15.熱血メイドは、主の苦難を語る(2)
「そんな……しかも、人の前で……?」
テオドールは、にわかには信じられなかった。
婚約破棄というのは繊細な問題である。
ふつう、人に見られないところでこっそり話を進めるものだ。
それでもいろいろ、噂をされるものだが。
それを人前で行う。
すなわち、一生烙印を押されたに等しい。
――貴様は妃として不要だ、と大勢の前で言われたに等しい所業。
「それでもね。アンネローゼ様は、じっと相手の言い分をお聞きになっていたそうよ」
「嘘だろ……」
そんなことをされて、相手の言い分を聞く……??
どこまで自分を犠牲にするんだ、とテオドールは呆然としていた。
テオドールだって裏切られたことが何度もある。
でもその度に絶対に仕返しをしてきた。
――だからこそ、奪われたら奪い返せばいい、と思っていたのだが、
「しかもね。アンネローゼ様はずっと浮気をされていたらしいわ。何年間も。
それでもアンネローゼ様は『王太子様を信じています』って言って、寂しそうに微笑んでいたらしいの」
そう話しているリタも気持ちが入ってきたようで、その眼には涙が光っていた。
「……あり得ない」
テオドールは絶句していた。
浮気。
テオドールも聞いたことがあった。
浮気を苦にして自殺してしまった令嬢の話などは、演劇でも何回か見たことがある。
それほどに重い、裏切り。
それを何回も繰り返される?
考えただけで、頭がおかしくなりそうだった。
実際のところ、アンネローゼは浮気相手が増えるたびに、「よっしゃ。スローライフ資金が貯まるぞ!」とウキウキで慰謝料を計算していたのだが、そんな事実に2人は気が付かない。
「そうよ。浮気は言わば、"魂の殺人"。聞いたところによると、アンネローゼ様は10数回以上、浮気をされていたらしいわ」
リタも涙ながらに続ける。
「つまり、アンネローゼ様は婚約者に10数回以上、殺され続けているんだわ!!!!」
――冷静に考えると、別に魂の殺人というのはあくまで比喩、例えであって、実際アンネローゼが殺されているわけではなかったが、リタはもう完全に自分の謎計算を信じ切っていた。末期である。
「そ、そんな……10回も殺されるに等しい所業を」
テオドールの視界がぼやけ、歪む。
「そして、そんな最中、お嬢さまを普段から慕う令嬢の方々が一斉攻勢に出たわ。その結果、アンネローゼ派の勝利。
でもね、お嬢さまはまだ国に帰っていないの。その意味、わかる?」
「まさか」
テオドールは震えた。
「自分よりも、国を案じて?」
ええ、というリタの表情は固い。
「そう言う人なのよ。誰だって居心地のいい祖国に帰りたいはず。でも、お嬢さまは自分がいると争いの種になるかもしれないと思って……!」
実際は、アンネローゼは暴れ馬のように反旗を翻す自称「アンネローゼ派の令嬢」にビビりまくって、皇国に逃げてきたのであるが、内心を知らないリタはこのように思い込んでいた。
とても末期である。
「うそ……だろ」
――さらに、最悪のタイミングで、テオドールの才能が発揮されてしまった。
テオドールは幼少の頃から、自身の外見と、人の心に入り込むという才能でこれまで生き残ってきた。
誰だって好きな相手には、ついつい甘くなる。
従者として、盗難なんてバレたら一発で終わりだったが、主人の心に入り込み、好かれることで事なきを得てきたのだ。
そして、そうやって好かれるために、テオドールは、常に相手の考えることを予想していた。どうやって接したら好かれやすいのか。徹底的に相手のことを想像して、相手の心に入り込んできたのである。
つまり、テオドールは一般の人間よりも、遥かに感受性や想像力が高かった。
すなわち、ここにきて、テオドールの脳内では、アンネローゼの受けた苦痛を誰よりも強く痛感してしまった。
もちろんアンネローゼ本人は元婚約者の王子のことなんて、慰謝料を払ってくれる「お財布」程度にしか捉えてなかったが、テオドールにとっては、“愛していた相手に裏切られてもなお、相手を慕う慈愛に満ち溢れた儚い少女”というわけのわからない誇大妄想が誕生してしまっていた。
「しかもね、アンタ。なんでアンネローゼ様が一般的なマナー教育じゃなくて、あんな勉強を教えてくれてたんだと思う?」
たしかに、ずっとテオドールは疑問に思っていた。
経済や投資、世界の地理や自然の勉強にサバイバルの技術。
アンネローゼの勉強は、どれも従者とはあまり関係があるようには思えなかった。
「あれはね。アンネローゼ様があなたのためを想って、勉強計画を建ててくれたのよ。
あなたが過去に囚われているって知っていたからこそ、あえてアンネローゼ様は、幅広く世界を見ることのできるような勉強計画を建ててくださったのよ!!!」
リタが声が、暗闇に響き渡った。
「従者ではない、他の道もあるのよって、あなたに見せてくださったのよ!!! そんな必要も、そんなことをする意味もないのに!!!」
本当はアンネローゼがただ、自らのスローライフに役立てばいいな、と知識を詰め込みまくっていたのだが、そうとは知らないリタには、アンネローゼが敢えて世界の広さを見せようとしていた、という何とも都合のいい解釈が広がっていた。
最後に、終わりとばかりにリタはつぶやいた。
「私は見たわ。お嬢さまが夜楽しそうに、勉強計画を建てていらっしゃったのを。他の誰でもない、あなたのために……」
「そ、そうだったのかよ……」
そう言って、ぼろぼろ涙をこぼしたテオドールが、力無く地面に座り込む。
「お、俺は……あの人に……なんてことを……」
――アンネローゼの言葉が脳裏に浮かぶ。
「テオドール……。私に言ってくれれば……」とアンネローゼは寂しそうに言っていた。
そうだ。とっくに気が付いていた。
自分の中で知らないふりをしていた。見えないふりをしていた。
あれは偽善者の言葉なんかじゃない。
あれは、心の底から俺のことを想ってくれたんだ……。
心から俺を心配してくれてたんだ。
涙がとめどなく、溢れてくる。
「俺は、ずっと復讐に囚われて…………何も……見えていなかった……!!」
テオドールは、無我夢中で叫んだ。
涙が滲んで前も見えないが、夢中で叫んだ。
気が付けば、周囲からもすすり泣きが聞こえていた。
――よくよく聞くと中々抜けのある理論だったが、リタの圧倒的迫力と、それによって醸し出される謎の説得力によって、テオドールの涙腺は完全に崩壊し切っていたのであった。
洗脳完了です()
2022.8.31 リタのセリフを加筆修正