11.お父様、お母様、元気ですか?
――お、終わった
「ちょ、ちょっと待ってくださいます??」
アンネローゼはそう言って手を伸ばした。手のひらを殿下の方に向け、しばし休戦、というポーズをとる。
「いったん、いったん、整理させてください」
気持ちを落ち着かせるために、空を見上げた。上には、雲1つない澄み渡った青空が広がっている。
わ~~、いい空。
うんそうだよな、落ち着け落ち着け。空もこんなに綺麗なんだし、ちょっと落ち着かないと。
ちょっと整理してみよう。
『私こと、アンネローゼが学院に行く』
これならわかる、わかるよ。ゲオルグが学費を出してくれるのだ。行かないはずがないよね??
つまり、問題はない。
『アンネローゼが学院に行くのに、殿下が付いてくる』
お、おう。
なんかちょっと疑問だが、まだわからなくもない。殿下だって公務が大変で、また気楽な学院生活に戻りたいという可能性もなくはないし……。
『アンネローゼと殿下が姿と名前を変え、学院に潜入し、学院に潜む"闇"とやらを探す』
!?!?!?!!?
あれれ、おかしい。
なんか途中で完全に趣旨が変わっているし、一気に難易度跳ね上がっているような気がする。
「アンヌ、行けるかい?」というゲオルグの声で、アンネローゼは目線を地上に戻した。
目の前には、決意を秘めた眼差しで、そっと手を差し出す殿下。非常に様になっている………が、ちょっと急すぎるし、朝から重い。
もしかして、仮の婚約者の仕事内容に、『学院に潜む悪を成敗する』って項目があるのだろうか????
う~~む、謎である。
仮の婚約者も楽ではないな、と思いながら返事をする。
「行ける……いや、最終的にその物理的に学院には行きたいんですけど、その……ルークさんから今さっき言われた内容はちょっと熟慮しないといけないような気が……、で、でも!!!」
しかし。
ここであきらめるわけにはいかない。
「て、テオドール……! リタ……!」
アンネローゼは振り向いて、最後の砦ともいえる2人に呼びかけた。
そう。この短い間に、アンネローゼは勝機を見出していた。
この2人は常日頃から、「アンネローゼ様のために働きます」と言ってはばからない。であれば、この危機的状況でもアンネローゼのために皇子に対抗してくれるに違いない。
そんなアンネローゼの祈りが通じたのだろうか。
「はぁ」とテオドールがため息をついた。
おっ??
期待で胸が高まる。
いいぞ、少年。あんなに教育を施してあげたんだし、今こそ恩返しの時だよ。
わかるよね???
「わかってますよ、アンネローゼ様」と深く頷くテオドール。
「て、テオドール……!」
キタキタキタキタ!!
思わぬ救世主の出現に、アンネローゼは思わず小躍りしそうになった。
ありがとう。君はいい子だ。
最初、屋敷に来た時、心の中でぼろくそ言ってごめん。
そして、金属類を屋敷から盗もうとした罪は、この際、不問にしてあげても――
「この場は見なかったことにしますよ。それでいいんですよね? アンネローゼ様――いや、」
そう言うと、テオドールは困ったような表情で肩をすくめ、それから慇懃無礼に礼をした。
「今日初めてお会いしたアンヌさんと、しがない男爵令息のルークさん?」
これでいいんですよね? わかってますよ、やれやれ、みたいな感じを浮かべたテオドールが、整った顔でウィンクしてくる。
「ん???」
この子……、なんか勘違いしてない?
「ああ、別にいいんですよ、お礼は。もちろん、本心ではアンヌさんにそんな危険なことをしてほしくはありません……」
でも、と言いながらテオドールが首をふる。やれやれと言いつつだいぶ嬉しそうな様子のテオドール君。
「仕方ないですよね。困った人を見かけたら放っておけない――それが、それこそが、我が主人の美点なのですから」
「………………」
アンネローゼは絶句した。
過大評価にもほどがある。
アンネローゼは、どちらかと言えば困った人よりも己のスローライフを優先させてしまう困ったちゃんである。
「いやいや、そんなことはないよ。結構、冷たいところもあったりするし………」
――さらば、世間体!!!
仕方ないから、必死に自分の欠点を暴露する。
冷静に考えると、なんでこんな公共の場で自分の欠点を言わなきゃいけないのか、という気もするが、まあいいだろう。
この程度は必要な犠牲である。
だがしかし、アンネローゼの必死の工作にもかかわらず、テオドール君はアンネローゼのことを褒めるのをやめる気はないらしかった。
テオドールの少し高めの声が路地裏に響く。
「何より、そんな風に僕も救われましたから。だから、僕が反対する理由はどこにもありません」
と、そう言い切ったテオドールの空色の瞳は、彼の思いと同じようにどこまでも澄み渡っていた。
「ほぅ……」という感心したような空気が路地裏を満たす。
リタも、ゲオルグも、テオドールの心意気に心を動かされたようだった。
心がピクリとも動いていないのは、この場でアンネローゼ1人のみである。
「全く……テオドール。君のような従者が、僕の陣営にいて、いや、アンネローゼの元にいて、本当に良かったと思っているよ」
「お褒めいただき光栄です」
「まあ、君は婚約者である僕のことを嫌いかもしれないけどね……」
と、少し和んだ様子のゲオルグが、からかうような笑みを見せると、
「そうでもないですよ。別にこの立ち位置で満足しています。アンネローゼ・フォン・ペリュグリットの従者は、世界中でこの1人、僕だけですから」
と、テオドールも笑みを浮かべた。
お互いにこやかに笑い合う2人。
両方とも顔が整っているからか、非常に絵になっている。
「ね、ねぇ」と完全に蚊帳の外になりかけていたアンネローゼは、唯一この場で解説してくれそうなリタを探した。
「あの2人ってなんであんなに仲良くなってるの? だいたい、なんでテオドールが殿下のことを嫌うのよ――」
「……いい」
「は??」
いや聞こえないんだけど、アンネローゼが聞き返そうとした瞬間、リタがぽつりとつぶやいた。
「いい……!!!」
「な、なによ急に」
「す、すごい。同じ令嬢を愛する2人のイケメン。最初は憎しみあう2人だったが、その憎しみはやがて愛に変わり、2人はいつしか――」
「は??」
アンネローゼは思わず、顔をしかめた。
意味がわからない。
が、リタはそんなアンネローゼに構うことなくブツブツと高速で続けている。
「す、すごい今までになく新しい関係ができそうな予感、これは歴史に名を残すとんでもない大発見をしてしまったような気が――」
急に眼を全開に開きながら、ブツブツ訳の分からないことを言い始めるリタ。
「何それ怖い」
もういいかな、とアンネローゼは思った。
ふと青い空を見上げると、久々に両親の顔が蘇った。
両親は、今元気でやっているだろうか。両親も両親で王国クーデター時に、急に『王国の影』とか言い出して怖かったので距離を置いていたが、そろそろ連絡してもいいかもしれない
空を飛ぶ鳥の姿を追いかけながら、アンネローゼは思った。
――お父さん、お母さん。あなた方の娘は、ろくなことに巻き込まれていません。なぜスローライフは遠ざかっていくのでしょうか?? 実家にいたときは、助言なんかを求めたことはありませんでしたが、今、猛烈に助言が欲しいです。
「アンネローゼ様、私、アンネローゼ様のおかげで開眼しました……すごい。この全身に満ち溢れるこの感覚……これが創作意欲ってやつですか!?
い、今なら何かこう……傑作が生まれそうです! ! 書いてもいいですか!?」
「いいよ」とアンネローゼは死んだ目で投げやりに答えた。
「うん、もう何でもいいよ」
*****
――後世、歴史家は語る。
アンネローゼ・フォン・ラヴォワが動き始めた時代、彼女と同じように、数多の才能が台頭した。その中でも一際有名なのがアンネローゼの屋敷でメイドを勤めていたリタ、という女性である。
なぜ彼女が有名になったのか。
それはひとえに、彼女の作品に、有名になる前のアンネローゼの姿がそのまま出てくるからでる。
アンネローゼが魔術学院へ行き、手が空いた彼女はふと、趣味として小説を書き始めた。
それは1人の高貴なる女性を巡って2人の男が争う話。
令嬢の婚約者である貴族の男と、令嬢の従者である少年。意中の女性を巡り、お互いを傷つけ合う2人はいつしかお互いを存在をかけがえのないものに感じていく。
この余りに切ないストーリーと令嬢の聡明さ、男性同士の恋愛というスキャンダラスな内容は、瞬く間に大陸中に広まり熱狂的なファンを獲得した。
そして己の性癖を全開にして、恥知らずにも全世界に公開した彼女は、後日、
「成功の秘訣は? あんな内容で、かのアンネローゼ様は許可をお出しになったのですか」と問われると、
「寛大なお心で、『うん、もう何でもいいよ』と、全てを許して下さったアンネローゼ様のおかげです」と、謙虚に答えたという記録が残っている。
自らを題材にした創作物にも寛大さを示した、皇妃アンネローゼの先見性が良くわかるエピソードであると後世には伝わっている。
――が、しかし。当の本人は、心の底からヤケクソになっていただけであり、先見性もくそもあったものではない、と言う事実は知られないままであった。
本日のアンネローゼ様
→テオドールに助けを求めるが、忠誠心が高すぎて不発。仕方ないから、とリタに助けを求めるが、より一層使えなかった。