6.お気楽令嬢は気まずさを感じている
アンネローゼはゲオルグに案内され、彼の執務室だという場所に来ていた。
意外にも内装は質素で、あまり贅沢している様子はない。
「申し訳ない、アンネローゼ。ダーヴィトは何というか、悪い奴じゃないんだけど――どうも警戒心が高くてね」
ソファに腰を掛けるなり、ゲオルグが頭を下げた。ちょうど窓から差し込んだ日の光が髪にあたり、眩しく反射する。
「いえ、大丈夫です」
全く何とも思ってないですよ、と華麗にフォロー。
「たしかに他国から拾われてきた私は、所詮、見知らぬ人間。ダーヴィト様が警戒なさるのは無理もないことでしょう」
アンネローゼは穏やかにほほ笑み返した。
まあというのも、ここに来るまでも、またひと悶着があったからである。
先ほど廊下で、アンネローゼは、あの地味な男と、髪だけではなく心も腹黒そうなイケメンの2人を紹介された。
そして、少し談笑した後にゲオルグが「では行こうか、アンネローゼ」と案内しようとした。
しかし。
そんな光景を見たダーヴィトが、
「……殿下。あまり見知らぬ女性と2人きりというのは……その危険かと」と、急にゲオルグをとがめるような発言をしたのだ。
で、その後が大変だった。
どちらも譲らないのである。
ゲオルグが笑顔のままで「いや、僕はアンネローゼと一対一で話さなきゃいけないことがあるんだ」と言えば、
「特に大した用事はないでしょう。俺も一緒にいますよ」とダーヴィトも応戦する。
双方笑顔のまま――だけど全然眼が笑っていないという非常に胃が痛い状況。
最終的に、2人の間に挟まれたアーノルドの「それくらい、いいじゃないですか、ダーヴィト。第一、殿下が危険な目に合わされるような人間ですか?」という冷静な一言により、争いは終結した。
まあたしかに、とアンネローゼも地味に眼鏡君の評価を上げた。
冷静に考えてほしい。
――いやたぶん、殿下は私がどうこうできる相手でもないでしょうが!
と文句を言ってやりたい気分だ。
あのダーヴィトとかいう男は、アンネローゼが部屋に入るなり、ゲオルグをぼこぼこにするとでも思っているのだろうか。
そんなんできたら誰も苦労しないわ、とアンネローゼは内心、ダーヴィトに愚痴をこぼしていたのである。
「じゃあそろそろ、本題に入ろうか」
頭を上げたゲオルグが、パン、と手を叩いた。
そのまま立ち上がり、テーブルの上に置いてあった手紙を丁寧に持ち上げる。
「本題……?」
思わず首を傾げた。
本題……??? 何かあったっけ???
どうしよう、全然記憶にない。
「そう。この前、君からの手紙にあった」
そう言うゲオルグの手には、1通の手紙が握られている。
あ~~~~あれか。あれ、もしかすると……
ゲオルグが大きく頷く。
「――魔術学院について話だ」
*****
少し時間が経ち、
「殿下! ありがとうございます!」
アンネローゼはホクホク顔で、何度もゲオルクに感謝をしていた。
「気にしないでいいよ」とゲオルグが手を振る。
が、アンネローゼは目の前の美形を拝み倒していた。
「いや、でもこの私に、学費まで出していただけるなんて……」
なんとこの太っ腹イケメンは学費も全額出してくれるらしい。
最高だ。
他人のお金で食べるご飯と、他人のお金で通う学院。
どっちもアンネローゼの好きなことベスト100には入ってくる。
「本当に気にしなくていいよ。この前の一件で、君はその能力の一端を示した。これは正統な評価だ」
なんといい人なのだろう。
アンネローゼは、自分の中で殿下の評価を勝手に急上昇させておいた。
現金な女である。
「まあ正直なところ、この手紙で君に『魔術学院に行きたい』と言われたとき、多少迷ったんだけどね」
「というのは……?」
「アンネローゼ。君の祖国――クレイン王国は、この辺でも珍しく魔術が流通していない国だ」
「アッ、ハイ」
アンネローゼは祖国、クレイン王国の状況を思い返していた。
何十年か前、今まで一部の貴族だけが独占していた魔術が、一気に拡散して大陸中に爆発的な広がりを見せたことがあった、という。
もちろんラヴォワ皇国もその例にもれず魔術を取り込み、より一層繁栄に成功した。
そしてそんな中、親愛なる我が祖国はどうしていたか?
クレイン王国は頭が固くて保守的で、時流が読めないことで有名だった。
なんと「魔術なんて怪しげな術はけしからん!」という保守派のおじさんどもの熱き反対により、クレイン王国だけは魔術が流行らなかったのである。
そういうわけで、アンネローゼやクレイン王国の人々は、魔術について噂レベルでしか聞いたことがなかったのである。
うん、ひどい。
頭が固いとかそういうレベルではない。
聞くだけでも頭が痛くなる。
こんな国だからクーデターが起こるんだよ、とクーデターの実行主犯格であるアンネローゼは、自分のことを棚に上げて、ため息をついた。
「本人がいくら学びたいとは言え、魔術もそれなりに勉強が必要だからね。いきなり魔術学院に入れていいものか。結構迷ったんだ」
ぐうの音も出ない正論だった。完全に扱いが後進国のそれである。
「だけどね。僕は、この手紙をよく読んだんだ――100回は超えたかな」
――へ?
あまりの衝撃にアンネローゼの口が全開になった。
あんな適当に書いた手紙を100回読む????
このイケメンはどれだけ時間をもてあましているのだろうか。
だけど、そう語るゲオルグの顔は真剣そのものである。
「そうして、読んだ先に僕は答えを見つけたんだ。
『魔術学院に行きたい』……アンネローゼ。君がこんなことを言い始めた理由をね」
「り、理由……?」
頭の中で疑問符が躍り出す。
「あぁ」と楽しげに笑みを浮かべるゲオルグには申し訳ないが、何がなんだかさっぱりである。
理由って言っても……スローライフに役立つかな? とかひと儲けできないかな? みたいな軽い気持ちでしかないんですけども……。
アンネローゼは、喉がカラカラになりながらゲオルグに尋ねた。
「あのぅ……その理由とやらを教えてもらうことはできないでしょうか?」
「へぇ、本当に君は面白いね」
ゲオルグが、再びその長い脚を組みなおす。
「いいね。君の一手、いや『神の頭脳』の繰り出した一手に、僕が追いついているのか。答え合わせといこうじゃないか」
ゲオルグが挑戦的な笑みを浮かべる。
なるほど。
何の話かさっぱり過ぎて、こっちはパニックである。
「基本的にアンネローゼ。君の今の状況は、あまりよろしくない。
急に僕の婚約者だ、と言って紹介したところでやはり他国から来た君は侮られてしまうだろう。社交場で何か攻撃を加えられる可能性もある」
熱心に語るゲオルグを見て、アンネローゼは背筋に冷や汗が浮かんできた。
(こ、こうげき……??? そんなことあるの……?????)
果たして一体、この辺の治安どうなっているんだろうか。
「だけど、アンネローゼ」
ゲオルグがこちらに身を乗り出てくる。
こちらを見てくるのだが、その眼にはえも知れぬ熱っぽさがあった。
「魔術学院に行けば、話は別だ。
この国では、魔術を修めた人間は本人の実力としてやはり尊敬されるし、君自身が魔術によって自衛できるかもしれない。
それに何といっても、学院には貴族の子息・令嬢も多い。社交界への足掛かりにもなるだろう」
……ぐほっ。
キラキラと、どこまでも澄んだ眼差しがこちらを見据えている。
どうしよう。
眩しすぎて真正面から見れない……。
ただ、自分が身を乗り出し過ぎているのに、気が付いたのだろう。
ゲオルグは「おっと失礼」と姿勢を正した。
「どうだい? アンネローゼ。
僕も少しは追いつけただろうか――君の見ている世界に」
あわわわわわわわわわわ。
ひ、ひどい勘違いをされている。
「ア、アハ……」
アンネローゼの乾いた笑いが、部屋に響いた。
この場で、
――す、すみません。スローライフのことしか考えていませんでした!!!
と言えたら、どれだけ楽だろうか。
だがしかし、アンネローゼは基本的に流されやすいタイプの人間だった。そんな人間がこんな熱っぽい視線で褒められて、相手を否定できるだろうか。
しかも殿下は、おそらく善意100%である。
皮肉でもなんでもない。心の底から本気で言っている。
(いや、無理ィ!!!)
というわけで完全に観念したアンネローゼは、勢いでごまかすことにした。
「み、見破られてしまいましたか……! さすがは殿下のご賢察です。うんもう本当に……いやはや、さすがは殿下……もしかしたら私の出る幕なんてないのかもしれませんね……ヘヘヘへ……」
「そんなことはないさ。僕はまだまだだよ」
焦りまくった結果、早口でぶつぶつ誤魔化すアンネローゼ。
そして、それを楽しそうに見つめるゲオルグ。
こうして、アンネローゼは、今日一つ教訓を得た。
――大したことをやっていないのに褒められると、それはそれで気まずい思いをするな、と。
今度から余計なことはしない様にしよう、と思ったアンネローゼだった。
本日のアンネローゼ様
→殿下の謎の信頼に押し切られる