生意気従者は、畑仕事をさせられる 2
「はぁはぁ、なるほど。どうせ、ガーデニングするなら、自分の手で1からやりたい、と。完璧な説明でございます。
………まったく意味がわからない、という点を除けば」
主人の説明を聞くなり、そんな言葉が口から出てしまった。
目の前で力説するアンネローゼ様によれば、「どうせガーデニングをするなら、自分自身の手で1から作らないと!」ということらしい。
仮にそうだとしても、わざわざ貴族が作業着を着る必要性がわからない。普通に指示を出すのではダメなのか、と問い詰めたくなる。
ちなみに作業着は、屋敷の倉庫にあったのを、執事のアンディが持ち出してきたらしい。何やってんだあの爺さんは。
(あっこれ、たぶん、このまま話しててもらちが明かないな)
そう思ったテオドールは、「すみません、ちょっとお時間を」と言って、先ほどから自分とアンネローゼをにやにや眺めているメイド――リタに近づいた。
「おい、性悪メイド」
声を潜めて聞く。
「いったい、なにが起こってんだよ」
「あら、ガーデニングって聞いてるけど」
しれっとリタが答えるのを、テオドールは信じられないようなものを見る目で見つめた。
「アレがガーデニングぅ!?」
テオドールは思わず振り返った。視線の先のアンネローゼ様は何やら大層気合が入っていて、腕をぐるぐる回しているが、とても正気の沙汰とは思えない。
「ありゃ完全に、庭仕事を超えて畑仕事の域だろ! なんで、貴族があんな格好してるんだよ!!」
そう。明らかに彼女はやる気満々であった。テオドールはしぶしぶ、その辺に転がっている道具を眺めた。
鎌に、鉈に、なんかの種子、などなど。
明らかに、貴族のご令嬢が趣味として「ガーデニングをしましょう」と完成しているお庭にお水をちょろっとあげるのとは様子が違う。
これはもう完全にその筋の人である。
もう一度、遠くで屈伸するアンネローゼの方へ視線を向ける。
完全に動きやすさと安全性重視の服装。
どういうマナーなんだろうか、とテオドールは思った。
テオドールの知る限り、こんな服装をする貴族の令嬢がいるわけないし、こんな服装をしろと言われたらどこの令嬢だって、みんな真っ赤になって怒り出すのが普通なのだが――
「これで、テオドールも金属派から自然派に鞍替えしてくれるわね。決定的よ」
当のアンネローゼはというと、何やらぶつぶつ言いながら握り拳を作っている。まったくもって、意味が分からない。
不気味だ。
「テオドール」
リタの眼が鋭く光る。その眼は微妙な表情をするテオドールに向けられていた。
「あんたこそ、アンネローゼ様を過小評価しているんじゃないの??
あなたもあの人の凄さを知っているでしょう。"神の頭脳"――そのすさまじさを」
「まあ、それは……」
そうだけど、という言葉を飲み込む。
――アンネローゼ様はすごい。
それはこの屋敷にいる人間の共通認識だった。普段は、おしとやかな美人といった様子だが、ひとたび、他人のために動くと決意したときのアンネローゼ様は紛れもなく天才だった。
"神の頭脳"。
普通の人間がそんなあだ名が合ったら、過大評価だと鼻で笑われるだろう。しかし、アンネローゼ様は違う。
一度、本気を出したアンネローゼ様は止まらない。それは、他でもないテオドールがよく知っていた。
「『能ある鷹は爪を隠す』というわ。
同じようにお嬢様も、その牙を隠し持っていらっしゃるのよ」
「そ、そうかなあ……?」とテオドールは頭を傾げながら応じた。
あっちの方では、「よし、まずは芋とか植えてみましょうかね。育ちやすいらしいし」と主人がアンディにせっせと指示している。
「まあ大丈夫よ。アンネローゼ様は普段、多少――いえ結構、というかだいぶ、のんびりしてぽやっとしているけど、それは世を忍ぶ仮の姿よ。
今回のガーデニングという名の畑仕事も、そうに決まっているわ。ああやって心の中では次の策を考えているはず」
「う、うーん」
そう言われればそうかもしれないが、とも思う。
アンネローゼ様は何となく表情が読みづらいのだ。
この前も、しれっとゲオルグ殿下にとんでもない無礼な返事を送っていた。
テオドールも「こんなの送ったら終わりだ……」と嘆いてみたが、ふたを開けてみれば、ゲオルグからは何も苦情が来ていない。
それどころか、殿下は喜んでいたらしい。
殿下はあんな色気もへったくれもない手紙で大丈夫なんだろうか。テオドールは若干、皇国の未来が心配になった。
迷いながらも「たしかに、そうかもしれないけど」と口に出す。
それを聞くや否や、リタが笑顔が加速した。
とてつもなく、いい笑顔。
「でしょ? アンタも、アンネローゼ様に近づきたいんだったら、一緒にやってみるべきよ」
「は? それってどういう……?」とテオドールが聞き返す間もなく、リタがアンネローゼ様のもとへと走っていく。
「アンネローゼ様ぁ!!! テオドールが一緒にガーデニングしたいそうです!!!
しかもアンネローゼ様と同じ格好で!!!」
――やりやがった、この性悪女!!!!
このままだと、最悪の事態になりかねない。そう思ったテオドールは「いや、それは誤解で」とリタの後を追ったのだが――1歩遅かった。
「おぉ、テオドールか。幸先がいい。もう一着余っておるぞ」というアンディのとてつもなく余計なお節介を聞いて、テオドールは膝から崩れ落ちた。
この後、アンネローゼに付き合わされて、テオドールはダサい――失礼。少々気に食わない格好で、畑仕事にいそしむことになった。
とはいえ、美しい主人は泥だらけの作業着でも美しく、それを見ていると、心がいっぱいになった。あと、ほっかむりも案外慣れてみると便利なものである。
汗を流し、土と付き合う時間は初めてだったが、それはとても素晴らしいもので、都会っ子のテオドールはすぐさま自然派に乗り換えた――
なんてことはなかった。
たしかにアンネローゼ様のことは好きだが、あの作業着姿とほっかむりだけはやめていただきたい。そして自分はあまり肉体労働が好きではないことを再確認できた。
この日から、テオドールに、1つ新たな誓いが付け加えられた。
「とりあえず、このガーデニングだけは、どうにかしてやめてもらおう」と。
いくら相手が敬愛する主人だろうが、テオドールにだって譲れないものはあるのだ。
アホしかいないこの屋敷の中で、主人の蛮行を止められるのは自分しかいない。
――畑に謎の執着を見せるアンネローゼ様を、絶対に止めなければ……!!
テオドールは、自分の胸に固く固く誓ったのであった。
本日のテオドール
→「これも……きっと深い考えがあるはずで……」と農作業をするが、単なるアンネローゼの趣味である。