4.お気楽令嬢は、あまりの超展開についていけない
父の意味深な発言に疑問を覚えた一方で、アンネローゼは、何となく窓から目にした外の光景を見て、驚愕に襲われた。
屋敷の周りを、甲冑を着た兵士が寸断なく取り囲んでいた。
「あばばばばば……」
アンネローゼは絶句した。
いやだって、王子これはさすがに早するよ、と。
お前らを許さないって言ってたけど、アンネローゼだってまさか元婚約者に、こんなにも早く兵を差し向けられることになろうとは思いもしなかった。
そんなことしないでも、放っておけば明日にも出発するのに。
これだから堪え性のない男は嫌いである。
だが、なぜかこんな絶体絶命の危機にも、両親はおろかイケメンも全く慌てていない。
むしろ両親はやっと来たかと喜んでいる。
アンネローゼは恐る恐る事情を知っていそうな父に伺った。
「あの……お父様これは……?」
「ああ、心配しないでいい。こちらの兵だ」
「ヘイ……? 兵ってあの……?」
「その兵だ」
アンネローゼは耳を疑った。
改めて家を見渡しても、貧乏貴族そのものである。
高位貴族の中には、大量の私兵を抱えている者もいると聞くが、我が家の財政状況ではメイド一人を雇うにも苦労しそうである。
こんな大人数の、しかも食費がかかりそうな男どもを養える予算なんてない気がするのだが……。
と、アンネローゼが混乱の極みにいたとき、
「失礼します! 元帥閣下!」
そう言って、部屋に男が入り込んできた。
おお、渋い感じのイケメンである。なんだか今日は、立て続けにイケメンに会う日のようだ。
「やめてくれないか、グライス将軍」と父が手で制す。
「その称号はもう捨てた。過去の栄光に私はすがるつもりはない」
「いいえ、自らお辞めになってしまいましたが、私にとってあなた様こそが軍のトップです。いや、わたしだけでなく、他の者にとってもそうです。あなた以上に立派な軍人は、ほかに知りません」
「……んん?」
おかしい、非常におかしい。
アンネローゼは半ば呆然とした気持ちで目の前のやり取りを眺めた。
アンネローゼの知る父は、普通の人だったはずである。
目の前で矢継ぎ早に戦況の報告を聞き、「それならば鶴翼の陣形を敷け」だの、「王党派を一掃せよ。特に王子だけは絶対に捕らえるのだ」と檄を飛ばしているのは、一体誰なのだろうか……。
「お、お父様これは……?」
「ああ、心配しないでも大丈夫だよ、アンネ」
アンネ、とは親しい間柄で使われるアンネローゼの愛称である。
よかった、いつもの父だ、とアンネローゼが喜んだのもつかの間、突如、父フィルマンは、にこやかな笑顔のまま物騒なことを言い始めた。
「もはや我慢ならん。王子を無事にひっ捕らえて、アンネの前に跪かせてみせるからね」
ああ、もう無理、とばかりに、アンネローゼは母親に救いを求めた。
母は優しい人だ。アンネローゼが、田舎でスローライフをしたい、と言う度に、あらあらそれは素敵ね、と笑ってくれような人なのだ。
もうこれ以上、大事になるのは勘弁である。
「お母様……!」
何とかしてくださいよ、と視線を送ると、母はうんうんとうなずいてくれた。
やった、ついに気持ちが通じたのである。
アンネローゼは思わず小躍りをしそうになった。
「アンネ、あなたの気持ちはわかるわ」
おぉ、さすがはお母さま。やはり持つべきものは理解のある母である。
「あなたは争いが嫌いなのよね」
「んん?」
母がそのまま、床をこじ開ける。
急に床を動かしてどうしたんだろう、そんなところには何も入っていないでしょ、とあきれるアンネローゼが目撃のしたのは、きんきらに輝くものばかりであった。
まあ、早い話が、剣や槍など、大量の武器類である。
「へ?」
思考が追い付かない。
なぜ、我が家の一家団らんの象徴である床の下に、大量の武器類が眠っているのか。
「あなたの理想、とっても素敵よ」と母が言う。
「みんながそれぞれ自然に囲まれて、自分の好きな暮らしをする。最高よね」
うーん、なんかずれてる気がする。
アンネローゼ的には、そういう理想の世界を望んでいたのではなく、本気で都会の喧騒から離れてのんびりだらだら暮らしたいだけなのだが。
でもね、と言いつつ、母が小型の剣を握りしめる。
「大切なものを守るためには、戦わなきゃいけないのよ……」
やばい。
悲報、母ご乱心である。
しかも、ナイフの手慣れ方が尋常ではない。
ひゅんひゅんいいながら、ナイフが踊る。
完全にその筋の人の動きである。日々の手料理で、到達できるような技量ではない。
「ほぅ……」と感心したような雰囲気が部屋に流れる。
「さすがだね……元『王国の影』のトップ。腕は衰えていないみたいだ」と言って父が笑うが、娘は一瞬たりとも笑えなかった。
なんかとんでもない現場に来てしまったような気がする。
あくまでもアンネローゼが求めていたのは、のんびりした気持ちのいい生活である。
こんな血生臭い話なんて関わり合いも持ちたくない。
――と、その瞬間。
ぼかんと大きな音がとどろいた。
「始まったか……」と父がつぶやく。
再度、外を見ると、夜のはずなのに、王都は日中のような輝きを放っている。
なんだろう、お祭りかな。
というかお祭りであってほしい。切実に。
「フィルマン様、始まったとは何事ですか」とイケメンが深刻そうな表情を作る。
「一斉蜂起ですな」とわが父が王都を見ながら答えた。
「どうやらアンネローゼ派の令嬢が動き出したらしい、との情報が入っています」
「は?」
アンネローゼ派とは一体……?
「ええ。先ほどの夜会でアンネと共に、罵詈雑言を浴びせられた令嬢たちの家が一斉に王家に対し反旗を翻した模様です」
なるほど。
父が語るところによれば、アンネローゼというそれはそれは素晴らしい令嬢がいて、どんな身分の人間にも分け隔てなく接し、どんな令嬢の相談にも真摯に答えるという類まれなご令嬢がいらっしゃるようだ。
だが、至極残念なことにアンネローゼは、その素晴らしいアンネローゼ嬢とやらを見かけたことがなかった。
「アンネローゼ、やはりあなたは素晴らしい……」というイケメンの熱っぽい視線を浴びながら、アンネローゼは頭を抱えたい気分になった。
一体、どこのお姫様なのか。
本当に自分の話なのか。
いや、勘違いだな、とアンネローゼは思うことにした。
だいたい確かに、相談事には乗ったことがあるけど、それだって、ごみ掃除の方法に悩んでる女の子に対して、
「まあでも、最終的には頑張って掃除するしかないんじゃないのかな~。ね>」とめちゃくちゃ当たり前かつ、つまらないアドバイスくらいしかした覚えがない。
「それではゲオルグ殿下。娘をよろしくお願いしますぞ」と父が言う。
ん?
殿下?
「ええ、勿論です」とイケメンが応じる。
「アンネローゼ嬢は、まさしく天から授けられた私の宝です。私は、彼女の矛となって、ありとあらゆる敵を打ち砕き、彼女の盾となって、ありとあらゆる苦痛から彼女を守って見せましょう」
随分と勇ましいことを言う男である。
よく笑わずにそんなこと言えるな、と感心したくなる。
演劇でしか聞いたことがないセリフのオンパレード。
とはいえ父は、中々離れようとしない。
「あなた、行きますよ。そろそろ手筈通り動き始めましょうか」
母が急かすようにパンと手を叩いた。
「しかし、やはりアンネローゼが心配で……」
「大丈夫ですって、ゲオルグ殿下も信用できそうではありませんか」
だがしかし、と躊躇う父に母が笑いかける。
「何より、殿下のあのまっすぐな様子は昔のあなたに似てますわ……。私を暗闇から救い出してくれたときのあなたに……」
もう無茶苦茶である。
突如として始まった両親の意味深な話。
一体、二人の過去に何があったのか。
アンネローゼは今日という日ほど、日ごろのコミュニケーションの重要性を感じた日はなかった。
今まで恥ずかしがって両親のなれそめなんて聞きもしなかったが、もっと早めに聞いておくべきだったのかもしれない。
もっとも答えてくれるかどうかはわからないが。
「では、フィルマン閣下。我々と共にまいりましょう。そして、アンネローゼ嬢」
「えぇと、グライス将軍……でしたっけ。な、なにか?」
はて、この激渋親父と面識はなかったはずだが。
「わたくしはセリーヌの父でございます。娘がお世話になりました」
「あぁ! セリーヌ嬢」
やっとアンネローゼは一息つくことができた。
セリーヌ嬢といえば、先ほどもアンネローゼの席の付近にいた令嬢で、アンネローゼに深く頷き返してくれた優しい令嬢である。
ごみ掃除の話を一緒にしたりと相談に乗ったこともあって、比較的まともなタイプの令嬢だとアンネローゼは信頼していた。
「娘は、あなたにとても感謝していましたよ」
へえ、なんだろう。
ごみ掃除の話をしたことがあるし、ついに汚部屋を卒業できたのかな?
「娘はこの国の腐敗に悩んでおりました。そうして自分の理想と現実の狭間で苦しんでいた時に、アンネローゼ嬢。あなたのお言葉に救われたのです」
んん?
この国の腐敗?
「娘から託を預かっております。これを」
そう言って差し出されたのは、シンプルな便箋である。
促されるままに、それを読んでみる。
えぇと、なになに。
「アンネローゼ様。これを読んでいるということは、御身がきっと無事であらせられることかと思います。
アンネローゼ様に初めて悩みを相談した時のことを未だに覚えています。この国の醜さに、嘆いていてばかりだった私に、アンネローゼ様は、さらっとごく簡単に『じゃあ掃除をすればいいのでは』と仰ってくださいました。
その言葉が、今でもずっと私を突き動かしています。きっとアンネローゼ様は、嘆いてばかりで行動しようとしない私の本質の見抜いていたんだと思います」
やばい……、やばいよ……。
アンネローゼは恐怖を抑えきれなかった。
掃除って、部屋の掃除じゃないの?
なんで急に国家レベルの汚職の話になっているのか、これがわからない。
「先ほど、アンネローゼ様がこちらに頷いて下さり、本当に嬉しかったです。あれはきっと一斉蜂起の合図ですよね?
今宵はいい夜です。そして今こそ、あの時の約束を果たすべき時が来ました。アンネローゼ派閥150人、全員動き出しています。私は、あの腐れ王子というこの国のゴミを一掃し、あなたにきれいになった祖国をお見せしたいと思います。
あなたの忠実なるしもべ セリーヌ」
どうしよう。
アンネローゼは便箋を持って立ち尽くしていた。なんだこの狂戦士みたいな手紙は。
しかも、アンネローゼが彼女らに会釈したことが、一斉蜂起の原因と書いてある。
結果的には、アンネローゼがこの反乱をたきつけたようなものではないか。
もうダメだ、本格的に逃亡したくなってきた……。
「アンネローゼ嬢。ごきげんよう。では、新たな祖国でお会いしましょう」
そう言ってアンネローゼに爆弾を渡すだけ渡して、軍のイケオジは去っていった。
「では、私たちも参りましょうか、アンネローゼ嬢」
「あの~、どちらにですか?」と恐る恐る聞いてみる。
「ああ、そうでしたね」とイケメンが快活に笑う。
悔しいほどにイケメンである。
そうして、イケメンがふいにアンネローゼの前に跪いた。
「私はゲオルグと申します。ゲオルグ・フォン・ラヴォワ」
「ら、ラヴォワ……?」
いやな予感がする。盛大に嫌な予感がする。
いったん整理しよう。そもそも今となってはだいぶ昔に感じられるが、夜会の目的は何だっけ。そう、たしか他国の王子をもてなす為だとかなんだとか言っていたような。
さらに、アンネローゼの頭脳には、ラヴォワという名前を聞き覚えがあった。スローライフの地を求めて、世界地図を一日中眺め、妄想していたころ……。
よくその名前は目にした気がする。
ラヴォワ皇国。押しも押されもせぬ大陸の覇者。文化の最先端。
とどのつまりが最強の都会である。きっと今いる王都ですら田舎に思えるレベルの超都会だろう。
そんでちょっと待てよ……。
「も、も、もしかして……。ラヴォワって」
ええ、と恥ずかしそうにイケメンがほほ笑む。
「お恥ずかしながら、正式には、皇子という地位になります」
「ヒエッ……」
悲報。
このイケメン、とんでもない大物である。
ラヴォワ皇国といえばゴリゴリの実力主義国家で、皇位継承も性別や年齢に関係なく決められるという最強にキツそうな国家である。
人生をお気楽に生きる、というアンネローゼの基本的人生方針に合わないこと間違いなしである。
そんな国で、しかも皇子。
いけない。絶対にいけない。
厄介ごとの香りが漂ってくる。
「あ、そういうこと」
アンネローゼは、ふと納得がいった。
あらゆる、ピースがつながっていく。
そういえば、ゲオルグとみんな初対面だったのに、なんかうまい具合に話がつながっていくと思ってたけど、そういうことか。
やけにみんなゲオルグのことを信頼しているかと思ったら、そういうことだったのか。
このイケメンは、疑う必要もない超有名人だったということである。
なんだか頭がくらくらしてきた。
外からは爆音と硝煙の臭い。燃え盛る王都。
そして目の前には、ハイパースペックイケメン。
しかも、このイケメンに婚約を申し込まれたような気もする……。そんでもっと言えば、慰謝料すらも、もらえなさそうである。
せっかく今までの王子浮気コレクションをメモしてきたのに…。
おかしい、こんなのおかしい。
私のお気楽スローライフが……崩れ去ってゆく。
「も、もう無理……」
「あ、アンネローゼ嬢! お気を確かに!!」
目の前が次第に暗くなっていく。
アンネローゼが最後に目撃したのは、こちらを心配そうに抱きかかえるイケメンの姿だった。
あと一話だけお付き合いくださいませ……!