20.お気楽令嬢は、初めて魔術を体験する。
人間関係の基本は挨拶だ。
とりあえず元気よく挨拶をしておけば、世の中の大体のことは丸っと収まるのである。
これぞ、アンネローゼ流お気楽社交術その3。
うおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!
アンネローゼはなるべく余裕をもって、さわやかに殿下にほほ笑んだ。
「こここ、こんばんわ。どどどど、どうも、ゲオルグ殿下!」
嘘である。
アンネローゼは絶賛ビビりまくっていた。
淡い金髪に、そして無駄に甘く整ったあの容姿は、間違いなくラヴォワ皇国の第三皇子ゲオルグ。
が、しかし。
ゲオルグはなぜか知らないが、めちゃくちゃ怒っているように見える。
だからこそ何とかアンネローゼは、この場を収めようとさわやかに挨拶をしようとしたのだが、アンネローゼのすぐ側から、それを全部ぶっ壊すかのような乱暴な声が上がった。
「なんだ、貴様! この僕に逆らう気か!」
そう言ったペラ男を筆頭にした男たち三人組は、無謀にも振り返って、ずんずんと殿下に近寄っていく。
「僕はラールグライス家次期当主ともなる男だ。生意気だぞ」
あ~もうバカバカバカバカ。人がこんなにも苦労して誤解を事態を収めようとしているのに、アホ貴族3人はやる気満々のようだ。
3対1。
さすがにこれはまずい。
アンネローゼは頭を高速回転させていた。
もし、ここでゲオルグがボコボコにされて意識を失ってしまったりなんかしたら、婚約破棄も申し込めないじゃないか。それに、アンネローゼが現在進行形で惰眠を貪っている屋敷は、ゲオルグの物である。
そう思ったアンネローゼは、思わずゲオルグに向かって叫んでいた。
「逃げてぇぇぇ!!!」
もちろん、アンネローゼとしては「早くどこかに行って助けを呼んできてね」くらいのノリであったが、
――完全に、逆効果であった。
*****
ゲオルグは感動していた。
きっと怖いのだろう。それはそうだ。
まったく見知らぬ土地。いくら『完全記憶能力』を有しているとはいえ(※そんなのありません)、実際に夜の街を、しかも”裏市”に行くのは大変な勇気がいるだろう。
しかも、彼女は酔っ払った男に囲まれているのだ。
でも、そんな状況で、彼女は、ゲオルグのことを心配をしてくれたのだ。
(全く敵わないな………)
「大丈夫だよ、アンネローゼ」
だからこそ、言いたい。
不安を感じている彼女を安心させるように、ゲオルグは言った。
「心配には及ばない。こう見えても、意外と僕は武闘派でね」
そこまで言ったゲオルグはほほ笑んだ。
「我が魔術を――お見せしよう」
「へ? だ、大丈夫……? え? 魔術??」
何、急におとぎ話みたいなことを言い始めて………。
大体ゲオルグは皇子様である。まさかそんな温室育ちの男が、路上で3対1で勝てるとも思わない。
と、アンネローゼは割と失礼なことを考えていた。
「さて、今日の僕は気分がいい。お引取を願えるかな。僕は婚約者を迎えに来たんだ」
(いや、これはいくら何でも――え??)
だが、アンネローゼは異変に気がついた。
そう言うゲオルグの顔が、光り輝いている。
「へ?」
んんんんん???????
なんで???
意味が分からない。
薄暗いランゴバルディアの路地裏で、ただ1人、ゲオルグの顔がきらきらと光り輝いていた。
あまりにもイケメンすぎると、急に顔が光りだすのだろうか。
人体って不思議である。
「なん…だ?」
あまりに不思議な状況に、酔っ払い3人組も目が覚め始めたみたいだった。
しかし、彼らより先に、アンネローゼは気が付いた。
ゲオルグの顔が光っているんじゃない。
ゲオルグの周りが、急激に光っているんだ。
ちょっとまって、これ聞いたことある。
「魔術……」
――魔術。
それは魔力と呼ばれる体内の特殊なエネルギーを使い、超常の力を扱う技術。
アンネローゼのいた王国ではさほど有名ではなく、アンネローゼも「ふ〜ん、そんなのあるんだ。植物を生やす呪文はないの?」などと完全に胡散臭いおまじない扱いしていた。
しかし、ここは天下のラヴォワ皇国。大陸随一の巨大国家では、もちろん魔術はメジャーであった。
そして、ゲオルグ・フォン・ラヴォワ。
そんな魔術オンチのアンネローゼですら、聞いたことがある。
魔術は主に、基本属性と呼ばれる火・風・水・土の属性から成り立っているらしい。
しかし、まれにその枠組みに収まりきらない怪物が出てくるという。
アンネローゼは思いだしていた。
――『雷光』のゲオルグ。
世界でも珍しい、雷属性を操る天才。
ゲオルグがにっこりと笑う。
どうしよう。めっちゃ嫌な予感がする。
やめてください。ワタシ、イケメン、笑顔、怖い。
と、馬鹿なことを考え始めたアンネローゼと同様に、目の前の男たちも流石に何かを感じたようで、後ずさり始めた。
「さぁて……お仕置きの時間だ」
「いや何が――」
ゲオルグが指をぱちんと鳴らした瞬間。
――アンネローゼの目の前は、真っ白い光に包まれた。
「あばばばばばばば……」
(うっそでしょ………)
アンネローゼは素直にドン引きしていた。
目の前には、甘い笑顔ではにかむ皇子。
「アンネローゼ。君を屋敷に閉じ込めておこうなんて、愚かな考えだったよ。悪かった。たしかに君はそういう人だったね。誰よりも優しく誰よりも強い。自分が傷付くのも恐れずに」
ゲオルグの真剣な目が、アンネローゼを見つめる。
いや、大丈夫です。頼むから私にスローライフをお与えください、とアンネローゼは密かにツッコんだ。
「これからも君は、自分が傷つくのも構わずに、挑んでいくんだろう。君がどうしてもそうやっていきたいというのであれば、僕も一緒に立ち向かおう。君を守るのではなく、君と一緒に戦わせてくれ」
「一緒に戦う……?」
アンネローゼは恐る恐る当たりを見回した。
辺りの様子は、すっかり様変わりしていた。
なんということでしょう。
先程まで人々の視線を遮っていたレンガは跡形もなく消し飛び、すっかり見晴らしがよくなっているではりませんか。
きちんと舗装された道路も、真っ黒に衣替えをしている。
とんだビフォーアフターである。
「あぁ、君と一緒じゃなきゃ僕は勝てない」
このパワーで勝てない?
アンネローゼは心底恐怖を感じた。
どう見たってやりすぎである。いくら婚約者が酔っ払いに絡まれていたって、路上を消し飛ばしていいわけがない。
このイケメンは何がしたいのだろうか。
ひょっとして世界征服でも企んでいるのだろうか。
「アハ、アハ……。アハハハ」
煌めく皇子。気を失っているナンパ男たち。
そしてすっかり様変わりした通路。
アンネローゼは笑顔を浮かべたまま、思考を放棄することにした。
(う~~ん、もうめちゃくちゃ★)
本日のアンネローゼ様
→「逃げて!」と言うヒロインっぽいムーブをかましてしまう。