アンネローゼ流お気楽お手紙術3
(これでいける……!!! さすが私!!!)
アンネローゼは、ささっと手紙を書き終えた。立ち上がると、そのまま優雅に手紙をテオドールに手渡す。
「アンネローゼ様、もうそんな早くって――えっ」
それでは失礼します、と受け取った手紙を丁重に広げ、ウキウキ顔で手紙を読み始めたテオドールの顔が一瞬で凍った。
「こ、これ……本気で仰ってるのですか?」
「そうね」
恐る恐る伺いを立ててくるテオドールに、アンネローゼはさらっと答える。
おいおいどうした、少年よ。
「なにか問題でも?」
「問題っていうより、そもそも……いやでもしかし、これは……いくら何でも……」
なおもテオドールが食い下がる。口をパクパクさせて、「信じられない」といった顔をしている。
主人に言っていいものかどうか、テオドールは悩んでいるようだった。
この子、結構顔に出るタイプなんだな、と一切関係の無いことを考えつつ、アンネローゼは物憂げに微笑んでみせた。
「テオドール。私の判断が、今までなにか間違えたことがありますか?」
「まあ……アンネローゼ様のご判断の凄さは……身をもって知っていますが……」とテオドールは自身の首にかかった小金貨をちらちら見た。
「心配ありません。きっとその手紙の意味を、殿下なら分かってくださるはず」
完璧だあ……。
と、アンネローゼは脳内でほくそ笑んでいた。
どちらかといえば、アンネローゼの判断なんて間違えたことしか無かったのだが、こうも従者が「アンネローゼの判断を認めている」と断言してくれるのは気分がいい。
アンネローゼは褒められれば褒められるほどにいい気分になってしまう典型的ダメ令嬢であった。
「では、手紙をよろしく。
私はスローライフ……ではなく、近年の自然環境の悪化を憂いているので、この屋敷でガーデニングを始めなければいけません。なので、これにて失礼するわ」
アンネローゼは、ふぁさっと髪を靡かせて部屋を出た。
ちなみに、本人はこれが令嬢らしい仕草だと思いこんでいたが、そんなに令嬢っぽくはなかった。
一方、一人残されたテオドールは愕然としていた。もう一度まじまじと手紙を見る。思わず、つばをごくりと飲み込んだ。
「アンネローゼ様……さすがにこれは……」
そこにあったのは、
『こんにちは、ゲオルグ殿下。
ご機嫌いかがでしょうか。
私のいた王国では、魔法というものがほとんど知られていなかったため、こちらの学院でも魔術を学んでみたいと思います。また、社会勉強のため色々な活動をしてみたい、とも思っています。
どうぞよろしくお願い致します。
アンネローゼ・フォン・ペリュグリット』
という文のみ。
テオドールは頭を抱えた。
というか、もう無茶苦茶である。そもそも全然相手のことを褒めたたえていないし、文章は短いし、え、これって業務連絡ですか、みたいな色気もへったくれもない文章のみ。
我が主人は、これをあのゲオルグ殿下に送るらしい。
「ど、どうしよう……これを送るのか……」
破天荒すぎる、とテオドールは思った。
テオドールはその年齢の割に、こういう貴族間の色事には、結構首を突っ込まされていたタイプである。
正直、並の令嬢が婚約者にこんな手紙を返したら、その時点で貴族社会を生きる人間としての常識を疑われかねないレベルだ、とテオドールの勘は警鐘を鳴らしていた。
最悪、自分が代筆したほうがいいんじゃないか。
そうテオドールは思ったのだが――
「いや待てよ」
テオドールはぴしゃり、と自分の頬を叩いた。
なんてことを考えていたんだ、と思いなおす。
(アンネローゼ様が書いたものだぞ)
文字通り、自分とは見ている世界が違うのだ。
思い出すのは、あの夜の鮮やかな手腕。
あの人は、いともたやすく、自分の――テオドールの心の呪縛を解き放った。
テオドールは自分の首から下げている金貨に触れた。
たった一枚の金貨で、"神の頭脳"はすべてを一変させたのだ。
ならば、
「おそらく、この手紙には意味がある……」とテオドールはつぶやいた。
手紙を丁重に折りたたみ、主人を追いかけるようにして部屋から出た。
ちなみに、アンネローゼは何も考えていなかった。
*****
その日の晩、皆が寝静まった時間に、テオドールは自室で、手紙をもう一度読み直していた。
本来、部屋が支給されないような従者も多いが、この屋敷はさすがに大きく、テオドールにも十分な広さの部屋が用意されていた。
明かりを頼りに、穴が開くまで読み返す。
自分の主人はいったい何を伝えようとしているのか。
おそらくアンネローゼ様は書こうと思ったら、どんな美文だろうが簡単に大量生産できてしまうのだろう。
でも、彼女はそれをしなかった。
なれば、この文章に秘密は隠されているはず。
「魔術を習いたい……か。たしかに、アンネローゼ様ご出身の王国では、あまり魔術が盛んではなかった。
いやでも、魔術はそれなりに才能があるものではないと、できないはず。
いやでもまさか、アンネローゼ様はすでに自分に魔術の才能があると見抜いているのでは……。」
次第に膨らむ疑問。
「社会勉強のため色々な活動をしてみたい……?? まさか、ゲオルグ殿下のために、何らかの活動をして資金を貯めようとしている……?
いや、たしかに、ゲオルグ殿下は民衆から人気はあるものの貴族層からの支持が薄く、他の皇位継承者から資金面では差をつけられている。
だとすれば、どういう方法で……??」
全く予想がつかない。
「いや待てよ。発想を変えてみるというのもありか」と口に出してみる。
「そもそも、書かれていることは嘘で、実は火で手紙をあぶると本当の文字が浮き出てくる、とか」
――いや、そんな簡単なはずがないだろう。
テオドールは自分に呼びかけた。相手は、“神の頭脳”。自分の考えなんかとっくに見透かされているに決まっている。
――自分が考えうる全てを出し尽くさなくては、自分は一生、あの人に追いつけない。
テオドールの脳内では、想像上のアンネローゼが大きく膨らんでいく――のだが、
実際のところ、美しい胸をうつ文章とやらが1行も思い浮かばなかったアンネローゼが、破れかぶれになって、
「魔術か~。なんか農作物がいっぱい育てばいいな~。ちょっとカッコよく魔術使ってみたいな~」などと現実逃避をしていただけであり、
社会活動というのも、
「たぶん皇子なんだから、色々お金を持っているはずだろう。私も1枚噛ませてくれないかな~~」と、自分のスローライフ資金のために、金を稼ぎたい、というめちゃめちゃ他力本願な欲望ダダ漏れの手紙を書いただけであった。
――しかし、月明かりの下で、少年は没頭していた
従者の仕事はそれなりに過酷だ。
そもそも、テオドールは盗みがバレてから、屋敷の人間に完全に許されたとは言い難い。
どちらかといえば、リタを除き、自分はそれほど信用されていない、とテオドール自身も感じていた。
正直にも、居心地がいいとは言えない環境。
だが、テオドールはそれでいい、と思っていた。
何よりも優先すべきことがある。
自分を救ってくれた主人のためなら、自分は文字通りなんだってできるはず。
――胸に残る消えない炎に突き動かされ、少年は深く深く没頭していった。
ちなみに、テオドールが一生かかっても追いつけないだろうと考えているアンネローゼの頭脳はそれほど大したものではなく、なんなら、年中スローライフとお気楽なことしか考えていないアンネローゼよりは、テオドールの頭脳の方がよっぽど優れていたのだが、尊敬の念で眼が曇り始めているテオドールは、そのことに気がつくはずもなかったのである。
本日のアンネローゼ様
→迷った末に、めちゃくちゃシンプルな手紙でごまかす