8.お気楽令嬢は、独りごとを聞かれる。
――食堂のがやがやという声が聞こえる。
ゲオルグが去っていき、アンネローゼはすかさずため息をついた。
なんだろ。
な~~んか泥沼にハマっているような気がしなくもないような……。
目のまえに置かれた紙の束を見る。
ドサッと置かれた偽造文書。
これを自分のために用意してくれたというのは、まあありがたいと言えば、ありがたいのではあるが。
「う~~~ん」
うんうん唸る。
このままだと午後には問題児クラスで自己紹介をしなくてはならない。
なぜ、関わり合いたくない連中とこうもお近づきになりそうになってしまうのか。アンネローゼは自らの運命を嘆いた。
――が、少しして。
「ふっふっふっ」
アンネローゼは周囲の喧騒も気にせず、うっすらと微笑んだ。
なるほど。たしかに大変な状況ではある。
が、しかし。
こんな時こそ平静を保つべきだ。
深呼吸をして、ちょっと声に出して言ってみる。
「……イケイケ私、頑張れ私……」
周囲は結構がやがやしている。誰も自分のことなんか気に留めていない。
それに乗じて、ぶつぶつと独り言をつぶやく。
「ふふっ」
そう。
これこそが、アンネローゼの編み出した――
お 気 楽 社 交 術 そ の 5
『単なる独り言』である。
貴族社会では大変なことがいっぱいある。気の抜けない日々に、面倒ことばかり降りかかる毎日。
そんなときには、このようにして自分を独り言で勇気づけることにより、表面上、冷静さを保つことができるのだ。
ちなみに、アンネローゼは王国クーデター事件の時にも密かに自分のことを鼓舞していた。
いやまあ、実際のところ全然効果はなく、アンネローゼの意図とは裏腹にアンネローゼ派とやらがハッスルしてしまったのだが、まあそれは置いておこう。
*********
「……いけるいける、Fクラスなんてちょちょいのちょい……!」
リズムに乗ってぶつぶつ呟いていると、気分も落ち着いてきた。
何となく行ける気もしてきた。
よくよく考えると、この前のクレイン王国での一件とはだいぶ違う。
そう。
アンネローゼはこの間の敗因を見つけ出していた。前に通っていたレーンクヴィスト学院では、ちょっとお高い令嬢を気取りすぎた……ような気がする。
おしとやかな令嬢を演出しすぎて、なんかこう……周囲から多大なる誤解を受けてしまったのである。
――で、あれば。
アンネローゼは思った。
なら逆を責めるべし!と。
幸い、この魔術学院では黒髪黒目のいたって平凡な女子生徒『アンヌ』ということになっている。
――ならフランクに行こうじゃない。
アンネローゼの考えはこうである。
あえて、フランクさを演出。
それにより、ゲオルグにも「あぁ、この子、馴れ馴れしすぎてちょっと婚約者としてはダメだな……」と思わせ、
さらには、Fクラス内でも高貴な令嬢……ではなく地味~な「普通の女子生徒」としてやっていく……という作戦。
そう。
ここで必要なのは軽いノリである。
そんな野蛮・問題児ばかりのFクラスの生徒だって、平々凡々な普通の女子生徒に絡んだりはしないだろう。
となれば、アンネローゼが普通の女子生徒を気取っていれば、きっと静かな学生生活を送れるはずである。
そう考えると、急にやる気が出てきた。
「行ける……いけるよ、私………!!!」と己を鼓舞する。
だって。
なぜなら。
――念願のスローライフはきっと近づいているはずなのだから……!!!
もはや緻密な頭脳でも何でもなく、タダの願望、というか精神論だったがアンネローゼはやる気十分になっていた。
アンネローゼは目の前の偽造書類の山束を再びめくり始めた。
うおおおおおおおおお〜〜!
**********
一方、一度食堂から離れたゲオルグは、再びアンネローゼを探しに食堂の方へと戻っていた。
「しかし、さすがに無理難題を押し付けすぎたかな……」
最近ゲオルグは、アンネローゼと良い感じに距離を詰められている、と思っていた。
たしかに会ったばかりの初々しい感じも悪くないが、せっかく一緒にいるのだし、と思って距離を詰めていたのである。
そんな時にアンネローゼがFクラスに入った、というニュースが飛び込んできた。
それは、悪くない知らせだった。
ゲオルグの目的のためには、なるべく学内での知り合いを増やしたい。
が、SSクラスなどの上級クラスには、すでにゲオルグは結構な知り合いがいた。
逆に手薄なのが、Fクラスのような下位クラスである。だから正直、アンネローゼがFクラスになった時には、都合がいい……と思ってしまったのだが。
(けれど、なんといってもあのFクラスだ)
ゲオルグは歩みを早めながら内心、動揺していた。
おそらくゲオルグが今からFクラスに人脈を広げようとしても上手くいかないだろう。
それほどの曲者ぞろい。
上のクラスの人間と人脈を作るとは、また別の難しさを要求される。
たしかに、Fクラス入りが決定しているアンネローゼに任せるのが適任かもしれない。
でも急にそんなことを言われて、彼女も困っているのではないか。
そう思って、ゲオルグは急いで引き返したのだが――
食堂の中に入り、辺りを見渡す。
端っこの方に、アンネローゼの後ろ姿が見えた。
「よかった、まだいたんだねアンヌ」
が、その時。
ふと、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
「Fクラスか~~」
「……ん?」
思わず足を止めて婚約者の後ろ姿を見つめる。
聞こえてきたのは、アンネローゼの小声。
どうやら、周囲に聞こえない程度の音量でぶつぶつ言っているらしい。
そして。
ゲオルグの鋭敏な聴覚が、アンネローゼの口からこぼれる言葉を耳にした――
「……Fクラスか~~~余裕かな」
「えッ!?」
――衝撃。
ほのぼのとした口調。
だが、あくまでもその言葉からはゆるぎない自信を感じる。
(あのFクラスを"余裕"だって!?!)
さらに、アンネローゼの独り言はまだまだ続く。
「ふぅ~~……なんか早くFクラスに行きたくなってきたかも」
ゲオルグが衝撃で動けない間にも、アンネローゼの口からは「私ならいける」とか「見てなさいFクラス」などという言葉が飛び出す。
そう言いながら、勢いよく書類を読み進めるアンネローゼ。
「なんだ……」
その後ろ姿を見ながら、ここに来てゲオルグはやっと理解した。
(なるほど、アンネローゼ……君は全く恐れていない、というんだね)
ある上級貴族の娘は、「Fクラスに入る」と言われた瞬間、学院を辞めると駄々をこねたりしたこともある。
現にFクラスではほんの少し前に、生徒同士の決闘騒ぎまであったくらいである。
――問題児のクラス。
が、アンネローゼはそれを何とも思っていないようだ。
いやむしろ、彼女の頭脳の面目躍如、と言ったところか。
おそらく目の前の彼女の脳内では、すでにFクラスをどうやって攻略するかという、ち密な計算が行われているに違いない。
(僕が心配するまでもなかったってことか。全く……アンネローゼ君って人は)
ゲオルグは思わず苦笑した。
であれば、ここで話しかけるのは無粋だろう。
くるりと方向を変え、再び食堂を出ていく。
(さて。アンネローゼがFクラスを攻略するまでに、どのくらい時間がかかるのかは分からないけど、僕も負けちゃいられないな)
アンネローゼの自信に満ちたつぶやきを思い出し、笑みを浮かべる。
そうだ。負けてはいられない。
――自分は、彼女と肩を並べられるほどの人間になるのだから。
その足取りは軽く、誰が見てもゲオルグは晴れ晴れした顔をしていた。
まさか自分の婚約者が、現実逃避のためにぶつぶつ独り言を言うちょっとした変人だとは思っていない第3皇子ゲオルグは、より一層、「アンネローゼは凄い」という思いを胸にしていたのであった。
しかし。
そんな頭脳明晰なゲオルグであっても、予測できていなかった。
まさかアンネローゼが曲者ぞろいのFクラスを、わずか1日足らずで攻略してしまうとはゲオルグでさえ、予想しえなかったのである。
本日のアンネローゼ様
→問題児クラスに配属されることになり、現実逃避中……が、自分も割と問題児側にいることを自覚していなかった。
ゲオルグ
→ちょっと耳が良すぎたせいで、アンネローゼもやる気十分と誤解