閉じる。
「四つの戦いを観ることにより、私の心を撃ち抜いていきました……」
浮かび上がった二人の勇姿を思い出し、再び目を開く。
「それは正しく、天弓の如く、と言えるのでしょう」
そしてモニターを操作し、映像を消す。
二人に幸多からんことを……
これでまた会う日までさようならですね。
そう思いつつ、こっそりと見守ろうと思う女神様であった。
それから月日は流れ……
「人の時間なんてあっという間に過ぎていくものね。もうこんなに大きくなるなんて……」
雪だるまの魂が転生してからというもの、こっそりと見守り続けている女神は感慨深げに言葉を漏らす。
あれから五年が過ぎ、今では片言の言葉を話したり、歩くこともできる。
「はぁ……心身ともに癒されるわぁ……」
神様らしくないことを言うが、生きている以上は色々とストレスが溜まるのだろう。
「今日はどんな可愛らしいことを見せてくれるのかしら?楽しみね」
モニターに映る元気な男の子に視線を落としていった。
「ちち、おはよう!」
「おう!今日も元気だな!ディクト!それに髪も伸びてきたな!?」
相変わらずの悪人顔の父親、サイレスは豪快に笑いながら息子の頭を撫でる。
ディクトの髪は両親のものを受け継いだのか、ほとんどが黒髪だが前髪の一部分だけが銀髪だ。
髪が生えそろってきたころ、まるで馬の流星のようだと家族たちは大いに喜んでいた。
「おはよう、ディクト。もう少しでご飯が出来ますからね」
「はは!ボク待ってる」
母であるハーイアはかまどの前に立ち、大きな鍋でスープを煮込んでいるようだ。
その姿は一児の母とは思えないくらいほどに若々しく美しい。
「ほら、じぃじのとこにおいで。あったかいぞぉ?」
トコトコとテーブルの方に向かっていると、ディクトは話しかけられる。
それは暖炉の前のソファーに座る優しい祖父、ヘーロイ。
おいでおいでと手招きして呼んでいた。
「じぃじ!おはよう!」
するとドドドと駆け出してヘーロイの足に抱き着く。
ヘーロイはその姿にとろけるような笑顔で、よしよしと頭を撫でて喜んでいた。
「おはよう、ディクト」
「にぃもおはよう!」
テーブルにお皿の準備をしている金髪の青年、タスク。
彼はこの牧場に見習いとして預けられていたのだが、家の事情により少し前から正式に働きだしている。
そんな彼とは血のつながりはないが、ディクトは兄のように懐いていた。
「よし!飯が出来たよ!さっさと食べて仕事に行く!」
パンパンと手を叩きながら、祖母のシエルは鋭い眼差しで家族たちに声をかける。
だが、
「ばぁば!おはよう!」
ディクトが歩み寄って、エプロンを掴むと表情は一転。
「あらあら……おはよう?今日も可愛いねぇ?」
キッと持ち上がっていた目じりは、たらんと下がってしまっている。
「ははは!母ちゃんもディクトには形無しだな!」
「う、うるさいね!あんたと違って可愛いから仕方ないだろ!」
「ひでぇ!それが息子に対する言葉かよ!俺だってちったぁ可愛げあるって!なぁ!?」
「えっ……?」
急に話を振られたハーイアは、返答に困ってしまう。
そして、なんとかフォローをしようと言葉を選んだのだが。
「あ、あなたはほら……丈夫さが、あるよね?」
全くフォローになっていない。
「……ぢくじょぉぉぉ!俺のことを分かってくれるのはディクトと馬たちだけなんだぁぁぁ!」
「ご、ごめんなさい!」
オロオロとするハーイアと号泣するサイレスの様子を見て、みんなで大きく笑うのだった。
そんな賑やかな家族たちと朝食をとったディクトは、ソファーで編み物をしているハーイアの膝でスヤスヤと眠り始める。
「あら、寝ちゃったのね?毛布を持ってきましょうか」
そっとディクトの頭を膝から下ろし、寝室に向かおうとしたそのとき。
「ヒヒーン!」
突然、外から大きな馬のいななきが響き渡った。
「ど、どうしたのかしら?」
「……お馬さん、怖がってる」
いななきで目を覚ましたのだろう。
ディクトがハーイアの後ろに立っていた。
「えっ……?お馬さんの気持ちが分かるの?」
「うん。怖いよって言ってる」
「それは可哀想だわ……お馬さんに大丈夫だって分かってもらえたらいいのにね?」
「ボクが伝えてあげる!だから連れてって!」
「えっ!?」
ハーイアはディクトの初めて見る真剣な顔に驚く。
「だ、ダメよ!?怖がってるお馬さんはとても危ないんだから!」
大人でも馬に突進や蹴りをされると、大けがではすまない場合もある。
しかも子供だとしたら……ハーイアにとっては想像もしたくないことであろう。
「はは、お願い。ボク、お馬さんを助けてあげたいの」
ハーイアは悩んだ。
確かに馬たちとの仲は良い。
気難しい子でもすぐに仲良くなることを知ってはいた。
だがそれは、馬たちが落ち着いているときのことだ。
そう思い、ダメだと伝えようとする。
「お願い……」
しかし、泣きながらそう懇願するディクトに、どうしてもダメだとは言えなかった。
「……柵の外までよ?」
牧草地をくるりと囲っている柵はまず飛び越えることはできない。
それが母として妥協できる最低のライン。
「うん!」
ハーイアはディクトを抱き、家を出た。
すぐ隣にある牧草地に向かって。
どうしてこんなことをしているの?危険だわ。
歩みを進めるたび、ハーイアの冷静な感情が自身の体を引き留めようとする。
だが、その迷いを断ち切るのが愛しい息子の笑顔。
母としての自分は、この笑顔を先ほどの悲しい顔にすることはできない。
葛藤する気持ちの中で、夫の慌てた声が近づいていくのだった。