プロローグ 二度あることは三度ある
――『二度あることは三度ある』と、『三度目の正直』ってどっちが正しいんだろう?
アンネローゼは、ふとそんなことを考えていた。
『二度あることは三度ある』と『三度目の正直』というのは、どちらもアンネローゼの出身国、クレイン王国に伝わる古いことわざである。
アンネローゼは、妃教育として、こういう――いわゆる教養的な雑学も勉強させられた経験があるのである。
まあ、大半はすでに記憶の彼方へと消え去ってしまっているけど。
話を戻すと、
それって矛盾してない? とアンネローゼはずっと思っていた。
例えば、『二度あることは三度ある』が本当だとすれば、スローライフ生活を目標にしているのに、性格がねじくれまくった王子に婚約破棄をされた……と思いきや、気がついたら他国の非合法の市場を真夜中に爆走していた自分は、まだまだ厄介ごとに巻き込まれてしまう、ということになる。
しかし、『3度目の正直』が本当だとすれば、3回目――つまりこれまで2回も危機を乗り越えたアンネローゼは、今度こそスローライフにたどり着くことができ――
晴れて「めでたしめでたし」となるってわけである。
そして、なぜ、アンネローゼがこれほど長々とくだらないことを考えているかというと、
「クハハハハッ!!!! これでこの女を生贄に、やっと術式が成功するぞ!!」
絶賛、新しいろくでもないことに巻き込まれている気がしているからである。
「ハハハハハ……」
……わ、笑えない。
***
アンネローゼは現在、地面に転がされていた。
その地面には、巨大な円陣が描いてある。おおよそ、人間2、3人がすっぽり包まれてもまだ余裕がありそうだと思えるほど、大きな大きな円。
しかも、それだけではない。
その陣形には、ありえないほど緻密な図形やら謎の文字が所狭し、と並んでいた。
(ああ、きれいだなあ)
とアンネローゼも思わず感動してしまいそうになる。
見方によっては、地面に描かれた精巧な芸術品のように見えるかもしれない。
ただし、自分がロープで手足を封じられていなければ、の話である。
さらにもっといえば、この円陣は先ほどからゆっくりと力を貯めるように輝き始めている。
青白い、幻想的な光が辺りを包む。
うん。
その円陣の中に、ロープで封じられた自分が転がっていなければ、「うわあ、綺麗!」となけなしの乙女心を振り絞って、アンネローゼだって多少はロマンチックな気分に浸れたかもしれない。
アンネローゼは動きづらさを感じながら、改めて辺りを見回してみた。
窓が1つもなく日の光も入ってこない、薄暗い地下室。
そして、転がされている自分。
「…………」
終わっている。
結論、どう考えてもヤバい。
こんなのはどう考えてもスローライフではない。理想から程遠すぎる。
「はぁ」とため息をついて、アンネローゼはもう1人、横で自分と同じように転がされている男に話しかけた。
「ねえ。これ何とかならないの?」
もうこの緊急事態に、口調なんてまあいいか、と考えるアンネローゼ。
それに対し、
「お前、この状況でよくそういうことが言えるよな。どう見たって、何とかなるわけがないだろう……」
もう一人横に転がされている青年――少し長めの黒髪が色気があってかっこいい、と女子生徒から評判の――ダーヴィトがぼやくようにして答えた。
とはいえ、最初会った時の胡散臭い余裕っぷりはもはや消えている。
ダーヴィトも苦々しい表情でアンネローゼと同じように転がされていた。
「これだから魔術の素人は困るんだ。いいか?
魔術っていうのは、綿密な準備が必要なんだよ。この地面に書かれた術式――」
ダーヴィトは動きづらそうだったが、真下にある円形の術式にさっと視線を送った。
「こんな緻密で複雑な術式見たこともない」
「そっか」
とアンネローゼは返事をしてみたものの、魔術ずぶのド素人であるアンネローゼにとっては何が何だかわからない。
ダーヴィトは、そんなアンネローゼの雰囲気を感じ取ったようで、「はぁ」とまたもや大きなため息をついた。
「能天気そうで、いまいちこの状況がわかっていなさそうな貴様に教えてやる。いいか?
基本的に、こういう魔術の陣形は大きければ大きいほど、緻密であれば緻密であるほど危険だ」
「ほうほう」
アンネローゼも真剣な顔をしてうなづく。
とはいえ顔の位置的に真反対に転がされているので、どう頑張っても、ダーヴィトの足に向かって頷いてしまっているのは、ご愛嬌である。
「そして、こういういかにも危なそうな術式を見たらさっさと逃げるのがセオリーだ」
「ふむふむ」
「間違っても円の中心になんているべきじゃない」
「ほうほう」
「おい、貴様真面目に聞いているのか?」
ダーヴィトが嫌そうな声が、アンネローゼの足の方向から聞こえてくる。
だが、そうも言っていられない状況だと悟ったのか、ダーヴィトは観念して説明を続けることにしたらしい。
「チッ……まあいい。
そんな術式のど真ん中に俺たちは転がされている。しかも、ご丁寧に手足まで封じられてな」
なるほど。
相当いけない状況というのは伝わってきた。
「でも、何かできないの? そのほら――こっちも魔術で対抗……とか」
「無理だね。さすがの俺でも、この規模の魔術には対抗できない」と、ダーヴィトがまたしても大きなため息をついた。
「もう終わったよ。あぁ……万全の状態の義兄上でもいてくれればなあ」
そう言ってがっくりうなだれるダーヴィト。
(つ、使えない! この男使えない!)
アンネローゼは思った。
ああ、この男、土壇場でやる気をなくすタイプの男である、と。
「はぁ……まさか、こんな女と一緒に死ぬことになるなんて……」
ぶつぶつと、「せめて死ぬんだったら、義兄上の腕の中で息絶えたかったよ……なんでこんな頭の悪そうな女と共にこんな地味な場所で最期を迎えなきゃいけないんだ……」
などとつぶやくダーヴィトのことは、とりあえず横に置いておくとして、アンネローゼも必死に頭を回転させ始めた。
まずい、まずい。ちょっとこれは本格的にまずいかも……!
せめて交渉の糸口を探そう、とアンネローゼは、自分たち2人をこの場に連れてきた人物によびかけた。
「あ、あの~~」
アンネローゼとダーヴィトがいる円陣から少し離れた場所に、男が立っていた。
質のいい衣服に身を包んだ男は、しかし、アンネローゼの呼びかけにも反応せず、眼を血走らせ、一心不乱に何事か唱えている。
「あのですね~~」
もはや無視されるとわかり切っていたが、一応交渉らしきものは続行してみる。
アンネローゼだって一応は、貴族令嬢なのである。交渉術だって学んだことはある。
「御機嫌よう」とお腹の底から声を出してみる。
「あの、そちらの魔術――大変綺麗な魔術を拝見させていただき、ありがとうございます。
とてもいい魔術でございましたわ」
それから、精一杯笑みを作る。
角度的に見えていなさそうだが、こういう場面に必要なのはサービス精神である。
アンネローゼは淑女らしく、にやりとほくそ笑んだ。
「でもこれ以上、邪魔するのも申し訳ないので、そろそろここらでお暇させてもらえますかね?
そうですね、手始めにロープなんかをほどいていただけると……」
嬉しいのですが、と言おうとしたアンネローゼの一言は、男の絶叫によってかき消された。
「いけるぞ!!!」
「ヒッ」
思わず息を飲むアンネローゼ。
「豊富な魔力をもつ人間が2人!!!
そして、10年かけて準備した我が術式!!!」
しかし、こちらの存在など見えていないかのように、男は叫ぶ。
それと呼応するように、より一層地面の術式は輝きを増し始めた。
「やっといける!! これで!! 実験は成功だ!!!」
すえた地下室の臭い。
薄暗い中で光り輝く術式。
横にいる男はこれまでの威勢を忘れたように絶望しきっているし、地面に描かれた巨大な円形の術式の上で、自分は手足を封じられている。
しかも自分たちをさらってきた男は、完全に頭がぱっぱらぱーのようで、ご丁寧に、
「クックック」とか「この2人はどうなろうが構わない」などとほざいている。
いや、全然どうなってもよくないんですけど。
おかしい、絶対におかしい……!
「なんで……こうなる??」
ぽつりと本音が漏れてしまった。
アンネローゼは、狂ったように笑う男に負けじと、脳内で絶叫し返した。
――私は、ただ、スローライフを豊かにするために、魔術学院に通い始めたっていうだけなのに!!!!!!!!
***
お気楽スローライフ生活を目的とするこの私、アンネローゼが、なぜこんな薄暗いジメジメした地下室で、簀巻きのような状態で寝転がされているのか。
話は、"裏市"の事件から2週間が経ち、ゲオルグがアンネローゼの屋敷を訪ねてきたところにさかのぼる。
本日のアンネローゼ様
→今日も元気に危機一髪。