16.お気楽令嬢と、感動の再会
――夜。
駅から帰ってきたテオドールとリタは、屋敷の中を掃除していた。アンネローゼが学院に行くので、それに合わせて大多数の使用人は休暇を取っている。
結果として、特に帰る実家もないテオドールや、「アンネローゼ様がいない間に、屋敷を綺麗にしておかなきゃ!」と意気込むリタなど数少ない使用人だけが屋敷に残っていた。
そんな中で、久々にのんびりと掃除をしていたリタとテオドールだったが、突然、リタが「あ」と言って立ち止まった。
「どうしたんだよ。何か忘れものか? 荷造りはしただろ?」とテオドールは嫌々聞き返した。
「あ、いや。忘れ物ってほどじゃないんだけど……ドタバタしてたから、つい渡し忘れてたわね」
そして「ほらこれ」と差し出されたのは、一通の便箋だった。折り目正しく綺麗な便箋。
これだけでも、これを書いた人間の教養がわかる、という美しい便箋だった。
「あぁ、お嬢様の同級生からのお手紙か」
「そうなのよね」
やっちゃったなあ、と天井を仰ぎながらリタがいう。
「ほら、セリーヌ様からの手紙」
――セリーヌ様。
それは、アンネローゼの屋敷にいる使用人の中では、よく知られた人物である。
初めてリタがその人から手紙を受け取ったのは、アンネローゼがこの国に来てからすぐのことだった。
「セリーヌ」と名乗る令嬢から、アンネローゼに手紙が来ていた。当然、リタはそれをアンネローゼに伝えたのだが、当の本人は、なぜか微妙な表情で、「あ~、うん。無視しててもいいわよ」と言ったのだ。
しかし、捨てるのは勿体無い。というわけで、リタは手紙を取っておいた。
しかも、手紙は一度で終わらなかった。
こまめに来る手紙。だけど、なぜかアンネローゼ様は手紙を読もうとしない。
(う~ん、なんで読まないのかしら?)
そうしているうちに、テオドールの一件が起こった。
自分の仕えている主人の圧倒的実力とカリスマ性。それを目撃してしまったリタは、どうにかしてこの感動を誰かに共有したくなっていた。
もちろん、「アンネローゼ様は凄い!」と使用人の中でも1日に1回は、必ず話題になるが、みんなは、もうアンネローゼの活躍を知ってしまっているのである。
自分が知っていることを、知らない人に話したい、伝えたい、というのは当然の流れだった。かといって、アンネローゼは微妙な立場。軽率に周りに漏らすわけにもいかない……。
そうして悩んでいたリタに、天啓が走った。
(あれ、それこそ、この手紙の送り主にアンネローゼ様のことを伝えればいいのでは!?)
それはいい考えに思えた。
セリーヌさんは毎回手紙を出してくるほど、アンネローゼ様の動向を知りたがっているのだし、きっとアンネローゼ様が手紙を返信しないのは、多分、気恥ずかしいからだろう。
こう考えたリタは、迷わず手紙を出してみた。もちろん、元々は主人に来た手紙である。無視されても仕方ないくらいの考えだった。
――が、しかし。
セリーヌというご令嬢は、なんと「お手紙にて、挨拶を失礼します」と手紙を送り返してきたのである。
リタは感動した。相手は他国の令嬢。叱られても仕方ない……という覚悟で、手紙を出したのだが、予想を上回る心温まる対応だった。
しかもセリーヌからの手紙には、「私は、アンネローゼ様の第一の下僕、セリーヌです」という自己紹介が書いてあった。
もちろん、これにはリタも苦笑した。
手紙を見る限り、セリーヌは父が軍の高官らしいし、かなり高位の令嬢のはず。一方のアンネローゼは素晴らしい才能を持つが、実家は貧乏だと聞いている。
で、あれば、セリーヌがアンネローゼの下僕という表現はいくら何でもやりすぎだ。
(きっとこのセリーヌ様も、アンネローゼ様と同じく心優しい方なんだわ)
令嬢自ら、「下僕」だなんて名乗るはずがない。きっと、こちらの気まずさを和ませてくれるための冗談だ、とリタは考えた。
それから、リタとセリーヌの交流は始まった。
リタがアンネローゼの活躍について、長々とした長文を書くと、セリーヌは「素晴らしい文章です。アンネローゼ様の活躍がまるで目に浮かぶようですね」と絶賛してくれた。
「もっと詳細に、アンネローゼ様のご活躍について教えていただけませんか?」というセリーヌのアンコールに応えて、もはや手紙とは思えない長文を送り付けたときも、
「最高です。アンネローゼ派の令嬢皆で、回し読みしました。自分を犠牲にし、知り合ったばかりの従者のために、たった1人で、敵に立ち向かうアンネローゼ様。アンネローゼ様のお覚悟が伝わって、何人かは前が見えないくらい、ぐっちゃぐちゃな顔をして泣いておりました」
という返事が。
(き、気持ちいい……!)
リタは感激した。
正直に言おう。反応が良すぎて、いつしか、リタはセリーヌとの手紙にドはまりしていた。
リタはさらに、気合を入れて続きを書いた。
『アンネローゼ様は"裏市"と呼ばれる非合法の市場に行き、そこで並みいる悪漢を次々になぎ飛ばし~』
うん。
まあちょっと、書きすぎな気もしないではなかったが、まあ、アンネローゼ様は何でもできるから、いいか、とリタは自分を納得させた。
セリーヌからの返事が届く。
「リタ先生。ついこの間、リタ先生の最新話を読みました。残念ながら、わたくし自身は、アンネローゼ様が戦う場面を一度も見たことはなかったのですが、やはりアンネローゼ様の強さを再認識できてうれしく思います。アンネローゼ様のあまりのカッコよさに、何人かは手紙を読んでいる最中に失神してしまいました。
特に、わたくし個人の好きな場面としては、アンネローゼ様が輝く月光を背に、『貴方たちの悪を――この"神の頭脳"が見逃すとお思い?』と口上を述べながら、並みいる敵を気絶させるシーンです。あれはきっと、未来永劫語り継がれる場面となるでしょう」
リタは自分に言い聞かせた。
(う、うん。ちょっとやりすぎたかも……我ながらこんな感じかな、と思ってたけど……嘘はまずいかもなあ……。あ、いやでもこんなに楽しんでくれるんだし、それにアンネローゼ様だったらこのくらいはできそうだもんね)
自分の主人を褒められてついつい調子に乗ってあることないこと書いてしまうリタに、褒め上手なセリーヌ。
ついでにリタの創作力がそれなりに高かったのも災いした。
そもそも、リタはあの夜のアンネローゼの行動を知らない。
彼女は、まさかアンネローゼがあんな危険地帯をふらふら歩いて何事もなく帰ったとは信じられず、「アンネローゼが並みいる凶悪な面の男たちをボコボコにして、テオドールの母の金貨を取り返したのだ」と考えていた。
こうして、最悪の文通が始まってしまった。
逆に、セリーヌは、王国にいたときのアンネローゼの様子について教えてくれた。アンネローゼが恋愛上手、だとか、アンネローゼは何でもできる! という知識やエピソードの数々。
そうしているうちに、リタは、テオドールやアンディなど他の使用人にも、セリーヌからの手紙を見せることになった。
――こうして、「セリーヌ」と言えば、普段あまり過去のことを離さないアンネローゼ様の、貴重な情報を教えてくれる恩人として、屋敷で確固たる地位を築いていたのである。
*********
「で、その手紙の内容は?」とあきれ顔のテオドールが尋ねた。
「えぇっと……。たしか、そう」
便箋を丁寧に開き、書いてある文章を口に出す。
「リタさん。いつも素敵なお手紙をありがとうございます。前回のお手紙で、アンネローゼ様が魔術学院に通うことになったと聞きました。
話は変わりますが、実はわたくしも1ヵ月前から、魔術学院に通っています。アンネローゼ様にそのことを伝えたかったのですが、アンネローゼ様はお手紙による連絡はしたくはないご様子。どうかアンネローゼ様に、私が会いたがっていて、『掃除』について話したがっている、とお伝えいただけませんでしょうか?」
「ですって」
「ですって、じゃないだろ……」
テオドールが頭を抱え、髪をわしゃわしゃとかき回した。
「あんなにお世話になってるんだからさ。もっとちゃんと連絡くらい――」
「まあ、大丈夫よ」
「大丈夫ったって……」
「第一、お2人は魔術学院にいるんだから、そのうち会えるし。だいたい、こういう感動の再会っていうのは、秘密の方が盛り上がるんだって」
「いや、そりゃそうかもしれないけど」
ほんと、こいつダメ女だな、とテオドールは冷めた視線を送った。やるときはやるのだが、それ以外は基本的に手を抜いているのが、リタというメイドである。
「あら」
ふと、リタが首を傾げた。
「最後にまだ書いてある。えぇっと、『もう一枚手紙を添えてあります。可能でしたらアンネローゼ様にお渡しください』だって」
便箋を持ち上げると、もう一枚入っているようだった。
「き、気になる……!」
「もうやめとけって。アンネローゼ様への手紙だろ。夏季休暇か何かで帰ってきたときに渡せばいいさ」
正直、興味津々だったが、そもそもアンネローゼにセリーヌのことを伝えていなかった、というミスを犯していたので、リタは便箋ごと取っておくことにした。
「うーん、でもなあ」
「まだ何か?」
そういってテオドールが顔をしかめる。
「俺はアンネローゼに頼まれて、畑の様子を見るために明日早く起きなきゃいけんだよ」
「いや、だってさ。アンネローゼ様の国は反乱があって、大変だったんでしょ? なんでそんな状況なのに、留学をしに来たのかなって」
「まあ、留学の理由なんて人それぞれだろ」
そこまで言ったテオドールが辺りを見回す。
「もうそろそろいいんじゃないか? 俺は明日、早朝から市場に行ってアンネローゼ様が一番好きな肥料を買い付けなきゃいけないんだよ」
と、時計を指し示した。
「肥料ぅ!? そんなのいつでもいいじゃん」
「いや、俺もよく知らないけど、その筋では有名な肥料らしくて、人気が凄いんだってさ」
「何その筋って?」
「肥料業界」
憮然と答えるテオドールに、リタは憐みの視線を投げかけた。
「朝っぱらから肥料を買いに行かされるなんて……テオドール……なんて可愛そうな子」
「……それ以上なにも言うな」
*****
その後、その便箋は、アンネローゼの部屋に保管されることとなるのだが、ちなみに、その手紙には、こう書き記してあった――
『アンネローゼ様。
我々アンネローゼ派は、全勢力を結集して、作戦名『掃除』が終了したことを、ここに報告いたします。アンネローゼ様を衆人の前で愚弄した歴史に残る間抜けな王太子ベルゼと、あの無駄に下品なだけのピンク頭のクソおん――失礼、少々取り乱しました。彼らをはじめとする保守派を一掃し、完全に国内を掌握し終えました。
国内の状況も安定し、近ごろは、徐々に我々の宣伝のおかげで、アンネローゼ様の評判が高まりを見せており、"革命の女神"アンネローゼ像を作ろう、という運動が国民を中心に活発になっております。
が、しかし。我々は途方に暮れました。
アンネローゼ様からのお返事が、一切帰ってこないからです。アンネローゼ様はすべてにおいて、計算をなさっています。そんなお方が手紙を無視するはずがない。では、一体どういう意味なのか? 我々は、一週間夜通しで、アンネローゼ様の今後の動きについて、議論をしました。
そして、1つの結論にたどり着いたのです。
……アンネローゼ様。
あなたはラヴォワ皇国をも『掃除』しようとしているのですね。
その事実に気が付いた時、我々はハッとさせられました。自分の国さえよくなればいい。そんな自分たちの考えの狭さを認識させられたからです。たしかに、ラヴォワ皇国は大国で、我々の王国とは規模も勢力も違います。ですが、近年腐敗が続いているのは同じこと。
そして我々には、アンネローゼ様がいらっしゃいます。誰よりも強く、誰よりも美しく、誰よりも気高い、最高の天才。アンネローゼ様がいる以上、我々に不可能はありません。
さらに、アンネローゼ様はもうすでにお気付きかもしれませんが、わたくし――セリーヌはすでに魔術学院に通っています。
『魔術』という新たな力。これさえあれば、アンネローゼ様の目標とする『綺麗な世界』の実現に近づけることでしょう。何を隠そう私も結構学院では結構有名で――
いえ、これ以上言及するのはやめておきましょう。再びお目にかかった時に、さらに進化した私の姿をお見せできれば幸いです。
アンネローゼ様の第一の下僕、セリーヌ
追伸 アンネローゼ様が月光を背に、悪漢数十人をなぎ倒した、という件についてもぜひぜひお話しください』
アンネローゼが学院に入学してスローライフを目論見始めた時同じくして、アンネローゼにとって、最強の敵(味方)が今、動き出そうとしていた――
本日のアンネローゼ様
→運よく(?)セリーヌからの手紙を見ないですんだ。もし見ていたら卒倒していた模様。
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