25.生意気従者は、驚愕する
「どういうことですか?」
気が付けば、テオドールは前のめりになっていた。
テオドールだって馬鹿ではない。
母の痕跡を追って、何年も探し続けているのだ。
もう、とっくに諦めていた。それなのに……。
「母は死んだはずだ。何年も探して見つからなかったんだ!!」
「いや、ピンピンしていらっしゃったわよ。郊外の方で旦那さんと一緒に」
「はあ!?!?」
もはや皇子の眼の前でいることも忘れて、テオドールは絶叫した。
リタが語ることによれば、事態はこういうことだったらしい。
まず、テオドールの母――シエラは、ずっと大事にしていた金のネックレスを売ることに決めた。理由としては、それをお金にして少しでも息子のために使ってあげようとした、らしい。
しかし、シエラはどこでも断られ続けた。衣服もぼろぼろの女性では、怪しすぎて店側も買うことを断ったのだろう。
そうした母が行きついた先が、裏市だったというわけだ。
裏市で母は、ネックレスを金貨に変えることにした。
しかし、そこはもちろん治安の悪さに定評のある裏市である。裏市を去ろうとした母は、ちょうど裏市から抜け出ようとしたところで、男たちにつかまってしまったらしい。
当然、金のためには暴力も辞さない相手の前ではなすすべもない。
ところが、偶然そんな現場に通りがかった男がいて、応戦してくれたのだ。
金は奪われてしまったが、命からがら裏市から逃げることができた母は、男と恋に落ちた、と言うわけである。
「な、なんですかそれは」
あまりの超展開に、テオドールはあきれ顔でつぶやいた。
これは、あまりにも話がめちゃくちゃである。
「だって、そんな俺の探してた時間は……一体……」
「でも実際、母上もわざとあなたから姿を隠していたみたいよ。その――貴族社会で従者として頑張っている息子に、こんな母がいるってのはまずいかも知れないって思ったらしいわ」
「あぁ、もう。本当に……母親ながら勝手すぎる。そもそも、連絡の一本くらいしようと思えばできるだろうに………」
髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回す。
「こっちがどれだけ……心配したと思ってるんだ、あの人は」
でも、テオドールはわかっていた。
おそらく、本当に自分の母だろう、と。
他人を蹴落としてでも生き延びる――そんな貧民街で母は人が良くて、騙されてばかりだった。
でも、なぜか、母の周りには人が集まっていた。
「まあ一応、足取りは追えたし、連絡先もあるわ。もし、あなたが連絡を取りたいと望むであれば」
涙がにじんで声にならない。
テオドールは話す代わりに、うなづいてリタに答えた。
「ちょ、ちょっと待ってください。二人とも、大事なことを忘れてませんか?」
少しして、ようやく落ち着いたテオドールは、もっとも重要な部分について触れていなかったのを思い出した。
そう言いながら、「もう終わりだね」的な雰囲気を醸し出している2人を必死に押しとどめる。
「なるほど。一応納得しました。母のネックレスが金貨になっていること。それに、母もまだ生きていること。
ただ、それでも、まだ2つだけ問題が残っています」
そう。
考えれば、ここだけがおかしい話だった。
母のネックレスの件も、母の生存の件もまだ理解ができる。
――しかし、呆然と、テオドールは自分の手で光っている金貨を見つめた。
「アンネローゼ様は、一体全体、どうやってこの小金貨を手に入れたんです?」
テオドールは今までの情報を整理していた。
テオドールは馬鹿ではない。むしろ、これまで他人を疑ってかかり、盗みなども散々してきたが、それでも捕まらなかったのは、彼のリスク管理の上手さゆえ。
むしろ、常人よりもはるかに頭が回る方だった。
おそらく、母の金貨はその裏市の無法者に奪われたのだろう。
だとしても、
――その金貨を、どうやって裏市で見つけることができたのだろう。
「ゲオルグ殿下。母の金貨が奪われたのは、何年も前です」
テオドールは目の前のゲオルグの眼をまっすぐに見つめた。
「そんな金貨を殿下は見つけられますか」
「無理だね」とバッサリとゲオルグは答えた。
「僕だってあらゆる可能性を考慮してみた――が、どう考えても無理だ。魔術、どんな人手を使ったって、一度流通した特定の金貨を見つけ出すなんてことは、この世のどんな人間にも不可能だ」
テオドールも無言で考えた。
たしかに、名前が掘ってある、という点ではまだ見分けやすいのかもしれない。しかし、物は金貨なのだ。
「裏市での金貨の流通量は想像を絶します。なおかつ、裏市には後ろ暗い人間が集まると考えたら、その取引に使われた金貨ですら、そこにとどまるとは考えられません。例えば、金貨を手に入れた瞬間、この皇都を出たり、外国に行くという選択も考えられますからね」とリタが頷く。
その通りだった。
それを特定して、しかもほんの一晩で帰ってくる。
(そんなの………)
「そんなの人間じゃない――」
”神の頭脳”。
その言葉が初めて、しっくりと来た。
まさしく、神の御業。
人間の限界を超えた圧倒的な頭脳。
「しかも、ここで忘れはいけないのは――、彼女はあくまでも、それを他人のために使ったということだ。彼女はこう言っていたよ。
『あなた様なら、その金貨に込められた意味がお分かりになると思います』ってね」
「たしかに……」
テオドールも同じ気持ちだった。
金貨1枚を見つけ出す。そんな能力があるなら誇っていいはずだ。自分にはこんなことができるんだと、自慢するのが普通だ。
でも、彼女は、テオドールの主人は、屋敷に返ってきた瞬間、すぐにベッドへと向かってしまった。
その思いが、痛いほどテオドールには伝わった。
テオドールの表情を見たゲオルグも同意するように頷いた。
「ああ、君の想像通りだ。きっと彼女は、君の母上のこともすべてをわかって、自分の出る幕は終わった、と思っているんだろう」
「そんな……!」
――どこまであの人は謙虚なんだ。
気が付けば、テオドールはゲオルグに跪いていた。
「殿下。お願いします。アンネローゼ様を社交界にも出してあげてください。あの人は嫌がるかもしれませんが、俺は……いや僕は知っているんです」
思い出すのは、一緒に散歩をしようと誘ってきたり、執拗にトレーニングをしようと促すアンネローゼの姿。
「あの方はやはり動き出そうとしています」
――もちろん、アンネローゼはスローライフの地を探して、その辺をうろちょろしていたかったのだが、テオドールの中では、”屋敷の中で閉じこもっているが、本当は外に出て皇子の力になりたいと思っている聡明な令嬢”という誇大妄想が爆発していた。
本人が聞いたら、「え、誰それ」とツッコミを入れずにはいられないような発言。
だが、今夜の一件でアンネローゼに心酔したテオドールの勢いはもう止まらない。
「お願いです。あの人は――いえ、"神の頭脳"は、やはり逆境でこそ輝くもの」
「テオドール。本気で言っているんだな。正直に言うが、最近は、中々キナ臭くてね。アンネローゼを表に出しては彼女も困るだろうと、僕の屋敷にいてもらったのだけど」
そう言ってゲオルグも、テオドールを見据えた。
皇子の眼から伝わるのは、尋常ではない圧力。
(でも、負けるものか)
テオドールは負けじと睨み返した。
「なるほど。その覚悟、しかと受け取った」
ゲオルグが立ち上がり、背を向ける。
「諸事情により、彼女を婚約者として正式に紹介することは避けていたが、
君がそこまで言うのであれば、わかった。彼女を正式に社交界でデビューさせよう。だが、わかっているな、ふたりとも」
扉を開け、外に出ようとするゲオルグは、静かに言い切った。
「この国でアンネローゼは相当うまく立ち回らなくてはいけなくなる。貴族たちは間違いなく新しく現れた皇子の婚約者にちょっかいをかけてくるだろう。僕も最大限努力するが――、君たちの協力も必要だ」
そう言って立ち去るゲオルグ。
次第に高まっていくアンネローゼへの信頼。その圧倒的な頭脳への畏敬の念をもちながら、3人は解散した。
残念なことに、「それ全部偶然ですよ」と言ってくれる人間はこの場に1人もいなかった。
*****
「さあて」
ぱしんとテオドールは手を叩いた。
「何から始めます?」
今なら何でもできそうだった。
もはや自分に怖いものはない。アンネローゼのために尽くすのみである。
しかし、そうやって部屋から出ていこうとしたテオドールは、一瞬で寒気に襲われた。
「しゃ・ざ・い」
首だけで振り返ると、後ろには、額に青筋を浮かべるリタ。
「謝罪……ですか?」
冷や汗をかきながら、テオドールは恐る恐る聞き返した。
「当たり前でしょ。あんたのせいで、使用人は夜中いっぱい駆けずり回って、散々な目に合ってるのよ」
ぱきぱき、と乾いた音がする。
その音はリタの握りこぶしから出ていた。
「しかも、もとはと言えば、あんた屋敷の物を随分とかっぱらってたみたいじゃない。ねえ、テオドール。あんたいい度胸してるわね」
「り、リタさん。その……入ったばかりの新人に……暴力とかはやめておいた方が……」
「問答無用じゃあ!!!!」という叫び声と共に、その晩、屋敷中にテオドールの悲鳴が響き渡ったという。
ちなみに、アンネローゼは爆睡しながら、
「ああダメです、そんな慰謝料たくさん……受け取れませんわ………うぅ」と、がっぽり慰謝料を受け取った夢を見て、ご満悦だった。
本日のアンネローゼ様
→他のみんなが真面目にやっているのに、1人だけ爆睡中。




