アンネローゼ流お気楽お手紙術4
「おい、ゲオルグ。入るぞ~」
オットーは、そう言って皇太子の執務室に立ち入った。元からお調子者のオットーは、幼馴染特有の気軽さもあって部屋に入るなりまくしたてた。
いやでも、聞いてくれよ、と。
「なんだ?」
「仕事が山積みでさ。下手に皇国内を飛び回っていたからか、地方時代の知り合いとかにも会わなくちゃいけないんだ。
ほら、皇位の継承が問題になってるだろ? 中央にそれほどツテがないってやつらが俺に大挙して押し寄せてくるんだよ。
前に会った時は、『貴様ら中央の人間に話すことなんかない!』とか邪険にしてきた地方の爺さん方なんか、俺に会うなり、『お前がいなくなって、初めてお前のありがたさがわかった』だのわけのわからないことを言って、必死に仲が良かったアピールをしてくるんだよ。
俺、その爺さんに暗殺されそうになったのにな。ありえないだろ?
ほんとそう言うセリフは、少なくとも女性から言われたかった――って」
あれ、どうしたんだ、とオットーはゲオルグの様子に気が付いた。おかしい。普段であれば、オットーの地方時代の武勇伝に、「ハイハイ」とそれなりに合いの手を入れてくれるはずが、今日は無言である。
「おい、ゲオルグ」
「ん? あぁ、オットーか……お疲れ」
どう見たって、お疲れなのは、お前の方だろ、と幼馴染としては口をはさみたかったが刺激するのも面倒だ。というわけで、オットーは一旦、スルーすることに決めた。
「ほら、うちも人気だな」と言いながら、机のちょうど反対側にあるソファに気軽に腰を掛け、紙を机の上に置く。
「ゴルドーって男と部下2人が、うちで仕事を探したいらしい。なんでも、裏市で結構名が知られた奴らしくてさ。俺もそれなりに警戒してたんだが、どうも様子がおかしいんだよな」
「様子、というと?」
ようやく興味を持ったらしいゲオルグが顔を上げる。
「いや裏市の連中は貴族嫌いだろ?」
「まあ、それはあるな」
実際、その通りだった。貴族は裏市の人間を「薄汚いドブネズミ」と蔑み、裏市の人間は貴族を「生まれに恵まれただけのやつら」と敬う気配も見せない。
貴族には屈しない、という風潮。
そんな雰囲気が充満しているからこそ、裏市は都にありながら、貴族も一般人も容易には足を踏み入れらない領域と化していたのだ。
だからこそ、オットーは疑問に思った。
――なぜ、そんな裏市で名の知られた男が、ここ、ゲオルグ陣営に来るのか。
金が欲しいのか?
いやでも、それだとしたら、ゲオルグ陣営である必要がない。
古くからいる貴族層の支持が厚い第二皇女、騎士団や財閥との関係が深い第一皇子とは違い、ゲオルグの基盤は、市民や、新興商人だ。
使える金も、ゲオルグ陣営は圧倒的に劣っている。
それなのになぜ?
「俺も不思議に思ったんだよな。だから聞いてみたんだよ」
冷やかしか?
しかし、返ってきたのは、意外にも真剣な返事だった。
ゴルドーと名乗る男とその部下2人――正直、お世辞にもまともそうな顔はしておらず、凶悪無比な外見をしていて、明らかに"その筋の人"とわかる彼らだったが、なんと一様に「この国のための力を尽くしたいんだ」と熱く語り始めたのだ。
これには、普段軽いノリのオットーも驚いた。
「いや、凄いよな。俺も感心したよ。あの顔で、あんな真面目に熱弁されると、こっちの調子が狂うぜ」
「たしかに。うちは人が少ないからありがたい……だが、なぜ?」と言って、ゲオルグが考え込む様子を見せる。
ゲオルグの金髪が揺れる。
その金髪を見ながらオットーも、さっぱりだ、手を上げる。
「聞くところによると、なんだかよくわからない、見るからに邪悪そうな女がこの前、裏市にいたんだと。胸には人体の一部を使ったようなネックレス」
「ほぅ……」
ゲオルグの眼が鋭くなった。
「魔術……いや、呪術か」
「だろうな」とオットーも短く同意した。
呪術――それは特定の相手への危害を目的とする技術の事である。
"自らの魔力を使い発動させる"という点では、呪術も魔術も、根本的には同じもの。
だが、両者には決定的な違いがあった。
例えば、魔法にはさまざまな種類があり、生活魔術、防御魔術、回復魔術などが存在する。
だが、生活呪術、防御呪術、回復呪術などと言ったものは存在しない。
なぜなら、呪術の目的はただ一つ――相手を害する、という一点だけだからである。
だからこそ、魔術をそれなりに使える人間から見ても、呪術師の存在は恐れられていた。
「厄介だな……オットー」
「ああ、間違いなく。しかも人骨の一部を保有するってことは」
思わず、オットーも顔をゆがめた。
戸惑いながら、口を開く。
人骨の一部を持ち歩く、わざわざそんな趣味の悪いファッションをするのは、それがどうしても必要だという証。
すなわち――
「人体を使う呪術師――口に出すのも汚らわしい。おそらく、相当高位の呪術師だろうな」
「最悪のタイミングだな。そろそろ皇位の継承で、どの陣営も、ぴりつき始めてるっていうときに」と、ゲオルグも、嫌そうな顔をする。
「オットー。どこの陣営だと思う? フリーか? 詳細は追えているのか?」
「ああ、俺もゴルドーに話を聞いた後すぐに、調べさせた。
……が無理だった。そんな女がいたということまではつかめたが、ぱったりその夜以降は、目撃が途絶えている」
最悪のタイミングだ、と2人して頭を抱えた。
正面からやり合えば、ゲオルグに比肩する人間はそうそういないだろう。
しかし、呪術師のいやらしいところは、そこではない。
直接ではなく、じわじわと追い詰めてくる。
「ゲオルグ。とりあえず、アンネローゼ嬢の警備の手をもっと増やした方がいい。アンディの爺さんだけじゃ、手に負えないだろ」
オットーはゲオルグに迫った。
ゲオルグの婚約者には一度も会ったことはないが、直接手が出せないゲオルグの代わりに、狙ってくるのは十分考えられる。
「かもしれないな。あの人、1人で十分か、と思っていたが……」
ゲオルグもうなづく。
「もう数人、腕に自信がある人間を送り込んだ方がいいかもな」
「だろうな。
いや、俺もアンディの爺さんを疑ってるわけじゃないんだ。あの人の強さは知ってる。昔は散々、俺の面をぼこぼこにしてくれたしよ。だがもういい年だろ……」
そう言いながらオットーは、アンディとかいう一見柔和そうな顔をした、恐ろしい爺の顔を思い浮かべた。
「たしかにな。まずは屋敷の人員を固めた方がいい、か」
そうゲオルグがつぶやいたのを皮切りに、オットーとゲオルグは、まだ見ぬ脅威――高位の呪術者からいかに婚約者を守り抜くか、という議論を始めた。
――悲しいかな。自分の愛おしい婚約者が、まさかあんな危ない場所でヘラヘラ笑っている怪しげな女の張本人であるとは夢にも思わないゲオルグは、決意を込めて、毅然と言い切った。
「この国に連れてきたのは、僕の責任だ。だからこそ、彼女を守らなくては……」
そもそも、すべての問題の発端が、そんな彼女本人にあるとはつゆほども思っていないゲオルグは、この後数時間、真面目に、「悪意のある呪術師対策」を練るために、オットーと熱く語りあったのである。
*****
「というか、ゲオルグ。その手紙は何なんだ? ずっと机に置いてあるが」
話し合いも終わり、そろそろオットーが外に出ていこうとしたとき、オットーは前々から気になっていた机の上の手紙に触れた。
その瞬間、ゲオルグの怜悧な顔が困ったようにゆがんだ。
「オットー……お前は親友だよな?」
「あ、ああ。まあ、それなりに付き合いは長いしな」
いまさら何を言い出すんだ、と思ったがオットーは頷いた。
「まあ、仲はいいんじゃねえの」
ガッとゲオルグが立ち上がる。
「オットー。心して聞いてくれ」
ゲオルグの真剣な表情に、オットーも息を呑む。
オットーの脳内にはあらゆる可能性で溢れかえった。
このタイミングで、何が起きた?
何か、こっちでミスが起きたのか?
それともこちら側の誰かが、暗殺された??
そうしてゲオルグの口が開き――
「僕は……振られるかもしれない……」
「ん?」
時期皇帝候補であり、眉目秀麗、ガードの堅いはずの幼なじみの口から出た、あまりにも情けない一言に、オットーは相手が皇太子だということも忘れて、口に出した。
「何言ってんの?」
本日のアンネローゼ様
→口に出すのも汚らわしい、と言われてしまう……が、よくよく考えると割と自業自得。