11.生徒たちは、空いた口が塞がらない
――クラスの自己紹介。
例年であれば、後半にはそろそろ生徒たちが飽きて騒ぎ始める、というのがFクラスの風物詩だった。
そう。
例年通りであれば。
が、今年は一味違った。
眠る生徒もいなければ、騒ぐ生徒もいない。
皆息をひそめて、ある生徒の自己紹介に聞き入っていた。
なぜなら。
「私は、とある貴族の隠し子として生まれました!!」
この教室にいる全員の気持ちが今、1つになっていたからである。
――この子、なにを言っているんだろう? と。
******
「な、なあ……。お、俺の聞き間違えじゃなきゃよ。い、今……『隠し子』って言ってなかったか??」
と、壇上から離れたところで、自己紹介を聞いていた赤毛の男子生徒が呆然とつぶやいた。
彼の名前はアイザック。
アンネローゼによって、「ワイルド男子」と勝手に脳内であだ名されていた男子生徒である。
「た、確かに言っていたわ……はっきり」と近くにいた恐る恐るハンナも答える。
「い、いやだってよ。普通、そう言うのって、なんかこう…………もうちょっと順序を踏んでからじゃねえのか? じ、自己紹介の初手から言うようなもんか……?」
――呆然。
どちらかと言えば、アイザックは、
「はァ!? ルールなんぞ知ったこっちゃねえんだよ!」
と、教室に入ったアンネローゼの目の前でも喧嘩しているような模範的Fクラスの問題児だったが、そんな彼もアンネローゼのあまりの自己紹介での暴れっぷりに言葉を失っていた。
というか正直、ついて行けてなかった。
「まあ、そんなこんなで~」
が、黒髪の女子生徒――アンヌは、そんな唖然とした教室の様子に異を介さず平気で話を続ける。
いや、「そんなこんなで」の一言で流せるような話の流れじゃないだろ……と周囲が思ったのもつかの間、
「私は血縁上の父の家に行くことになったのですが、そこにはなんと6人もの義母がおり~~」
更なる衝撃が、教室を襲った。
「義母? 6人?」とにわかにざわめく教室。
騒然とした場内。
顔を険しくする教師に、ゴシップに言葉を失う生徒たち。
そんな教室の雰囲気をよそに、ペラペラと語られたアンヌの半生(嘘)はこんな感じであった。
隠し子とわかったアンヌは実の親である貴族の邸宅に行ったのだが、そんなアンヌの前に、6人の義母が立ちはだかったこと。
さらにアンヌが勇敢にも並み居る義母と戦い、時には和解をしながら使用人からの尊敬を集め、屋敷の頂点へと昇り詰めていったこと。
こうして屋敷の頂点に達した彼女は、魔術学院へと来たこと。
――という、一大スペクタクル。
「「……………」」
教師も、生徒も教室内の誰もがこう思っていた。
意味が分からない、と。
これは仲良くなってから、信頼できる人間にだけそっと打ち明けるレベルのお話じゃないのか??と
それがなぜ、こんな午後一発目の自己紹介で平然と繰り広げられているのか。
同じくドン引きしていたユリアンも自らの理解の範疇を超えた自己紹介に、ごくりとつばを飲み込んだ。
「一体なんなんだよアイツは………!!」
というわけで、アンネローゼが恥知らずにも適当な自己紹介をしたせいで、もはや教室内はパニック寸前になっていた。
******
「………………ということで少々長くなりましたが、私の自己紹介は終わりです。ご清聴ありがとうございました」
ユリアンがアンヌの自己紹介に頭を痛めている間に、彼女のスピーチが終わってしまった。
すると、ちょうどよくリンゴーンと鐘が鳴った。
授業の終了を告げる知らせである。
「じゃあ先生、今日はこれで終わりですよね?」
「あ、あぁ……そうですね」と担任も頷くが、その声色はさえない。
「それじゃ、失礼します」
教室の空気を一変させたアンヌは、しれっと教室から出ていった。
「どうも~~」という気の抜けたような声とともに。
一方。
教室に残されたユリアンは頭を抱えていた。
いやいやいやいや………『どうも~~』じゃないだろ!!と。
どう考えてもおかしい。
無謀にも、この名家の自分にケチを付けてきた何の変哲もない女子生徒。
自己紹介で小馬鹿にし返してやろうと思っていたのだが、そんなユリアンを待っていたのは恐ろしい自己紹介だった。
というか、あれって自己紹介なのか? そもそも??
ユリアンの頭の中を疑問符が踊る。
例えるなら、軽く相手にちょっかいをかけようと思ったら、気が付けば全力で殴り返されていたとかそういう類だろう。
――しかも、である。
アンヌが去った後の教室を見渡す。
「い、いま、義母6,7人くらい出てこなかったか? 義母がそんなにいるってありえるのか?」
突如として振ってわいた、アンヌと義母によるドロドロお家スペクタクルに完全に教室内は騒然としていた。
(くそっ、どうなってるんだ?)
ユリアンは思わず舌打ちをした。
辺りを見回してみても、みなアンヌの話ばかりで、誰もユリアンの高貴な家系の話など覚えていてくれてそうにない。
「ちょ、ちょっと待て。訳がわからなくなってきた。誰か人物相関図を書いてくれ!!!!」
と、ある生徒が叫べば、
「え、だから。結果、誰が味方なの? 2番目に出てくる義母Bか? それとも3番目に出てくる義母Cなの?」と、混乱したような声も聞こえてくる。
最終的には、
「ばーか、ちげーよ、お前話聞いてなかっだろ? 一件優しくしてくれそうだった義母Bと義母Cは実は裏で手を組んでいたのさ。最終的にこちらの味方になってくれるのは、一見、一番アンヌに当たり散らしていた義母Aなんだよ」
と、なぜか訳知り顔でアンヌの解説する生徒まで出る始末。
(あぁ、もうバカども!! ペンを用意してみんなで話をまとめようとするんじゃない!!)
見れば、クラスの生徒の何人かは、アンヌの自己紹介を整理するためにぞろぞろと集まっていた。
流石の馬鹿っぷりである。
なぜ授業が始まる前から他人の自己紹介をノートに整理する必要があるのか。
(流石はFクラス。聞きしに勝るアホっぷりだ……)
絶対におかしい。そして、こんなのを許してはおけない。
仕方ない、とユリアンは思った。
ここは高貴な家柄で、なおかつ人並みの判断力を残している自分の出番である。
意を決したユリアンは、
「で、でもさ。ちょっと違うんじゃないか!?」とざわめく周囲に話しかけた。
アンヌの武勇伝話をまとめる、という作業を邪魔され、「なんだよ」と面倒くさそうな反応をする周囲。
そんな反応に内心歯嚙みしながらもユリアンはキザったく続けた。
「諸君。ちょっと、彼女の表情を思い出してくれたまえ」と。
そう。
ユリアンが目を付けたのは彼女の表情だった。
彼女の表情は笑っていて、全然悲壮な感じが見えてこなかった。
考えてもみて欲しい。
仮に彼女の話が本当だとしよう。だとしたら、こんな大変な状況を笑って話せるようなものだろうか。
至極なまっとうな判断。
だからこそ、ユリアンは彼女の表情に疑問を表明したのだが――
「いや、そうとは限らないかも」
「なに!?!」
が、そんなユリアンに冷静な合の手が入った。
そう口に出したのは、アンヌの話を一番深刻そうに捉えていたハンナである。
「個人的には……逆かなって思うけど」
「どういうことだ?」
ユリアンに問われたハンナは「簡単な話」と肩をすくめた。
「ふつう、こんな複雑な身の上話をするんだったら、逆に同情を装うように話すんじゃないかな……。少なくも、計算高い上流階級の子女だったら絶対にそうすると思う。でもアンヌは――」
言いづらそうに顔を伏せるハンナ。
それにつられ、ユリアンもアンヌの顔を思い出した。
「まあ……たしかに」
そう言われれば、穏やかに話すアンヌは、決してひるむことなく自分の境遇をさらけ出していたように見えた。
ほらね? とハンナが言う。
「むしろ、アンヌは意図的に自分の境遇をさらけ出してるんだと思う。つまり、それだけ本人が強いんじゃないかな」
この教室では数少ない女子生徒であるハンナの一見冷静な推理に、周囲もうなづき、たしかに言われてみれば……という気分になっていた。
「で、でもそれは……! そもそも、この話自体が真実かどうかはわからないし――」
「ユリアン」
「っ……! な、なんだよ」
短く告げられたハンナの言葉は、明確に「これ以上余計なことを言うな」とユリアンに告げていた。
「私ね、商家の娘だからわかるの。あの子、全く嘘をついていない」
そう言うと、ハンナはどこか覚悟を決めて、ゆっくりと教室を見渡した。
「人は嘘をつくとき、必ずどこか緊張するもの。目がキョロキョロ動いたり、唇を頻繁に舐めたり。小さい頃から家業で、よくそうやって嘘をつく人を何人も見ていた……でも、アンヌにはそれが一切なかった」
「つまり、嘘はついていないってことか」
「ええ、そうよユリアン。アンヌは、私から見ても丸っきり自然体だった。あんな荒唐無稽な話なのにね」
――もちろん、事実は全く違う。
そもそもアンネローゼは嘘をついている意識も特になかった。むしろ、平気でヘラヘラ適当な自己紹介をしていた、というだけである。
当然、本人的にはうそをついているつもりも何もない。なので緊張のしようもないし、自然体といえば最高に自然体だった。
はた迷惑な話である。
が、そんなアンネローゼの本心に気が付いていないユリアンは、呆然とつぶやいた。
「じゃ、じゃあ『ペラ男』と呼んでくれたのも……」
「うん。悪意は感じられなかったかな。たぶん、心の底から仲良くなりたかったんだと思う」
声を震わせるハンナ。
今頃本人はヘラヘラと笑いながら帰っているのだが、ここに複雑な家庭状況にもめげず努力して学園に来た女子生徒――アンヌのイメージが形作られ始めた。
ユリアンは力なく呼吸した。
「そんな……」
これについても、仲良くなりたいとかそんな殊勝な感じではなく、アンネローゼがシンプルに「この男、自慢話がペラペラ長いな~」という失礼極まりない理由であだ名をつけていただけである。
が。
「…………」
そんな一見正解っぽいが、まったく的にかすってすらいないハンナの迷推理をそっと夕焼けの中、聞かされ、
「そん……な、僕はなんてことを」
この日初めて、プライドが高い名門貴族の子息――ユリアン・フェーデルディナントの瞳が揺らいだ。
本日のアンネローゼ様
→さくっと自己紹介をして離脱。教室で酷い勘違いが進行中だが、本人だけは気が付かず。