24.皇太子殿下は、推測する
「なぜ、母の名前が……?」
テオドールは言葉を詰まらせた。
「もちろん、僕だってアンネローゼじゃないんだ。君の母上の名を当てるなんて芸当はできないさ」
――もちろん、アンネローゼだって初対面の人間の名前を正確に当てるなんて言う芸当は不可能だったが、この場の3人はアンネローゼだったらそんなことくらい簡単にできると思い込んでいた。
もう完全に末期である。
「ヒントは、この金貨にある」
そう言ったゲオルグが、テオドールの方へと何を渡した。
「これは……? 小金貨ですか」
ゲオルグの掌から金貨を恐る恐る受け取ったテオドールは疑問を口にした。
――どういうことだろう。この金貨と母に何の関係が……?
「たしかに、僕も最初はそう思った。でもじっくり観察していると、あることに気が付いたんだ」
「あることですか……?」
テオドールは疑問を覚えつつも、手の中の小金貨を触った。
見たところ、何の変哲もない小金貨だ。
でも、少し部屋の明かりにかざしてみると、何かおかしいところがあることに、テオドールは気が付いた。
「だいぶ……歪ですね」
手のひらに収まる金貨はゆがんでいた。
皇国の貨幣はすべて、国の鋳造所にて一括で発行される。だからこそ、基本的に大きさ・形ともにそろっているはずなのだが……。
――こんな汚い金貨を渡して何がしたいんだ?
「ああ、裏市で勝手に鋳造された金貨だろう。あそこでは、誠に勝手なことだが、違法に金の鋳造も行っているんだよ。我々としても頭が痛いけどね」
「って、それが母とどう関係があるんですか!」
我慢しきれなくなったテオドールは聞き返した。
なるほど、あの悪名高き裏市なら、違法に金貨を鋳造するくらいはやるだろう。なにせ、法律とか秩序とかいう言葉と対極にあるような場所である。
ただ、それが自分に関係があるとは思えなかった。
「裏を見たまえ」とゲオルグが冷静に促す。
「裏ですか? だいたい、金貨の裏なんて、歴代の皇帝の紋章が描いてあるだけで――」
他には何もない、と言いかけたが、テオドールは次の言葉を口にすることができなかった。
「これ……は?」
小金貨の裏には、皇帝の紋章などはなく、
「な、なんですかこれ?」
――シエラという、母の名前。
脳が、理解を拒む。
呆気に取られているテオドールを見て、ゲオルグは穏やかにほほ笑んだ。
「テオドール。さっき僕は、『裏市で勝手に鋳造された金貨』と言ったけど、なぜそんなことをすると思う?
単に金貨が欲しければ、皇国の金貨でかまわないじゃないか。それなのに、なぜ形も悪い金貨を作るのか。価値も下がるしね。裏市の連中だってそこまで馬鹿じゃない」
「まあ、言われてみれば……」
たしかに、そうだった。鋳造と一言で言ってしまうと簡単そうだが、おそらくそれなりに大きい機械や場所も必要だろう。
それで、法を無視して作ったところで、形が不揃いなのは致命的だ。
よくよく考えると、割に合わない気がする。
「簡単な話だ」
ゲオルグが言った。
「裏市に持ち込まれる品は様々だが、基本的には後ろ暗い品という共通点を持っている。
例えばだけど、テオドール。君がもし、何か目立つ貴金属を売り払いたい場合には、どうやって売る?」
「げっ」
テオドールは若干ひるんだ。
それはテオドールにとって、悩ましい問題の一つだった。
屋敷で物を盗むといっても、意外と難しい。
銀食器などは盗みやすいし、売りやすい。ただ、売ってものすごい金額が手に入るというわけではないのだ。
売ってものすごい金額が手に入ると言えば、それこそ、その屋敷に家宝などがあれば、とてつもない金額で売れるだろう。
しかし、そういうお宝に限って、処分方法が難しいのだ。
もちろん、貴族を相手にするような市場では、「これは○○家の宝だ」と瞬時にわかってしまうだろう。
一方で平民が多く集まるような市場で処分しようとも、難しい。
物の価値と言うのが、伝わらなかったりすることもあるのだ。高価な美術品も、ただのガラクタ扱いされてしまう可能性がある。
結果的にテオドールは、銀食器や貴金属など足がつかなさそうなものばかりを盗んで換金していたのだった。
(いや、まさか!!)
テオドールはここで1つの可能性に思い当たった。
「まさか――貴金属を金貨に変えているんですか」
ご名答だ、とゲオルグが頷く。
「ああ、その通りさ。盗品、いわくつきの品を金貨にして自分のものにする。もちろん、正規に売り払うよりは価値が安くなってしまうが、この方法の利点は――」
「足がつかずに済む」
思わず、テオドールも答えていた。
「いやでも………ちょっと待ってください!」
一旦納得しかけたテオドールだったが、自分を落ちつかせるようにして、もう一度声を上げた。
「原理はわかりました。原理はね。
でも、母の名前が裏に書いてあるっていうのは、どういうことなんですか?」
「それもさっきの話とつながっていてね。裏市の気質というか、裏市の権力嫌いな部分と言うか。
本来であれば、皇帝の紋章が入っているはずの場所に、その金貨の名前を彫ってくれるんだ」
本当にひねくれてるねえ、とあきれ顔のゲオルグ。
「それ……何のためにですか?」
「いや、メリットはちゃんとあるみたいだ。裏市で急に金貨を奪われたとしても、名前が掘ってあれば後々自分の金貨だと主張できることもあるとか」
「なる……ほど」
テオドールは複雑な表情で、金貨を見つめた。
つまり、この歪んだ金貨は、元は間違いなく、母親の形見のネックレスだったわけで。
「はは……」
そう思うと、急に親近感が湧いてきた。
汚い金貨だと、最初に金貨に抱いた印象も薄れて、歪みも悪くないような気がしてきた。
「ありがとうございます。まあ、おそらく母は亡くなる前に裏市でネックレスを換金して、僕にくれようとしていた……と言ったところですかね」
と、テオドールが言ったとき、部屋の中が笑い声に包まれた。ゲオルグもリタも笑っている。
「どうしたんですか?」
さっぱりわからない。なぜ笑われるのか。
例えるなら、何も知らないような弟を温かく見守るような……。勘が悪い人に、どうやって伝えようか、と困っているような笑い方。
「一つだけ、間違えているわ」
今まで黙っていたリタが初めて口を開いた。
「だってあなたのお母さま。まだ生きてらっしゃるもの」
「は?」
本日のアンネローゼ様
→寝ている間になんか婚約者(仮)が探偵みたいなことをし始めている。