アンネローゼ流お気楽お手紙術1
『アンネローゼ。
君の瞳を見るたびに、僕の胸は高鳴り、君のことを思うたびに、僕の心を締め付けられてしまう。
君と会えない日々がこれほど寂しく、空虚だとは――』
「……殿下、酔ってる???」
ぽろりと、アンネローゼの本音がこぼれた。
うららかな昼下がりの屋敷。
アンネローゼは、そんな穏やかな空気にそぐわない、圧倒的熱量のお手紙を受け取っていた。
差出人の欄には、達筆で書かれた“ゲオルグ・フォン・ラヴォワ”という例のイケメンの名前が躍っている。
が、しかし。
「なんだろう。この、非常に暑苦しい手紙は……」
正直、この一文くらいだったらまだアンネローゼも、納得できたかもしれない。ああ、こちらの国では、こういう手紙が流行っているんだな、と。
しかし、こちらを褒め称える文章は、これ以降も続き、ありえないほどの量になっている。
具体的には、アンネローゼの机の上には、同じテンションで綴られた計10枚ほどの手紙があふれていた。
どうやら、手紙を持ってきたメイド――リタによると、ラヴォワの貴族の間では、このような長文のお手紙で、相手の美点を褒めまくるという謎の文化があるらしい。
はぁ~、凄い、とアンネローゼは若干引き気味だった。
元々アンネローゼ自身、筋金入りのマナー嫌いである。
お妃様教育を受けていたときも、心の中では、スローライフへの想いが約8割を占めていた。
ちなみに残りの1割は、そのスローライフを実現するために必要なお金を稼ぐための手段であり、そのまた残りの1割はその日の晩御飯についてであった。
「あのゲオルグ殿下から、こんな素晴らしいお手紙を頂けるなんて……、さすがはアンネローゼ様です!!」
とアンネローゼに、これまた暑苦しいまでの視線を投げかけてくるのは、先日いろいろあった従者のテオドール君である。
「ど、どうも……」
彼は、先日の事件まではなんか冷めた感じの可愛くない、小憎たらしい感じの少年だったが、アンネローゼが苦し紛れに小銭をあげてからというもの、とてつもなく職務熱心な熱血な従者へと変貌していた。
もちろん、仕事をしてくれるのは悪いことではないけど、もうちょっと冷静な感じでもいいのにな、とアンネローゼは思ったが、そもそも自分がちゃりんと小銭を投げたのが発端である。
そういうわけで、「僕はアンネローゼ様の役に立つんだ!!」が口癖の従者に対して、アンネローゼは若干引き気味で対応していた。
「そんなにゲオルグが手紙を送るのは珍しいんだ」
「ええ。当たり前でございます! 皇太子殿下ほどの方ともなれば――非常にご令嬢からも人気が高いですが、あの方は今までそんな浮いた噂がなかったのですよ」
「ほぅほぅ」
なるほど、いい情報だ。ゲオルグはかなりモテるらしい。
「しかもですよ!」とテオドールが我が意を得たとばかりに、うんうんと首を上下させる。
「異性への手紙は、10枚が最上級の愛情表現とされています。見てください、この美文の数々を。似た表現にならないよう、少しずつ単語を変えて、アンネローゼ様のお美しさ・気高さを表現しているのです」
――美しさ???? 気高さ????
突如として登場したわけのわからない単語に、アンネローゼはビビった。
しかし、自分にそぐわない単語にビビったアンネローゼを見て、テオドールは何か勘違いし始めたらしい。
「すみません……アンネローゼ様」とテオドールがうつむいた。
「えっ、どうしたの?」
「やはり、手紙では、アンネローゼ様の気高さ、優しさ、素晴らしさを、完璧に表現はできませんよね。
そんなことにまで頭が回りませんでした……これでは従者失格ですね……」
「はい???」
そうやって悔しそうな声を出すテオドール。
この子の情緒は、どうなっているんだろうか。
基本、気楽なアンネローゼも普通に心配になってきた。
「て、テオドール! そんなことより、手紙はどう出すの??
その……よければ教えてほしいな、なんて……!」と、とりあえずアンネローゼはほほ笑みを投げかけて、強引に話題を転換した。
そもそもアンネローゼ的には、さっさと手紙を返して、今後のスローライフ計画を練りたいなという気持ちしなかい。
「ほ、ほら! 私、手紙の書き方とかいまいちわからないし……」
アンネローゼがそうやって急かすと、「あ、アンネローゼ様……」とテオドールが目を潤ませながら、顔を上げた。
「百手先を見渡すと言われている"神の頭脳"が、手紙の書き方をわからないはずがないのに……。
あえて、この僕に名誉挽回の機会を下さったのですね」
「えっ、いやあの……うん、まあそれでいいよ」
急に食いついてきたテオドールに内心ドン引きしつつ、アンネローゼは同意した。
「では、アンネローゼ様、こちらをどうぞ」
すっかり気を取り直したらしいテオドールが、アンネローゼの目の前に、便箋を置く。
それも、きっかり10枚である。
「えっ、私も……10枚?」
「勿論ですとも!! せっかく、あちらが10枚も送ってくれたのですから……!」
え、10枚も書くネタ無いんですけど……。
しかし、テオドール君は、恥じらうようにくすりと笑った。
「正直に言うと、僕も楽しみなんです。
アンネローゼ様ほどの方が書いたお手紙は、どんなにすばらしいんだろうって……!! 考えただけでも、胸が躍ります」
「そ、そんなことは――」
ないよ、と言いたかったアンネローゼだったが、テオドールを見ると、それ以上の発言が続かなかった。
「………………」
なぜなら、まぶしすぎるのである。
テオドールのきらきらとした純粋無垢な視線が、無情にもアンネローゼを貫いている。
き、気まずい……。
「本来なら……この国に来たばかりのアンネローゼ様が書く必要はないのです。普通は代筆でも頼むでしょう。
でも僕は……アンネローゼ様を信じてますから」
これだけ言われて、書けませんと言えるだろうか。
アンネローゼは、今になって思っていた。
どれだけ陰険王子が嫌いでも――もうちょっと真面目にお妃教育を受けておくべきだった、と。今にして思えば、晩御飯に思いをはせている場合ではなかった、と。
ただで手紙の書き方やマナーを教えてくれたのだ。結構いい機会であった。
しかし、時すでに遅し。
アンネローゼは、こちらをまぶしく見つめてくる犬のような少年の前で、冷や汗をかきまくっていたのである。
本日のアンネローゼ様
→急に子犬と化したテオドールの対応に苦慮する