9.お気楽令嬢は、絶望的に空気が読めない
「アンネ――」
優しく、呼ばれる。
――いや、待てよ??????
甘く、むず痒い雰囲気に、思わず「ハイ! 喜んで!!」と答えそうになるが、アンネローゼはそんな自分を制止した。
一瞬の間に、アンネローゼは頭をフル回転させていた。
なぜだ……???
なぜこんなことをする……????
さっぱり意味が分からない。
ゲオルグの甘いマスクに隠された真の意図とは……!?!?!
そして。次の瞬間。
アンネローゼの脳内に突如、稲妻が走った。
そうだ。
これは………これは…………
ゲ オ ル グ の ト ラ ッ プ に 違 い な い !!!!!
*****
そうだ、とアンネローゼは冷静に考えてみた。
現状はこうである。
1.ゲオルグには、未だ世に出てきていない真の婚約者がいる(たぶん)。
2.アンネローゼはその婚約者の代わり、代役として選ばれた(おそらく)。
これら2つの情報から、自ずと真実は導かれる――
そう。
これは、ゲオルグから自分に仕掛けられた高度な心理戦である。
つまり、これはゲオルグのテストだ。
アンネローゼが本当に仮の婚約者としてやっていけるかどうかを探っているのだろう。
ここでアンネローゼが、指輪をもらったことに喜んで、「殿下から指輪をもらっちゃった☆」なんて言いふらしたら、一巻の終わり。
「こいつ使えないな」認定をされてしまう。
逆にここでアンネローゼが、指輪を貰ったことに、「なんですかこれ~??」みたいなことを言ったら仮の婚約者として、合格、というわけである。
そうだとすれば、この指輪は、あくまでも「これからも仮の婚約者として頑張ってね記念」ぐらいに考えておくのが妥当だろう。
なるほど、やるねえ。ゲオルグ君。
チッチッチッ。
しかし、詰めが甘いね。
――ダメだよ、殿下。
アンネローゼは、心の中でやれやれとため息をついた。
普段整った人間が楽しそうに笑う顔は、反則だ。
こんな顔を目の前でされてしまったら、どんな令嬢でも勘違いしてしまうだろう。
アンネローゼ以外だったら、殿下の真の意図、つまり「殿下トラップ」には気付かず、本当の婚約指輪だと思いこんでしまうだろう。
全くもう、本当に罪作りな困ったイケメンである。
事情をすべてわかっている自分ですら、クラりときそうになってしまった。
さて。
状況を整理で来たところで、アンネローゼはどう出るか。
アンネローゼの目的は、スローライフ!
そのためには、この実力主義の空気が蔓延し、のんびりでき無さそうな国からさっさとトンずらして、辺境の地に行きたい。
しかし一方で、アンネローゼには、まだその準備ができていないともいえる。
クックックと含み笑いをする。
――申し訳ないが殿下。その手には乗りませんよ!!!!
だとしたら、アンネローゼが取るべき道はただ1つ。
「殿下、ごめんなさい!!」
「なにが――」
ゲオルグが言い終わらないうちに、ちゃんと"自分はすべてわかっていますよアピール"をしておく。
「婚約指輪なんてありえないですよね!!!!」
大声できっぱり言い切る。
それから、ぐっと親指を立てる。
「すみません、勘違いさせるようなことを言ってしまって!!!
では失礼します」
そう言い残し、颯爽と去る。
――我ながら、気の利くいい女ね。
殿下に、「すべて事情を分かってますよ」アピールをして、しかも、一緒に棒探しまでして友情を深めた。
さすがは天才アンネローゼ。
我ながら完璧な計画である。これ以上に、己の立場をわきまえている仮の婚約者など、そうそうないだろう。
仮の婚約者界でも、屈指の実力者――それがアンネローゼなのである。
これで殿下は感心。アンネローゼも安心。
すたすたとアンネローゼは馬車の方へと歩みを進めた。
「あれ……?」
だけど、最後に1つだけ不思議なことがあった。
なんでゲオルグは最後、アンネローゼの絶妙なフォローを聞いた瞬間、口を開けたまま固まってしまったんだろうか。
――結構、棒探しで体力を使っちゃったのかな??
ふとした疑問を覚えながらも、アンネローゼは馬車へと舞い戻った。
*****
「っていう感じだったかな」
屋敷を出て進み始めた馬車の中で、アンネローゼは満足感いっぱいで今日の報告をしていた。
アンネローゼは思っていた。今日の自分は結構冴えてたな、と。
最近テオドールは、なんかアンネローゼのことを微妙な表情で見つめてくることが多いのだが、まあたまには、こういうところでアンネローゼの頭の良さを見せつけていけば、信頼回復していけるに違いない。
"神の頭脳"は言い過ぎだと思うけど、でもちょっと頭がいいとは言われたい。
アンネローゼの複雑な乙女心だった。
「「………………」」
が、しかし。
なんかおかしい。
テオドールとリタの様子である。
途中まではよかったのだ。
最初アンネローゼが、「庭で棒を探し合った」と2人に告げると、2人は、微妙な顔をしながらも、
「アンネローゼ様らしいアプローチですね!」と喜んでくれた。
で、話が指輪をもらった場面になると、2人のテンションは頂点に達し、「それで、どうなったんですか!!!」とか「早く続きを!」と身を乗り出して聞いてくれた。
が、しかし。
おかしいのは、それ以降だった。
アンネローゼが、「婚約指輪なんてありえないですよね!!!!」と吠えたシーンから、どんどん二人の顔から笑顔が消え去り、最終的にアンネローゼが懇切丁寧に、殿下の思惑を2人に解説してあげると、二人は顔面蒼白を通り越していた。
しかも、
「うわぁ……非人道的」
「え、アンネローゼ様って、良心とかお持ちでないんですか?」
「なんか今までにないほど急に、殿下を身近に覚えてきました」
「僕そんなことやられたら2日は寝込みますよ」
「なんかアンネローゼ様って、カッコいいときはカッコいいのに……普段はとんだダメ人間ですよね」
という熱い罵倒付きである。
ちなみにリタは、
「そんなことを言ってはダメよ、テオドール。アンネローゼ様は、人の心を無自覚に毀すタイプなの」と意味の分からないフォローを入れていた。
――いやおかしい。
アンネローゼは思った。
こんなにうまくいったのに。
「え、アンネローゼ様。ちなみにお聞きしますけど――」
恐る恐ると言った様子で、リタが問いかける。
「そのほら、殿下が本気でアンネローゼ様のことを思って指輪を渡した、とかそういうことはないのでしょうか。その……一番ありえそうな気がしますけど……」
「はぁ……」とアンネローゼは嘆息した。
「リタもまだまだね。そんなのは、恋愛初心者の考えよ。上級者なら裏の裏を読まなきゃね」
絶句するリタとテオドール。
リタは天を仰ぎ、テオドールはあまりのいたたまれなさに、馬車の床を見た。
――しかし、これには理由があった。
アンネローゼは以前、学院に通っていたとき、なぜか恋愛相談を異様に持ち掛けられていた。
そして質の悪いことに、アンネローゼが適当にしたアドバイスはなぜか、すべて大当たりで、周りの令嬢はアンネローゼを「恋愛の天才」「神の恋愛」などと言って盛大に呼びたたえたのである。
そう。
この余計な成功体験から、アンネローゼは自分の恋愛力に過大な信頼を寄せてしまっていた。
さらに、生来のお気楽っぷり、空気の読めなさがこれに加わった。
その結果――
なぜか恋愛経験がほとんどないくせに、男女の駆け引きにだけは無駄な自信をもち、恋の経験値がぶっちぎりにないにもかかわらず、恥知らずにも上から目線でアドバイスができる――という最凶の令嬢が爆誕してしまったのである。
「あれ、もしかして、『本当の婚約者はどなたですか??』って聞いた上げた方がよかったかな???」
「「頼みますから、もうこれ以上、余計なことをして話をややこしくしないでください!!!!!!!」」
リタとテオドールの決死の咆哮が、暗くなり始めた道に響いた。
ちなみに後日、幼少期からほとんど寝込んだことがない第三皇子ゲオルグが、珍しく二日ほど寝込み、世間の人々が驚くことになるのだが、この時のアンネローゼはそのことを知る由もなかった。
本日のアンネローゼ様
→「私恋愛上級者なのですべてわかっていますよ」という余計なスタンスのせいで、皇子のメンタルをブレイク。ついでに、リタとテオドールを絶句させる。