14.お気楽令嬢は、卑劣な罠に屈する
「な、な、な、な………!」
「そう……カヌレなんだけどね」と言うゲオルグの右側には、どこからともなくかわいい包装に包まれた袋が置いてあった。
いや、いつ出てきたのよ。さっきまでなかったはずだけど………。
「いやあ、残念だよ。せっかくだから君のために持ってきたんだけどな~」
そう言って、アンネローゼの目の前で厭味ったらしく嘆きだす第3皇子ゲオルグ。
「寂しいけど、1人で食べるか」
(な、なんという恐ろしい男……!!!)
アンネローゼは驚愕した。
この絶好タイミングで的確なお土産を持ってくるなんて……!!
「で、でもいいです」
とはいえ、一度ゲオルグを無視するという作戦を始めたのだ。ここで屈するわけにはいかない。
「う、うん。ほら、やっぱりね。その……カヌレだって、私、何回か食べたことありますしね」
落ち着きを取り戻しながら、座席に深く座り、ゲオルグを見ないように再度、首を横に固定する。
(そうそう、落ち着くのよアンネローゼ)
自分に言い聞かせる。
カヌレ。たしかに、口元に運びたくなる甘い響きが漂う……
が、しかし、忘れてはいけない。
これは賄賂である。
甘いお菓子でアンネローゼを釣ろうという作戦だろう。
ついにこの皇子は不正に手を染めてしまったのだ……!!!
悲しいかな。皇位継承者として名高い皇子が不正に身を崩してしまうなんて、皇国の未来は暗い。
と勝手にラヴォワの未来を予想していたアンネローゼに、ゲオルグが話しかけてくる。
「今、都で流行りのカヌレで、数量限定だったんだ」
「は、流行り……?? す、数量……限定???」
その言葉は、――あまりにもアンネローゼにクリーンヒットしていた。
頭がクラっとする。
そもそも根が小市民的なアンネローゼである。
さらに、アンネローゼの動揺を見て取ったのか、
「しかも、普通のカヌレとは違うんだ」とゲオルグがわざとらしく追い打ちをかけてくる。
「なッ……!?」
アンネローゼは驚愕した。これがかの有名な第3皇子ゲオルグなのか???
あまりにもいやらしすぎる。
「表面に薄く塗られたカラメルの香ばしさ。そして、生地に入っているバニラのほのかな甘さ。表面のカリっとした舌触りのすぐ後に、内側のもちっと触感が襲ってくる」
「お、襲ってくる……!?」
ごくり、と喉が鳴る。
「ラム酒を使っているんだけど、これが中々いいものを使っていてね。そう――甘さの中に、芳醇なラムの香りが広がるんだ。甘過ぎず、ちょうどいい味わい」
「うぐ……」
アンネローゼは口を押えた。
恐ろしい……! 天才、天才とは聞いていたけど、目の前にいるこの男は、お菓子の感想すら完璧なのか。
圧倒的な商品の説明力。
え? そこのカヌレの関係者の方ですか? と思わず言いそうになるレベルで、上手い。
「まあ、僕が仲良くしている商人が、今回のカヌレの職人の店に出資していてね」
「あ、本当に関係者だったんですね」
「ん、関係者??」
「あ、いえ、何でも…………」
いけないいけない。また、素が出そうになってしまった。
だが、そうやって言いよどむアンネローゼをよそに、殿下はご丁寧にもカヌレを見せつけるように、いそいそと袋を開け始めた。
「……ッ!」
(この人、この期に及んで、こちらを煽るような行動を……!!!)
アンネローゼは激怒した。
おいしそうなお菓子を、これでもかと見せびらかし、人の心を弄ぶ皇子を決して許してはおけぬ。
この自分が、たかだたかお菓子ごときに心を動かされるわけがない。
どんなことをされようと、どんな甘いお菓子を目の前で広げられようとも――
そう。
アンネローゼは屈しない。
そうだ、誓ったじゃないか。
(私は、こんな卑怯なイケメンに!! 負けるもんか!!!!!!! )
アンネローゼは向かいの男に、キッと睨みつけた――
*****
が、少し経ち。
「どう? 美味しい?」
「うぅ……おいしい…………おいしいです……」
口の中に幸せが広がる。
「いやあ」
それを見たゲオルグが晴れやかな笑みを浮かべる。
「気に入ってもらえてよかったよ」
「うぐッ……」
アンネローゼは敗北感と幸福感の板挟みになりながら、カヌレを頬張っていた。
結局、カヌレの甘い誘惑は抗いがたく、アンネローゼは
(……屈辱。もう生きていけない)
と屈辱でいっぱいいっぱいだった。
「美味しいよね?」とにっこり余裕の笑みで笑うゲオルグ。
(この皇子め……勝ち誇ってる)
何か一言くらい文句を言ってやろうと思ったが、味はゲオルグの食レポ通りとてもおいしかったので、アンネローゼは口の横にカヌレの食べかすをくっつけながら、ゲオルグを睨み続けることしかできなかったのである。
……非常に複雑だ。
「いい景色だね」というゲオルグにつられ、窓の外を見る。
汽車はどんどん速度を増していき、郊外に出たようで、次第に緑が増えてきた。
ゲオルグの言う通り、いい眺めと言えば、いい眺めだが……
(うーむ、なんでこうなったんだろう???)
なぜ、お屋敷に変わる『アンネローゼの新たなる安息の地(予定)』の魔術学院に、ゲオルグが付いてくるのか。
正直言って、この男は相当なトラブルメーカーである。
アンネローゼが「ひぃひぃ」言って、必死になっているときには、基本的にこの男が関わっているといっても過言ではない。
しかも現在、魔術学院ではなんらかの問題が起きているらしく、ゲオルグはアンネローゼに期待しまくっている。
というわけで結論、皇子の期待が重い。
――が、しかし、
(ま、いっか)
アンネローゼは割となめていた。
ゲオルグは「君の力が欲しい」だのなんだのと言っていたが、そんなことは知ったこっちゃない。
アンネローゼとしては、学院で魔術を学び、己のスローライフという夢に一歩一歩近づくだけだ。
(要するに、ま、この皇子を出し抜けばいいだけだよね?)
と、アンネローゼはほくそ笑んだ。
『学院の闇』だか、不審者だかよくわからないけど、そんなのはゲオルグに押し付けて、自分は学院生活を悠々と楽しむとしよう。
面倒くさいことは、人に丸投げするに限る!!
アンネローゼは、そうやって今まで生きてきたのだ。
「ルーク、学院のことを教えてくれますか?」
内面のゲスさを押し隠し、ゲオルグにそう尋ねると、
「もちろん」という声が返ってきた。
「ありがとうございます。楽しみです!」
アンネローゼはとびっきりの笑顔を見せた。
汽車の中で、表面上、和気あいあいと和やかに話す2人。
だが、
(クックック……殿下。カヌレは最高だったけど、そんなんじゃ騙されませんよ。そう――最後に笑うのは、この私!!!)
と、1人はろくでもない思考に囚われており、もう1人は、
(……しかし、こうしてみると、金や銀ではなくただのお菓子でこんな喜んでもらえるとは……やっぱりいい子だな)
と、目の前の儚い令嬢を、一層好ましく感じていた。
こうして。
まさか、この後とんでもない事件に巻き込まれるとはつゆ知らず、アンネローゼは暢気に高笑いを決め込んでいたのであった。
*****
ちなみになぜか最近、ゲオルグが前よりも距離が近くなったように感じたので、「どうかしました?」とアンネローゼが聞いてみたところ、
ゲオルグは、
「あぁ……最近気になる相手がいるんだけど……中々相手のガードが固くてね」と遠い目線でつぶやいていた。
へぇ。
こんなイケメンで、女性なんてより取り見取りそうなゲオルグを歯牙にもかけない令嬢がいるらしい。
すごいな、とアンネローゼは思った。
さすが、大陸一の大国である。きっと社交界にいる令嬢のレベルも相当高いのだろう。
たぶん、『気になるあの殿方を虜にする99の方法』なんて胡散臭い本を読んでいる自分とは、まったくレベルの違う凄腕令嬢に違いない。
(会ってみたいな。そして、できれば、男を惑わすテクニックの1つや2つでも教えてほしいな)
と、アンネローゼは思った。
おそらく、アンネローゼのお色気面の師匠――メアリーさんよりよっぽど上のテクを持っているはずだし。
本日のアンネローゼ様
→意思が弱いので、カヌレにより買収される。