21.お気楽令嬢は、イケメンの恐ろしさを味わう
呼び方、というのはとても重要である。
割と呼び方に寛容なアンネローゼだって、急に「おい、アホのアンネローゼ!」とか言われたら、まあまあイラっとくるだろう。
いや、ゲオルグにそう言われたとかではない。
実際は――真逆である。
「大丈夫かい。僕の愛しいアンネローゼ」
ゲオルグの澄んだ眼がこちらに向けられた。
ガタゴトと馬車の揺れが伝わる。
アンネローゼは今、ゲオルグの用意した馬車で屋敷に連行されている最中で、向かいにはゲオルグが座っているのだが……。
「だ、大丈夫ですよ、殿下」
「『殿下』だなんて……。ぜひ、僕のことはゲオルグと呼んでほしい」
「あ、アハハハ……。そのうち、はい。考えておきますわ……」
「それにしても……、体調は問題ないかい? 僕の愛しいアンネローゼ」
「ぐはっ」と言いながら、アンネローゼは胸を抑えた。
怒涛の連続、『僕の愛しいアンネローゼ』。
やはりイケメン、恐るべしである。
「どうしたんだい?」とゲオルグがその端正な顔立ちを曇らせる。
「アンネローゼ、そんな顔を急に真っ赤にして。やっぱり熱でもあるんじゃないのかな?」
「大丈夫です、大丈夫です。主な原因は目の前のいる人なので……」
ここでたちが悪いのが、ゲオルグが本気で言っているという点である。
まだ冗談交じりに言われら、アンネローゼだってかわせていただろう。しかし、ゲオルグは本気だった。
ゲオルグはアンネローゼのことを、心の底から好意を持っていたので、冗談抜きで「僕の愛しいアンネローゼ」と言っていた。
圧倒的顔面偏差値から繰り出される、その攻撃はまさに一撃必殺。
アンネローゼは、ぐへっと声にならない息を漏らして黙り込んだ。
うわあ、凄い。
何が凄いとは言えないが、馬車の中まで輝いているように見えてきた。
「よくないよ、アンネローゼ」
黙っていた自分を見て、ゲオルグが何事か言い始めた。
「な、なにがです?」
「熱が、あるんだね?」
そういった皇子の眼が心配そうに揺れている。
「服を脱ぐんだ」
「――はい?」
アンネローゼは絶句した。
え?? 急にどうしたの?? と言った感じである。
しかし、ゲオルグはそんなアンネローゼの困惑をよそに、何かに駆り立てられたように言い切った。
「だから、今すぐ服を脱がなくては」といった殿下のお顔は真剣そのものである。
「身体に熱がこもっているはずだ。何かあってからでは遅い。脱いで体内の熱を逃すんだ……!」
「え、いや、こんなの放っておけば………」
この男は正気か…????
というのがアンネローゼの心境だった。
馬車はゲオルグ御用達ということもあって、窓には軽くカーテンが掛けられているが、それだって完璧ではない。
そんな中で、真っ赤な顔をして服を脱いでいる令嬢と皇子がいたら完全にアウトである。
このままではアンネローゼは、「辺境の地で優雅にスローライフする女性」ではなく「都会の馬車でハレンチな行為に及ぶ変態女」になってしまう……!
おかしいぞ。全然憧れた人生設計に沿ってない。
「で、殿下!」
アンネローゼがそれはまずいですよ、と静止をかけると、ゲオルグもハッと気が付いたような顔をした。
「ごめん、アンネローゼ。そうだったね」
「や、やっとわかってくれましたか……」
そうそう。
せっかくイケメンなんだから、もうちょっと冷静にお願いします。
まあだけど、皇子も少しは落ち着てくれたはず――、
「たしかに1人で脱ぐのは恥ずかしい、か。悪かったよ、アンネローゼ。わかった、僕も脱ごう」
「どうして!?!?」
アンネローゼは思わず聞き返していた。
すごい。すがすがしいほど、全然わかっていない。このくらいのイケメンになると、世間の常識すらも置き去りにしてしまうのだろうか。
イケメンってすごい……。
「だから、僕も脱ごう。君にだけ恥ずかしい思いをさせるわけにはいかない。そうだ。僕は先ほど誓ったんだ。2人で一緒に困難に立ち向かう、と。
君の恥ずかしさは、僕の恥ずかしさでもある」
一見ものすごくいいことを言ってそうな殿下は、覚悟を決めた目で、シャツのボタンに指をかけようとする。
こ れ は ま ず い。
「殿下! お待ち下さい! これはもっとまずいです!!!!
客観的に考えてください!!! あぁ、もうシャツをたくし上げないでください!!!!」
誰かのこの皇子にまともな恋愛を教えてほしい、とアンネローゼは切に願った。
必死に殿下を押し留めながら、アンネローゼは思う。
くそう……この色気、タダものではない。
しかし、こんなイケメンに、負けるわけにはいかないのだ。
だって――
だって私には、
夢のスローライフが待っているんだから!!!!!
馬車の中の必死の攻防。
アンネローゼは思った。
――というか、それにしたって、今日は厄日なのでは??
ゲオルグ・フォン・ラヴォワ。
大国ラヴォワの第三皇子で、文武両道にして頭脳明晰。
恵まれた外見に、魔法の才。
全てにおいて完全無欠なこの男を、世間は『皇帝になるべくして生まれた男』と呼んだが――、
恋愛面に関しては、割と暴走しがちだった。
*****
「ぜぇはぁ」と荒い息を吐きながらアンネローゼは馬車から降り立った。
「大丈夫かい? やっぱり熱が……」
「大丈夫です」
きっぱりと言い切る。
ひどい道中だった。
そう。
ゲオルグのちらりと見えた骨ばった鎖骨は、何とも色気があり――、
ってそうじゃない。
恐ろしい、とアンネローゼは戦慄した。
おそらく、アンネローゼ以外の令嬢だったらゲオルグの圧倒的色気にやられてしまっていただろう。
この鋼の精神力を持つアンネローゼが、必死にスローライフのことを考えて、やっとのことで堪え切れたのである。
とんでもない男だ。
「でも、わざわざすみません。ありがとうございました」
ぺこりと、アンネローゼは屋敷の前でお辞儀をした。
何やらどっと疲れたが、一応運んでもらった恩がある。
「いいんだ。さっきも言ったけど、アンネローゼ。僕は、君のことをまだまだ分かっていなかったようだ。
まさか新しく雇い入れた従者の子のためだけに、裏市に行くだなんてね」
そう言って、ゲオルグがこちらにやさしい笑みを向けてくる。
なんだろう。
ちょっと嫌な予感がしてくる……。
「で、アンネローゼ」
ちょっと待てよ。
そもそも私は何のために裏市に行かされたんだっけ
媚薬を買うため?
不気味なネックレスをもらうため?
違う。
や、やばっ――、
アンネローゼが屋敷に戻ろうと方向転換をしようとした瞬間、後ろから無慈悲な宣告が放たれた。
「その従者の子の、形見のネックレスはどこにあるんだい?」
うわぁお。
やっぱり厄日かも☆。
本日のアンネローゼ様
→だいぶ殿下も常識が足りなかった。イケメンってこわい……