1.お気楽令嬢は、味方を作る。
「いい日ね」
アンネローゼはぼんやりとつぶやいた。
本日は、雲一つない晴天。窓の外には、皇都の象徴である巨大な時計塔が見えていて、空には鳥たちが羽ばたいているのも見える。
――でも、私は自由じゃない。
アンネローゼは恋焦がれる乙女ように、窓に手を伸ばした。決して手が届かない自由を求めるように。
「私もいつか、あの鳥たちのように……」
そう言って、目を伏せる。
でも、無理なものは無理なのだ。
所詮自分は、籠の中の鳥。
「あの~アンネローゼ様」
そんな厳かな雰囲気をぶち壊すように、後ろから呆れた声が聴こえた。
テオドールの声である。
「殿下の元に行くっていうだけなのに、紛らわしい表情で、囚われのお姫様みたいな状況を勝手に作り出すのやめてください」
アンネローゼは振り向いた。
後ろに控えていたのは、ため息をつく美少年。
「それと」
彼の整った唇が動く。
「農作業できないからってすねないでください」
……てへ。
***
口に出すのも頭がおかしくなりそうな例のあの1件から、はや2週間が過ぎた。
やっぱり、今考えても意味が分からない。なぜうら若き乙女が、他国の無法地帯を夜中にふらふらしなきゃいけないのか。永遠の謎である。
いや、もう考えるのはやめておこう。
アンネローゼはさっさと切り替えることにした。
自分はお気楽な令嬢だ。そう、考えるべきは過去ではなく未来。
あの一件だって、一生に一度あるかないかの珍事、といったところだろう。
何年か経てば、きっと「あの頃は私も若かったわ。うふふ」などと大自然を背景にハンモックに腰を掛けながら、笑い話にできるはずだ。
「というか、何がそんなに嫌なんですか? せっかく殿下に呼ばれて身支度するってだけですよ?」と不思議そうに言うのは、テオドール。
現在、窓枠に寄り、「囚われの令嬢感を出す」という茶番をやめたアンネローゼは、屋敷の一室でのんびりお茶をしていた。
テーブルの上には、庭でとれたハーブを使ったハーブティー。
アンネローゼはそのハーブを摘んで屋敷のみんなに午後の一杯を楽しんでもらおうとしていたのである。
(どうせ、そのうち婚約を破棄してスローライフを目指すんだから、その際の味方は多ければ多いほどいいはず!!)
という、要するに、アンネローゼが何とかひねり出したのは、みんなをこちら側に引き入れて手伝ってもらおう、という圧倒的姑息な発想だった。
そんな矢先にティーポットを持ってきたテオドールから、「明日殿下にお呼ばれしていますよ」と報告を受けた、というわけである。
そして。
「いやあ……何が嫌ってわけでもないけれど……」
テオドールに問い詰められたので、もごもご言い訳をしてみる。
「アンネローゼ様は感覚がマヒしているかもしれませんが、本来殿下にお呼ばれするなんてありえないですよ」
うんうん、とテオドールが頷くと、ちらほらいた使用人の皆さんも、「ですね」と同意し合っている。
どうやらみんなの総意らしい。
「正直なところ、一応、殿下の陣営に使用人として仕えている人間だって、会話を交わす機会なんて、そうそうないんですよ! つまり、それだけ親愛を示されている証拠! ガードが固い殿下にここまで認められているんですよ!!!」
そう力説するテオドールを横目に、アンネローゼは「でも、ほら、緊張するじゃない」と言い返した。
だいたい、アンネローゼ的には、着飾って出かけにいくという行為自体が面倒くさい。
面倒くさいったら面倒くさい。
だったら、屋敷の土をいじってた方がよっぽど肩がこらないというものである。
まあ、とはいえ、テオドールもこっちのことを考えてくれているのだろう。
よし、ここはちょっとばかり、懇切丁寧に説明してあげるとしますか~。
アンネローゼは気合を入れて、ハーブティーのポットを手に持っているテオドールに言った。
「いい? テオドール。どうせ殿下だってお遊びに決まっているわ」
「は?」
アンネローゼの突然の爆弾発言に、テオドールの笑顔が固まる。
「冷静に考えて、あんなにすごい人が私のことを婚約者に選ぶはずがないわ。きっと――たまたま、他の女性を避けるために選ばれたのよ」
「何を言っているんです?」とテオドールが呆然とつぶやくが、アンネローゼの天才的頭脳はとっくに答えを導き出していた。
そうだ。そうに決まっている。
あんなにかっこいいし、地位があるし、性格も悪くなさそうな人間――しかも皇子! が、他国でぽいっと捨てられたような令嬢に婚約を申し込むだろうか。
婚約と言えば、貴族にとっては一大事である。そんな捨て犬を拾うような勢いで婚約者を決めるはずがないじゃないか。
アンネローゼはそう固く信じていた。
だって、雰囲気だけはイケメンだった元婚約者――ベルゼ王子でさえ、あれほど令嬢に人気があって、女遊びをしていたのだ。
それよりはるか格上のゲオルグが、まさか自分みたいなのを相手にするわけがない。
「ってわけよ」
アンネローゼはびしっと指を立てた。
これで説明はばっちりのはずだ。
しかし。
「アンネローゼ様……」
テオドールが苦しそうに、顔を歪めると、「アンネローゼ様、そんなご自分を卑下なさらなくても……」と少し離れたところで、明日着ていく服について考えていたリタも、顔を曇らせた。
アンネローゼは2人の顔を見比べた。
あれ、もしかして、私の気持ちが通じていない???
気が付けば、他の使用人も一様に言葉を失っていた。
「ん?」
なんでこんな葬式のような雰囲気になっているんだろうか。
アンネローゼ的には、「だから、殿下にどう思われたって自分を気にしていないよ!」くらいのノリだったのに。
(伝わっていないなら、もっとちゃんと説明しなきゃ!)
アンネローゼは、みんなを安心させようと、さらに力を込めて力説した。
「だから、大丈夫。私の夢は、辺境の地でのんびり暮らすことなの」
そう言えば、皇国の北方は、とてつもなく広大な大地が広がっているらしい。
いいね~~いつか行ってみたい。スローライフは全人類の夢である。
的なことをつらつら話していると、がたっと音がした。
「んん?」
よくよく見ると、テオドールがティーポットを勢いよくテーブルにぶつけてしまったようだ。
珍しい。そんなミスをするような子じゃないのに。
「すみません、アンネローゼ様。ちょっとめまいがするので、休憩を頂けますか?」
「……? ああ、どうぞ」
別に断る理由もなかったので、普通にアンネローゼは許可を出した。
「すみません! しばしお時間を……!」
そう言って胸を押さえたテオドールが、どこか苦しげな表情で部屋をふらふらと出ていく。
「あ、アンネローゼ様。私も失礼します……!」
すると、赤毛のメイド――リタもテオドールを追いかけるかのように、出て行ってしまった。
「え? え?」
さらに、他にもちらほらいたみんなも一斉に、
「すみませんすみません」とか「ごめんなさいお嬢様!」「ト、トイレ……!!」などと言いながら、アンネローゼの部屋から脱兎のごとく逃げ出していく。
「え? え? え?」
大きめの部屋はさっきまで、明日の準備をする使用人が何人もいたのだが、気が付けば、部屋にいるのはアンネローゼたった1人。
「えぇ?」
――一体何があったの?
アンネローゼは、己の目の前のカップに目をやった。
「もしかして、そんなにハーブティーまずかった??」
一口すすってみる。
味的には悪くない気もするが――
「やっぱラヴォワの人は味にも厳しいのかな?」
猫舌なので、ずるずるハーブティーをすすりながらアンネローゼは思った。
みんなに味方になってもらうには、もうちょっといいものを作らなきゃな~。
どちらかというと、完全に思考が消費者ではなく、生産者寄りになっているアンネローゼだった。
***
一方で、廊下に出てすぐ横の小部屋に駆け込んだテオドールは、あまりの残酷さに呆然としていた。
「なんでそんな風に言えるんですか……」
テオドールの口から、思わず苦渋に満ちた本音がこぼれた。
本日のアンネローゼ様
→姑息なので屋敷の使用人を味方に引き入れようとするが……?