アンネローゼ流お気楽お手紙術5
「なんで、か。簡単だよ、この手紙を見てくれ……」
「お、おう……」
ゲオルグが、幽霊のような足取りでヨロヨロと立ち上がり、こちらに手紙を渡してくる。
オットーはその手紙をおっかなびっくり受け取った。
「アンネローゼ嬢からか」
そう言いつつ、再びソファに腰を下ろし、便箋を読み始める。
『こんにちは、ゲオルグ殿下。
ご機嫌いかがでしょうか。
私のいた王国では、魔術というものがほとんど知られていなかったため、こちらの学院でも魔術というものを学んでみたいと思います。また、社会勉強のため色々な活動をしてみたい、とも思っています。
どうぞよろしくお願い致します。
アンネローゼ・フォン・ペリュグリット』
「………………」
無言。
重苦しい沈黙が部屋を包む。
(た、淡白だな随分……)
あっさり、さっぱりとした手紙。
常識外れの手紙にオットーは思わずこめかみを抑えた。
これは酷い。
「い、言われてみれば……ちょっとこう……連れない感じもするような……しないような。男女の手紙っぽくないような。業務連絡のような……気もしなくもない」
「だろ? 手紙を頑張って、10枚きっかり書いたのにこの返事だ」
「それは……それは」
そう言って、オットーは唇をなめた。
手紙10枚――それは愛情表現としては最上級の枚数であった。
オットーの知る限り、ゲオルグがそんな枚数の手紙を書いたことがない。ということは、これはゲオルグにとって初めての恋文だったということである。
しかし、返ってきたのは、この色気もへったくれもない1枚の手紙のみ。
たしかに、これではダメージを負ってしまっても不思議ではない。
オットーは、「もう僕はダメだ」と机に突伏し始めた次期皇帝候補を微妙な顔で見つめた。
(しっかし、この男がこうなるかねえ………)
オットーでさえ、こんな姿はほとんど見たことがない。
今まで皇国中の美人が散々言い寄ってきたのに、ニコリともしなかったゲオルグ。
毎回、パーティーでも寄ってくる女性陣を見て、「下らないな」とつぶやくのがゲオルグのお決まりのパターンだった。
(アンネローゼ嬢も結構上手なんだな。あのゲオルグがここまで手玉にとられるとは……)
しばらく手紙を見つめたオットーは、まあでも、と口にした。
「客観的に見たらお断りの文面に見えないこともないが――」
「ん?」
その言葉を待っていたかのように、ゲオルグが跳ね起きる。
「おい、オットー。どういうことだ。これはどう見ても断りの文面では?」
俄然、眼が輝き始めるゲオルグ。
それを見てオットーはため息をついた。
鈍いやつめ。
まあ、いい。将来の皇帝陛下に、ここらで貸しを作っておくのも悪くないだろう。
「じゃあ、まず質問だ。彼女はこの文化を知らないって線は?」
「いや、それはないと思う。彼女は曲がりなりにも妃教育を母国でしっかりと受けている。当然、周辺諸国の風習だって頭に入っているはず」
――もちろん、アンネローゼの頭脳には、そんなものは入っていない。后教育でせっかく習ったことも2日あれば忘れてしまうアンネローゼに死角はなかった。
だが、そんなアンネローゼを、かなりハイレベルな令嬢だと勘違いをしているオットーは一つの結論を導き出していた。
「そうか。なら、答えは簡単だ」
「なに?」
オットーは笑った。
「簡単だよ。わざとこういう手紙を書いたのさ」
「わざと……?」
ゲオルグの顔に疑問の色が浮かぶ――が、オットーはすぐさま答えた。
「考えてもみな。この手紙はあまりにお粗末だろ? こんな雑な短い文章に、婚約者であるお前に対する言及もない」
「まあ、言われてみれば……」
「妃教育まで受けた人間がこんな返信をするか?
いやしないね。そんなことはありえない。つまり、だ。これはわざとそうやって書いたんだよ」
「だが、なぜ?」
ゲオルグの顔に疑問が浮かぶ。
「簡単だ」とオットーは笑った。
それなりに恋愛経験が豊富なオットーは、すでにこの手紙の謎を見抜いていた
――と言う気分になっていた。
オットーはゲオルグを指し示す。
「お前の立場を慮ったんじゃないか。
皇位継承問題で揉めているお前に、今までできたことのない婚約者ができた。
もちろん正式に発表したわけじゃないが、他の陣営からしたら格好の餌食だ。どこから情報が洩れるかわからない。だからこそ、あえて無礼を承知の上で彼女はこんな手紙を寄越した」
「そ、そんな……」
ゲオルグの美貌が曇る。
「僕が……自分の気持ちを抑えきれず、手紙を出してしまったのに……彼女は、そんな後のことまで考えていたのか!」
アンネローゼは何一つ後のことを考えた試しはなかったが、無駄に深読み力が高いオットーは「あぁ」と力強くうなづいた。
「おれも正直驚いてる。普通、お前みたいな男から恋文が来たら誰だって喜んで返そうとするだろ。
でも、お前の婚約者は思いとどまった。何よりもお前の身を案じてな」
――オットーは大きな思い違いをしていた。
実際は、美しい恋文を書け、と言われた無理難題を押し付けられたアンネローゼがやけくそで開き直り、最低限自分のやりたいことを押し付けた、割と最低の”やりたいことリスト”だったのだが、オットーは恋愛に関して経験が深すぎたために、逆に深読みをしていたのである。
「プライベートの手紙とはいえ、どこの誰の手に渡るかわからない。だからこそ、こういう方法でお前を元気づけたかったんだろう」
ゲオルグに、目配せをする。
「で、お前はどうすんだ? この手紙を不敬だって言い触らすか?」
「まさか!」とゲオルグもすぐさま否定する。
「これは、僕の負けだ。僕は、徹頭徹尾自分ことしか考えられなかった……彼女との差は歴然だな」
そんなことはないさ、とオットーは慰めたが、
「いいや、天才だのなんだのと言われ、いい気になっていたが彼女には教えられることばかりだ」
そう言って、ゲオルグは頭を振った。
そんなゲオルグをオットーは興味深く見守っていた。
どちらかといえば、今までのゲオルグは表情が少ない方だった。どこか、ちやほやされながら、どこか他人に対する冷たさが見え隠れしていた。
その男が婚約者を決めたというから、オットーだって多少は心配していたのだ。
外遊先で、婚約破棄された令嬢が、ただ可哀相で哀れみから連れて帰ってきたのではないか、と。
だが、こんなにいきいきとしたゲオルグを見るのは久々だった。
「僕もまだまだだ」と何度も言うゲオルグに、オットーは小さい声でつぶやいた。
――なんだ。案外楽しそうにやっているじゃないか、と。
*****
「もう、行くのか? オットー」
話し合いも終わった。ゲオルグに背を向けたオットーは「ああ」答えた。
「アンネローゼの希望は叶えられそうか? できれば、僕の力が及ぶ限りで叶えてあげたい」
振り返らなくても、後ろの男は、真剣な表情をしている。オットーにはとっくに伝わっていた。
扉に、手をかける。
「学院行ったりと、色々活動を始めたいんだろ。まあ、お前の婚約者だ。どうせ小さな屋敷じゃ物足りないのはわかってるさ。
ちょっと落としどころを探ってみるわ」
「オットー」
呼びかけられた。
振り返らずに、返事をする。
「なんだ?」
「ありがとう。いつも、助かる」
「いいってことよ」
手をひらひらさせながら、オットーは答えた。
「まあ、お前が皇帝におなり遊ばされたら、せいぜい俺にいい地位をくれよ。遊んでて好き放題、金だけ入るような地位をな」
「わかった。皇帝になったら、その地位にふさわしいくらい働かせてやる」
「そりゃ、どうも」
部屋を出る。
窓からは、光が差し込んでいた。
絶好の晴れ日和。
珍しく笑顔の親友を思い出し、オットーは廊下で「おもしろい令嬢だな」とつぶやいた。
「いや、でも待てよ」
そのまま歩いて次の場所に向かおうとしたオットーは、あることを気がついた。
「これって、もしかしてめちゃくちゃオシャレなのか?」
ぶつぶつと頭の中で考えを整理する。たしかに、ゲオルグとは違いそれなりにオットーはいろんな女性に手紙を送ったことがある。
しかし、そのせいで、どこか普通に愛を囁くような手紙を送るのにも飽きてきたころである。
「あの手紙、面白そうだな……ちょっとアレンジして送ってみるか」
アンネローゼは知らない。自分が破れかぶれで書いた返事が、オットーという男の拡散力で、各地に広まってしまうことを。
そして、「この新しく、センス溢れる手紙は何ですか!?」と食いつかれたオットーが「都で最新の手紙の様式さ」と何故かドヤ顔でアンネローゼの存在を仄めかしてしまうことも。
そして、長文で長々相手に愛を伝える、というラヴォワ皇国の伝統的な手紙に対し、「必要最小限のそっけない言葉の中に相手への思いやりが溢れている」というタイプの手紙が、一周回って新感覚で非常オシャレである、として上級貴族を中心に大流行してしまうことも……。
――後世、歴史家はかく語る。
伝説の“神の頭脳”アンネローゼは、その頭脳だけではなく、芸術的なセンスにも溢れた女性であった。
長々と語るのではなく、自らの思いを限りなくシンプルに凝縮する。
『千の言葉よりも、1つの想い』
彼女が始めたアンネローゼ流手紙術は、一部保守的な貴族からの反発を受けたが、すぐさま社交界で大流行した。
アンネローゼ・フォン・ラヴォワ。
彼女の頭脳は、芸術面でも超一流であった――
本日のアンネローゼ様
→破れかぶれで送ったシンプルな手紙が逆に一周回って新しいと評判に。あと謎に「恋愛がうまい」という評価を得る。たぶん合っていない。