19.お気楽令嬢は、お怒り皇子に会う
アンネローゼは裏市を抜け、中心部の方へと移動していた。ようやく辺りも明るくなってきて、もう危なさそうな人はほとんど姿を消している。
もちろん、あの薄気味悪いネックレスは外してある。さすがに裏市を抜けたら外しても罰は当たらないだろう。
アンネローゼだって老婆を師匠だと思っているが、それは老婆の頭脳に敬意を表したからであって、いくらなんでもあの工作センスはひどすぎである。
あまりオシャレに興味がないアンネローゼでも思わず2度見、いや3度見してしまうほどの激ヤバネックレス。
いっそ”これまで何人も呪い殺してきた”いわくつきのネックレスと言ってくれた方が、まだ気が楽である。
なぜ、幸運のネックレスにこんなわけのわからない呪文のようなものが書かれなくてはいけないのか。理解に苦しむ。
まあ、取り合えず屋敷に帰ったら、どこか人の目につかないところぶち込んでおこう。
アンネローゼは誓いを立てた。
リタなんかに見つかって「アンネローゼ様は、このようなネックレスがお好きなんですね! 素敵なご趣味です!」とか騒がれたら、一巻の終わりである。
あのリタだったら、老婆を見つけてこのインチキネックレスを大量購入する、というのも考えられる。
そうなったらどうなることか。
屋敷のみんなが付けだし、最終的にはゲオルグまでもが、このネックレスにハマってしまうかもしれない。
今を時めく皇国のイケメン皇子おすすめのネックレスともなれば、皆がこぞって付けだすだろう。
そうなったらこの世の終わりだ。
この国は胡散臭いネックレスに支配されてしまう……。
王国とはまた違った方法で、皇国もめちゃくちゃにしてしまうのだけは、絶対に避けたかったアンネローゼは、この恐ろしいアクセサリーを永遠に封印することに決めた。
そんなことを考えつつ裏路地を進んでいると、ついにがやがやと人の声が聞こえ始めた。
(よし、もう少しで、大通りにたどり着ける!!)
そこまで来れば今日の冒険も終わりだ、とアンネローゼが思った瞬間。
「なあ、姉ちゃん。俺らと遊ばない?」といういかにもチャラついた声がアンネローゼの耳に届いた。
ぱっと顔を上げる。
目の前にはにやにやと笑う三人組。
仕立てのよさそうなシャツを着ている。おそらく貴族の令息だろうか。
「な、なんでしょうか……?」
「君、かわいいからさ。俺らが遊んであげるよ」
相変わらずにやにやと笑う男たち。
それに、アンネローゼの嗅覚は察知した。
(うわっ、酒くさ!)
アンネローゼは後退しながらげんなりした。
別にアンネローゼだってお酒が嫌いではない。
優雅な木のロッジでしっとり寝かせたワインをいただく――という夢もあるが、こんな街中で他人にダル絡みするような飲み方は嫌いであった。
「なあ、いいことしてあげるぜ」と真ん中のリーダー格らしき男が言うと、周りがはやし立てる。
「い、いいことって何でしょう……??」
さすがのアンネローゼでも、この場合の『いいこと』が農作業や、動物を戯れることではないことくらいわかる。
つまり、この男どもは……アンネローゼをナンパしようとしているのだ。
「心配しなくてもいい。僕はこう見えても結構な名家でね……もちろんお金だけじゃない」
アンネローゼはぺらぺら喋る真ん中の男から距離をとった。
――そうだ。こいつをぺら男と名付けよう。
訂正。
アンネローゼは、ぺら男から距離をとった。
でも、あいにくアンネローゼのすぐ後ろは壁だった。
裏路地は狭い。
ぺら男は相変わらず喋りながら距離を詰めてくる。
「そう。いと慈悲深き『聖女』、第二皇女ヴィルヘルミナ様からその功績を認められた名家だ。ヴィルヘルミナ様が次期皇帝に冠せられれば、更なる栄達が見込まれるってわけで……」
「はあ」
この時、ぺら男にとって不幸な点が2つあった。
まず酒に酔っていた彼は、こんな夜更けに一人で歩いていたアンネローゼのことを、そこまで身分が高くない女だ、と思い込んでしまっていた。
さらに、ぺら男は酒に酔っていたがゆえに、気が付かなかった。
――ぺら男の真後ろに、絶対零度の表情で彼を見つめる男がいたことを。
「やあ、アンネローゼ。こんな夜更けに何をしているのかな? ぜひ、僕にも教えてほしい」
思わず酔いがさめそうなほど冷たい声が、裏路地を切り裂いた。
「うげっ!」
アンネローゼは口をあんぐり開けた。
いるはずもない人物がそこにいた。
だって、皇国の皇子ともあろう人が、こんな夜更けにここにいるはずもなく、
「ゲオルグ……さん?」
しかし、ひと月ぶりくらい見るゲオルグ殿下は、声とは裏腹に非常に楽しそうだった。
「楽しそうだね。僕も、混ぜてくれないかな?」
なんか、めっちゃ怒ってそう。
アンネローゼはペラ男たちを挟んで、恐る恐る聞き返した。
「お、怒ってます……?」
「嫌だなあ、アンネローゼ。僕が怒っているわけがないだろう」
そう言って楽しそうに、ハハハっと笑い声を上げる皇子。
不気味なくらい、上機嫌である。
アンネローゼは思った。
それ、完全に怒ってる人しか言わないやつじゃん……、と。
本日のアンネローゼ様
→外を出歩きすぎて、婚約者をめちゃくちゃ心配させる