22.お気楽令嬢は、意味深な感じで立ち去る
「その従者の子の、形見のネックレスはどこにあるんだい?」といういい感じに落ち着いたハスキーボイスが、アンネローゼの耳を素通りしていく。
「………………」
ないです。
そんなの知りません。
というか私、テオドール君のネックレスを探しに行こう、と言い出したわけでもありませんから!
こう、びしっと言えたら、どれだけ楽だったろうか……。
だがしかし、である。
アンネローゼは首をひねって嫌々、皇子の顔を見た。
きらきらと、まるでまぶしいものを見るかのように、ゲオルグの顔はそれはそれは期待で満ち溢れていた。
(こんなの、無いって言えないじゃん……。)
しかたない。
「ま、まあ、アレですよね。
たまには、いくら『神の頭脳』でも、失敗はありますもんね!」
作戦その1。
“人間だもん、たまには失敗だってあるよ作戦”である。
こうやって、「今回は仕方ないよね。ハハハハハ」的な返事をゲオルグから引き出そうとしたアンネローゼだったが、作戦その1は、
「何を言っているんだい? アンネローゼ。君ほどの人間が失敗するわけがないだろう」という殿下の一言で、木っ端みじんに吹き飛んでしまった。
アンネローゼは泣いた。
ごめんよ、作戦その1。
あまりにも、儚い命だった……。
「僕に連絡をくれた侍女も言っていたよ。『安心してください、殿下』と」
「侍女……?」
アンネローゼの侍女というからには、おそらくリタのことだろう。
しかし、アンネローゼは不安で不安で仕方なかった。
「わ、私の侍女。リタはなんて言っていたのでしょうか……?」
「心配ないと彼女は言っていたね。
『神の頭脳が動き始めました。もはやこの一件はすべて、アンネローゼ様の手のひらの上。アンネローゼ様が整えた舞台で、私たちは踊るだけ。私も、テオドールも、裏市の猛者どもすら、全てはアンネローゼの意のままに動く、哀れな操り人形に過ぎないのですよ!!!!!』
って嬉しそうに話していたよ」
お、おう。なんという余計な物言い………。
哀れなマリオット????
アンネローゼ様の舞台????
何を言っているのだろうか。
というか、哀れな操り人形は、今のところ自分の方なんですけど!!!
アンネローゼは猛烈に思った。
今夜は、完全にリタのわけのわからない発言と行動によって、ついに爆弾が爆発してしまった感がある。
いや、張本人はお前やんけ、とアンネローゼは頭を抱えた。
「いい侍女を持ったね。君のことを完全に信頼していたよ。こんな短期間で、使用人の心をここまで掴むとは……」などとゲオルグが世迷言を言っているが、もはやアンネローゼの耳には入らない。
「エへへ……」と笑顔でごまかすが、それももう限界に近くなってきた。
どうするどうする???
アンネローゼは必死に自分の全身をまさぐった。
(何か………何かないか!!!)
ポケットには、コツンとした感触の小さな瓶と、それを買うのに使った金貨のおつりくらいしか持っていない。
――裏市で入手した高級媚薬。
これいけるか、とアンネローゼは自問自答した。
これをすかさず、目の前のイケメンに飲ませ、いい感じにこの一件をうやむやにする。
「でも、」
アンネローゼは目の前のイケメンをまじまじと眺めた。
「無理かあ……」
素人目にも、ゲオルグの立ち姿には付け入る隙が無いように思える。
先ほどの魔法もそうだし、このイケメン、めっちゃ強そうなんだよなあ……。
しかもアンネローゼは、この媚薬はあまり見せたくはなかった。
なぜなら、この媚薬はアンネローゼにとって切り札となる重要な品だからである。
いや、たしかにアンネローゼも婚約破棄をしたいと企んでいる。
しかし、あくまでもアンネローゼは、ゲオルグ側から婚約破棄を引き出したいのだ。
つまり、『ゲオルグに浮気されたせいで婚約破棄された悲劇の令嬢』という仮面をかぶって、慰謝料をがっぽりもらい、新天地でのんびりスローライフにいそしみたいのだ。
しかし、ここで媚薬が見つかってしまったら、どうなるだろうか。
もし、「なんというふしだらな女だ!」とか言われたりしたら、まさしく一巻の終わりである。
しかも、現在アンネローゼには大した収入がない。アンネローゼはゲオルグが用意してくれた屋敷で、食べては寝る、を繰り返すだけの居候であった。
今回、アンネローゼは密かに屋敷から持ち出していたゲオルグのお金を使って媚薬を購入したのだが、これは皇国の皆様の目にどう映るだろうか?
――他国から来た令嬢が婚約者である皇子の屋敷から金を持ち出し、犯罪者しかいない裏社会の市場で、いやらしい違法薬物を購入する。
あまりにも人聞きが悪い。悪すぎである。
なんならアンネローゼ側が慰謝料を払うことになりかねない。
仕方ない。
アンネローゼは、腹をくくった。
作戦その2の決行だ。
アンネローゼは、小瓶ではなく、お釣りとして裏市でもらった小金貨を取り出した。
小金貨というのは小さめな金の硬貨で、まあまあ市場でも見られるタイプの貨幣である。
つまり、それほど価値が高いわけでもない。
それをかっこよくぴーんと、ゲオルグの方に弾き飛ばす。
1枚の小銭は勢いよく放物線を描いて、ゲオルグの手のひらに載った。
うんうん、我ながら中々の命中率。
「これは……?」というゲオルグの不思議そうな声が聞こえた。
「殿下」
そう言って、なるべくミステリアス(と自分では思っている)顔をしながら、アンネローゼは意味深に告げた。
「あなた様なら、きっとこの金貨に込められた意味を分かってくれるはずですわ……」
「それは……どういう……」
ゲオルグの返事を待つこともなく、アンネローゼは、そそくさとその場から逃げるようにして屋敷に帰った。
あっけにとられた皇子を1人、残して。
*****
要するに、作戦その2はシンプルだ。
極めてシンプルである。
「なんか意味深なことを言って、煙に巻く」というのが作戦その2のポイントであり、その全てである。
幸い、屋敷の中はまだ人が帰ってきておらず、アンネローゼはすんなりと自室に行くことができた。
ベッドに潜り込みながらアンネローゼは思った。
絶対、テオドールに嫌われるよなあ、と。
そりゃ当たり前である。
母の形見の金のネックレスを持ってくると言っていた相手が、小銭の金貨しか持っていなかったら誰だってブチ切れるだろう。
金は金でも、大違いだ。
――ゲオルグが、あの金貨をテオドールに渡して、なんかうまい言い訳をしてくれないかなあ。
と、何とも人任せなことを考えつつ、アンネローゼは5分も経たないうちにぐうすか寝始めた。
たが、能天気なアンネローゼは知らなかった。
屋敷の前では、アンネローゼにもらった金貨を調べていたゲオルグが「ま、まさか! そんなことがあり得るのか?」と驚いていた――が、
アンネローゼは自分が渡した小金貨1枚をめぐって、またもやとんでもない勘違いが進行しているのも知らずに、アンネローゼは爆睡していたのである。
本日のアンネローゼ様
→全力でうやむやにしようと画策するも……?