9.お気楽令嬢は、問題児だらけの教室に入る
「よ、よし。私ならいける……きっと大丈夫……」
その日の午後。
大量の書類、もといカンニングペーパーをどうにしかして頭に入れたアンネローゼは、学院の外れ――Fクラスの教室へと移動していた。
が、早くもアンネローゼの心にはある感情が芽生えていた。
それは……、
か、帰りたい。切実に……!
そう。
Fクラスの校舎へと足を踏み入れたこちらを待っていたのは、野蛮な雰囲気満々の教室であった。
例えば、Fクラス以外のクラスが集まるという学院の中央部では、真っ白な校舎に爽やかな生徒が皆でキャッキャウフフ、と爽やかに魔術の勉強をしていた。
が、反対にFクラスはどうか。
アンネローゼは辺りを見渡した。
まず校舎。
汚い。ボロい。どうしようもない。の見事な三拍子が揃っている。
ここは築何年ですか???と言いたくなるほど。
(絶対、設備的にも予算が回ってきてないじゃん……)
しかも、である。
アンネローゼがゲオルグに案内されて学内を回った時には、そこら辺から、領地経営だとか夜会のパーティーのドレスの話とか、そういうおハイソな教養がありそうな話が聞こえていた。
が、Fクラスは一味違った。
教室の前で耳を澄ませてみる。
すると――
「てめぇ!! 俺になんか文句あるのかよ」
「いや、君のような頭の悪い男に何を言ったって無駄だろうさ」
「あぁん!?! お前、俺の魔術の腕を知らねえのか?」
いやあ、なんと心温まる素敵な会話。
こんなお上品な会話がなされている教室内は、一体どんな状況なんだろうか。
「………………」
アンネローゼは思った。
入りたくない。関わり合いたくない、と。
いや、言ったよ??
アンネローゼもたしかに、社交界は息が詰まるからスローライフがしたい~~、という夢があった。
でも、これは違くない???と言いたい。
アンネローゼだって、確かに上流貴族の肩が凝るようなやり取りは嫌いだったが、いくら何でもこんな殺伐とした雰囲気は求めていないのである。
ちらり、と横を見れば校舎には穴が空いている部分もあった。
「アッハッハッハ……」
だめだこりゃ。
**********
とはいえ、現実逃避ばかりをしていてもしょうがない。
アンネローゼは極力存在感を消し、ぬるりと教室に入り込んだ。
扉に近い方を見れば、先ほど口げんかをしていたであろう2人の男子生徒が見えた。
赤髪の目つきの鋭い生徒が、片目に丸眼鏡をかけた頭のよさそうな男子生徒と喧嘩をしている。
いがみ合う2人――アンネローゼは心の中で、ワイルド男子とインテリ眼鏡と名付けた――を横目に、華麗にスルー。
そのまま教室の後ろの方で、自分の席を探すアンネローゼにふと声が掛けられた。
「あれ、アンヌちゃん??」
「は、はい」
あれ、とアンネローゼは思った。
目の前にいるのは、元気がよさそうな感じの良い女の子。
この教室で初めての女子生徒である。
「私、ハンナ。よろしくね」
少し短めの髪がまぶしい。
明るい茶髪の女子生徒は人懐っこい性格のようで、若干挙動不審気味なアンネローゼにも快く話しかけてきてくれた。
「こ、こちらこそ……!」
嬉しすぎる。
よかった、このクラスで初のまともそうな女子の登場である。
ここに来てやっと心を許せそうな子ができたので話しかけられたアンネローゼは、ハンナに抱きつかんばかりの勢いで挨拶をした。
よろしくね、とうなづいたハンナは、そのまま世間話をし始める。
「いやでもアンヌちゃんも勇気あるよね~」
「?」
勇気?? 何が?
「だって、他にも試験でFクラスに決まった女子もいたんだけどさ。最近だと社交界でもFクラスの悪名が響き渡っていて、『Fクラスなんかに入ったら嫁ぎ先が無くなるぞ』って親に言われたみたいでほとんどの子は消えちゃったんだよね~」
こちらとしては、
「そ、そうなんだ、アハハハ……」と愛想笑いをしつつ、答えるしかない。
……それでいいのか、Fクラス。
が、とはいえ、若干希望が見えてきたような気がする。
見たところ、このハンナちゃんは結構まともそうである。
ならば、この子と仲良くこの殺伐としたFクラスで壁の花のように、地味に生き抜くしかない。
「や、ハンナちゃん。こちらこそよろしく――」
よろしくね。
と、そう言いかけたとき。
「君、邪魔だよ」と、後ろの方から、少しキザったらしい声が聞こえた。
「そこをどきたまえ」
どうやらアンネローゼがハンナに挨拶している間にも後ろが詰まっていたらしい。
アンネローゼは後ろを振り向き謝ろうとした。
「あぁ、すみませ……」
が、しかし、である。
ふと、アンネローゼは立ち止まった。
眼の前にいるのは、金髪の男子生徒だった。顔立ちは整っている……が、どこかプライドが高そうな笑みをたたえている。
なぜ立ち止まったか。
この人、どこかで見たことあるような気がしたからである。
「なんだい? この高貴なる僕になにか用かな?」
誰だっけ思い出せない。
いやでも絶対に聞いたことのある声だ。
なんかこう変な絡まれ方をされた気が――
「ふっ、まあいい。この僕、フェーデルディナント家次期当主の顔くらいは見たことあるんじゃないかな?」
「なっ」
瞬間。
思い出した。
ものすごい鼻につく、懐かしくもムカつくこの感じ……
アンネローゼは静かに呟いた。
「ぺラ……お……?」
納得した。
この自分の出自を鼻にかけて、しかも、グダグダ話が長いこの感じ。間違えなく、あの夜ゲオルグに雷を落とされたペラ男(アンネローゼ命名)である
「なんだい? ペラおとは?」と不思議そうな顔をするペラ男。
おっと、いけない。
本人相手にわざわざ内心で呼んでいたあだ名を呼ぶ人間がいるわけがない。
というわけで、アンネローゼは速やかに訂正しようとした―
「あ、いやペラ男っていうのは……」
いやいや冗談ですよ、と。
ちょっと言い間違えちゃいました、と。
そう訂正しようとしたその時。
アンネローゼの後ろから高らかな笑い声が聞こえてきた。
その声の元はハンナである。
「アッハッハッハ」
楽しくてしょうがない、といった様子で笑うハンナ。
「アンヌちゃんったら傑作~~」
正直に言おう。
楽しそうに笑うハンナに、アンネローゼはめちゃくちゃ嫌な予感を感じていた。
「……ッハンナ!!」
頼むからちょっと大人しくしててほしい。
もうこの際会ったばかりとか、そういう状況はさておく。
すぐさまハンナの口を封じようと後ろを向いたのだが――
「あはは。ユリアンって、たしかにいつも聞いてないのにペラペラ自慢話ばっか話してるし、『ぺら男』って良いあだ名だねえ~」
……うっそでしょ。
なぜか訂正しようとしたはずのあだ名に爆笑するハンナ。
しかも、そんなハンナの言葉を聞き周囲は俄然盛り上がり始める。
「はっはっはっ、随分と言われてんなぁ。ユリアン」と赤毛のワイルドな男子生徒が言えば、
「………………ふふっ、ペラお君………ふふっ」と眼鏡をかけたオシャレな男子生徒も、本の影に隠れて笑っている。
クスクス、と。
まるで、さざ波のように教室中に広がる笑い。
「………………」
大変楽しそうなクラスの連中とは違ってアンネローゼは固まっていた。
いやまずい。絶対まずい。完全にまずい。
だ っ て 。
こ れ で は ま る で 。
――アンネローゼが、アンネローゼがクラスのみんなの前で、ユリアンと名乗る男子生徒をバカにしたみたいではないか。
アンネローゼは現状、ハンナとユリアンに挟まれている。
ハンナの方を向いていたアンネローゼは無言でユリアンの方を振り向いた。
「す、すみませ……」
振り向けば、爽やかに「仕方ないさ」と笑ったユリアンがいて――
なんてことはない。世は無常である。
ユリアンは普通に、額に青筋を浮かべていた。
「その服装に、その言葉遣い。君、貴族出身では無いようだね……ず、随分とこの僕をバカにしてくれたじゃあないか」
血の気が引いていくのが自分でもわかった。
「……アンヌ、と言ったかな? 君。学園生活が短いことを覚悟しておくんだね」
どうやら自分は位が高い男子生徒のプライドを。
衆人の前で踏みにじってしまったらしい。
ごくりとつばを呑む。
やんやと囃し立てる周囲に、怒気が抑えられていないユリアン。
「……あ、アハ」
もはや、「Fクラスで平凡な学生生活を送る」という目標などすでに見失いかけているアンネローゼであった。
本日のアンネローゼ様
→思わずあだ名を口走ってしまい、クラス入室直後にものすごい目立ってしまう。
ペラお
→2章ぶりの登場。自分の家柄を鼻にかけた自慢話は酔っていない時でも健在。