3.お気楽令嬢は、状況を把握できていない
「僕と、婚約して頂きたい!」
「はぁ……」
悲報。なんかこのイケメン怪しい。
アンネローゼは、急に自身に婚約を申し込んできたイケメンを胡散臭げに眺めた。
端的に言って、意味が分からない。
なんで急に婚約を申し込んでくるのか。それともあれだろうか。最近、高位の貴族の間では、婚約破棄や婚約申し込みが流行っているのだろうか。
誰か切実に教えてほしい。
しかもイケメンは、なぜかアンネローゼの手を取ってエスコートし始める。
ああ、なるほどね。
ここにきてアンネローゼは理解した。要するに、このどこからか自然発生してきたイケメンは、アンネローゼの同志なのだ。
うむうむ。わかるよ。
田舎スローライフって夢があるよね。
つまりだ。このイケメンの着ているものを見れば、位の高さは一目瞭然である。アンネローゼの地味なドレスなぞとは、桁が違う。
このイケメンもそんな疲れる生活から逃走し、田舎スローライフを送りたかったに違いない。
アンネローゼの真の目的に気が付いて、アンネローゼにお供したいといったところだろう。
いいね、だいぶ見どころのあるイケメンである。
そうやってイケメンに連れられパーティーを後にしようとしたアンネローゼだったが、目の前に立ち塞がる人物がいた。
一度目にしたら二、三日は忘れなさそうなインパクトを持つピンクブロンドの令嬢、メアリーだ。
「ゲオルグ様。御身のお噂はかねがね聞いておりますわ。なんでも人望・智勇ともに皇国では並ぶ者がいないとか」
メアリーはゲオルグに媚びた表情を投げかける。
明らかにその目線は、アンネローゼなんて放っておいて自分をエスコートしないか、と言っていた。
「め、メアリー、何を……」
先ほどまで愛をささやき合っていた令嬢の、余りの変わり身の早さに、王子は口をパクパクさせている。
うおぉぉ、凄い、とアンネローゼはそれを見て感心していた。
なんか、めちゃくちゃセクシーである。こう……胸の谷間がこぼれんばかりだ。
アンネローゼの理想としている辺境スローライフでは永遠に使用することのなさそうなテクニックだが、アンネローゼも今度一人で真似してみてもいいかもしれない。
女性の自分でも凄い、と感心するセクシーさなのだ。流石の同志の心も揺らぐのではないか、と思っていたが、それを見たゲオルグの反応はぞっとするほど冷たいものだった。
「僕が君をエスコート? 冗談も休み休み言ってくれないか。そうやってわがままを言って振り回して、男性に甘えていれば、自分の思い通りに事が進むと思うのであれば、大間違いだ」
はっきり言っておこう、とゲオルグがアンネローゼと組んだ腕を見せつけるかのように持ち上げる。
「君も、あちらの王子も、僕は全く許していない。君たちに何も言わず、帰るのもすべてはアンネローゼ嬢の想いを汲んでのことだ。アンネローゼ嬢が我慢していなかったら今すぐ、外交問題にしたっていいのだぞ」
ど、同志……?
そう啖呵を切ったゲオルグの眼は、一切笑いを含んでいない。
「では、アンネローゼ。帰りましょう。家までわたくしがお送りいたします」
にっこりとゲオルグがほほ笑む。
「は、はあ……」
まあ、よくわからない流れだけど、帰りの馬車代が浮くのはありがたい。この浮いたお金でガーデニング用の苗でも買おうかな、とアンネローゼは暢気に構えていた。
――その瞬間。
「ふざけるなよッ!!!!」
耳をつんざくような金切り声が広間を切り裂いた。
「どいつもこいつも俺を馬鹿にして!」
「へ?」
やけに元気のいい若者がいるな、と思いながら後ろを振り向いたアンネローゼが見たのは、顔を真っ赤にして怒鳴る元婚約者であった。
あんなに頭に血が上って、くらっとしないのだろうか、とまあまあ心配になるが、キレキレ王子の快進撃は止まらない。
おそらくメアリーが新しい男になびいたのがよっぽど悔しかったのだろう。
まあでも仕方ないと思う。
このゲオルグとかいう人、ちょっとイケメンすぎる。王子もまあまあカッコイイと言われていたが、こういう本格的なイケメンの前だと形無しである。
「もう貴様らの顔なぞ見たくもない!」
ただ、ベルゼ王子はメアリー嬢がゲオルグを誘惑したのではなく、アンネローゼとゲオルグがたぶらかしたのだと思い込むようにしたらしく、こちらを殺さんばかりの目線でにらみ続けている。
「アンネローゼ、君の家の爵位も没収だ。王都の屋敷も、財産も何もかも、奪い取ってやる!!
せいぜい爵位もなく、辺境の地で、畜生の世話でもして、みじめな一生を過ごすがいいさ。ご両親にもよろしく言っておいてくれないか」
「は、はぁ……」
王子は言ってやったとばかりにニヤニヤしている。
辺境の大自然で馬や羊と楽しく暮らす。最高ではないか。
アンネローゼとしてはいまいち王子がどや顔でこちらを見てくる理由がわからなかったが、とりあえず適当に返事をしておく。
むしろ、いいプレゼントである。まあ、両親には悪いが、帰ったら田舎の良さを力説すればいいか、とアンネローゼは暢気に構えていた。
「見下げ果てたやつだ……。仮にも元婚約者だぞ」
「くく、関係ないね。もう謝っても許さんぞ。王族に対する反逆罪だ」
王子はそれはそれは楽しそうに嘲笑った。
「ふしだらな女め。その新しい婚約者とやらと一緒に貴族として最後の夜を過ごすがいい」
そのまま性悪王子は、先ほどまでアンネローゼがいたテーブル付近に目を向ける。
「アンネローゼ、君の取り巻きの者たちにも、追って沙汰を下そう。貴様らの派閥は終わりだ」
「そ、そうですか……」
だから派閥なんてないっての。
性格がねじくれまくってしまった王子はついに、たまたまアンネローゼが座っていた近くにいた令嬢たちも、アンネローゼの派閥に属している、と思い込み始めたらしい。
いやしかし、だいぶまずいことになってきた。
さすがにベルゼに直接恨まれているアンネローゼはともかくとして、たまたまアンネローゼの近くにいた彼女たちのお家断絶は、簡単にすることはできないだろう。
そもそも元から事実無根だし、ちゃんと調査をしてくれれば、彼女たちが巻き込まれることはないはず。
とはいえ、なんか申し訳ない。
アンネローゼは、テーブルの付近にいたメンバーに軽く会釈した。巻き込んでごめんね、ぐらいのノリである。
そしたら周囲の令嬢も、アンネローゼに答えるようにして、深くうなずいてくれた。
どうしたんだろう、彼女たちもスローライフ志望なのだろうか。
「もう出ましょう、ここにはもういる必要もない」とイケメンに促されたので、アンネローゼは広間をいそいそと出ていく。
一応、最後にはぺこりとお礼をしておいた。
こんなところでも、妃教育の成果が出てしまった。というかもはや、教育を超えて洗脳レベルでしみ込んでしまっている妃教育の恐ろしさを感じながら、アンネローゼは夜会を後にした。
ちなみに、横のイケメンは、
「なんて立派な淑女なんだ……。こんな仕打ちを受けてもなお礼儀を忘れていないのか……」
となにやら涙ぐんでいた。
本当になんなんだ、この人。
というわけで、帰りは馬車でお家に帰宅した。
正面に座るイケメンが何やら自己紹介をしていたが、アンネローゼはもうすぐたどり着くであろうスローライフを妄想するのに忙しかったので、あんまり集中していなかった。
まあ、屋敷といっても、我が家は吹けば飛ぶような木っ端の貴族である。申し訳程度の応接間で、両親とイケメンが顔を合わせる。
そんな中、アンネローゼはかくかくしかじかの説明をした。
まあ、申し訳ないけど、お父様もお母様も一緒に、田舎でスローライフをしようよ。ついでに、このイケメンも同志として迎え入れてあげてもいいよ、と。
アンネローゼがこれで全部説明し終わったと思った。
まあ、両親も貴族らしからぬ穏やかな人たちだ。きっと笑って許してくれるだろう、とアンネローゼが余裕ぶっていた
――その時である。
今まで無言を貫いていたお父様が、
「そう……か。ついにこの時が来てしまったか……」と何やら意味深に天を仰いだ。
「……んん?」