幕間 太陽のような兄上
「なんの冗談だッ!?」
ダーヴィト――皇子ゲオルグからの信頼も厚い青年は、普段の冷静さをかなぐり捨てていた。
柔らかな顔立ちが歪む。
都のとある屋敷。
ぼんやり揺れるランプ以外は真っ暗な一室で、ダーヴィトは自慢の豊かな黒髪が乱れるのも構わずに頭を抱えた。
「外遊先から戻ったと思えば、訳の分からない小国の令嬢を拾ってきて、挙句の果てに婚約者にするだって!?」
本気だったんですね、と苦々しくつぶやく。
「殿下……俺が今までどれだけ相手を紹介しても食いつかなかったのに、いまさら、そんな女で妥協するつもりですか」
嘘ではなかった。
ダーヴィトはこれまで、数々の女性をそれとなく、ゲオルグに紹介していた。同盟国の王女、皇国内でも古い名家の令嬢、皇国で最も勢いのある巨大な商会の娘などなど。
どれも容姿、権力ともに申し分ない女性たちだった。
まあ、多少は性格面に問題があったかもしれないが、所詮は貴族――それもその中でも最高位の皇族の婚約である。
ダーヴィトとしては、ゲオルグだってその辺はきちんとわきまえてくれるだろう、と思っていたのだ。
もちろん、それはひとえに、ゲオルグのために。
少しでも有力者とつながれるように、ダーヴィトは甲斐甲斐しく社交界を飛び回っていたのだが――そのことごとくをゲオルグは断ってきた。
「クレイン王国ねぇ」
そう言って、ダーヴィトは机の上に置いてある地図を指でなぞった。
令嬢アンネローゼの出身国――クレイン王は、四方八方に広大な領土を持つラヴォワ皇国の西にある、何の変哲もない小国である。
それなりに歴史はあるが、保守的で魔術も浸透していない。ただの外遊先だ。
「しかも、約1カ月前に王子の愚行が原因でクーデターだって?」
聞けば、無能な王子が無理やり婚約破棄をしたせいで国が傾いた、という近年稀にみるしょうもない理由でクーデターが勃発した国だという。
しかも、その裏では1人の令嬢がすべての糸を引いていたという噂まで聞こえてくる。
――実際は、ゲオルグがアンネローゼの名誉のためにと、それと無く王太子ベルゼに罪をかぶせて説明していたのだが、それに加えアンネローゼ派の令嬢たちが、王国内・国外を問わず、アンネローゼの頭脳を素晴らしさをそこかしこで語っていたため、
「クレイン王国のクーデター事件」は幸か不幸か、完全に情報が錯綜しまくっており、他国の諜報機関も思わず首をかしげる、という謎のブラックボックスが出来上がってしまっていた。
そんな内輪話など知らないダーヴィトは、馬鹿馬鹿しい、と一蹴した。
(冷静に、論理的に考えてみろ。だいたい、なんで婚約破棄で国が崩壊するんだ)
正直に言って、そんな国から来た貧乏な貴族令嬢のことなど、ダーヴィトは一切認めるつもりもなかった。
ゲオルグの陣営には、基本的に顔見知りが多い。
軽い性格のオットーも、大人しいアーノルドも昔からの幼馴染だ。
(だが俺は違う)
ダーヴィトはそう信じていた。
ゲオルグとの結びつきが一番強いのは、他の誰でもない、自分だ。
なぜなら、ダーヴィトの母親はゲオルグの乳母だったから。
今でも、ダーヴィトはゲオルグと初めて会った時の衝撃を覚えていた。
ひと目見て、「太陽だ」と思った。
そう。ダーヴィトは見てきたのだ。
幼いころから、何をするにしても完璧で美しく、誰よりも強く輝く、太陽のような、兄の姿を。
――他の奴らとは違う。
オットー、アーノルドは、ゲオルグのことを、あくまでも友として扱っている。
だが自分は、ダーヴィトだけは、ゲオルグのことを兄弟だと、兄だと思っている。
血は繋がっていなくとも心から尊敬できる兄。
オットーに、「お前真面目すぎじゃないか?」とからかわれようが、アーノルドに「そんな頑張りすぎなくても」とたしなめられようとも。
――1番忠実なのは、俺だ。義兄上を一番尊敬しているのはこの俺なんだ!!
*****
「ふぅ……」
自分を落ち着けるために、ダーヴィトは机から離れ、ソファに深々と腰を掛けた。
ゆらゆらと眼前のランプが揺れる。
ゲオルグとアンネローゼとかいう女をなるべく接触させないようにしたのも、ゲオルグから贈られた花を渡さなかったのも、すべては敬愛する義兄のために。
――あのガキもそうだ。
ダーヴィトは顔をしかめた。
そう。いい計画だと思っていた。
テオドールとかいう小僧をアンネローゼの従者に推薦したのは、自分だ。
前々から手癖が悪い使用人がいるというのはとっくに知っていた。だからこそ、わざとダーヴィトはテオドールを推薦したのだ。
初めて会ったアンネローゼとやらは、何の変哲もない女だった。
――どうせこういう女は、"皇子の婚約者"という地位の重みもわからず、好きなだけだらだらするつもりなのだろうな。
ダーヴィトはそう当たりを付け、「見た目は重要視しない」というアンネローゼに、わざと顔だけはいい小僧をぶつけた。
このままいけば、うまくいったかもしれない。
例えば、従者が何か問題を起こしたときに、従者に対する監督不行き届きを指摘して、その主であるアンネローゼのせいにできたかもしれない。
さすがに、あのわけのわからない女に心酔する義兄上でも、そこまでの証拠を出されたら嫌とは言えないだろう。
しかし、実際は――
「馬鹿じゃないのか!! 何が天才・アンネローゼだ!!」
ギリギリと歯を噛みしめる。
それとなく探りを入れてみたら、テオドールはなぜか心を入れ替え、真面目に仕事をこなしているようだった。
どうなっているんだ、と思わず舌打ちしたい気分になる。
――どう見たって、普通の女だったはずだ。
これまでダーヴィトが「凄い」と思った人物には、みな、オーラがあった。
しかし、アンネローゼからは全く何も感じない。
しかも今日の昼、ゲオルグとオットーからアンネローゼ話を聞かされた、と言うこともあって、ダーヴィトは心底腹が煮えくり返っていた。
あれほど「警戒しておけ」と事前に言い聞かせておいたにもかかわらず、脳天気なアホ――オットーは、
「あのお嬢さん面白いよなあ。
ダーヴィト、な? 1回手紙見てみろって! 面白いから! これラヴォワ文化変わるかもしれん」と完全に警戒心をゼロにしていた。
それを思い出したダーヴィトは、「阿呆が」と短く舌打ちした。
「それに、学園に通わせたいだって? 魔術の素養もなさそうな女を??」
全く困ったものだ。
その話を聞いた時もダーヴィトは、頭に血が上る様だった。
「落ち着け」
ランプの炎を見ながら、ダーヴィトは自分に言い聞かせた。
髪を撫で付け、しばし炎を見つめる。
「大丈夫だ、まだ対処できる……。魔術学院は俺の領域だ」
少し経ち、落ち着きを取り戻したダーヴィトは、ゆっくりと、深呼吸をした。
「どいつもこいつもあてにならない。やはり――俺が動くしか」
ダーヴィトは立ち上がった。
とはいえ、一番文句を言いたいのは、やはり義兄上である。
「だいたい本当にそんな女にかまっている暇があるのですか、義兄上」
ダーヴィトは、立ったまま、真っ暗な虚空を見上げた。
皇位継承問題も上手く行っているとは言いづらい。
ゲオルグは、現皇帝からの評価は高いが、その他の貴族からの支持はあまりないのが現状だ。
しかも――
そこまで考えたダーヴィトは、そして、ここにいない兄に向けて、吐き捨てるように言った。
「――あなたは、年々弱くなっているというのに」
――しかし、ダーヴィトは気が付かなかった。
まさか、自分が排除しようとしている相手が、本当に心の底から「好きなだけだらだらスローライフを満喫するつもりの女」そのものだとはつゆしらず、ダーヴィトはアンネローゼを排除する計画を練り続けていたのである。
ダーヴィト
→爽やかな黒髪イケメン……かと思いきやゲオルグを義兄として慕う面倒くさいヤンデレ。