14.熱血メイドは、主の苦難を語る(1)
屋敷を出て、それから2,3軒ほど走った先の街路樹に、テオドールはもたれかかっていた。
辺りはもう暗い。
「はぁ……」とテオドールはため息をついた。
なぜアンネローゼは自分を拒絶しなかったのだろうか。
テオドールの盗難がバレてもアンネローゼは、悲しそうに笑うばかりだった。
貴重な貴金属を盗んだのだ。普通、従者をクビになっても仕方ないのに。
――テオドール……。私に言ってくれれば……、
というアンネローゼの言葉が頭の中をぐるぐると回る。
思わず、「言ってくれればアンネローゼ様が何かしてくれるんですか?」と皮肉めいたことを言ってしまった。
心の整理がつかない。
今まで、ずっと奪って当然だと思っていた。
主人にお世辞などでいい気にさせ、心を許してくれたところで貴重品や情報をくすねる。
ずっとそうやって生きてきた。
それなのになぜ、あの人は平気でそれを許すのだろう。
気が付けば、恥ずかしくなって、無我夢中で屋敷を出てしまった。
薄暗い中で、しばらくぼんやりと考えていたテオドールだったが、しかしその思考は、荒々しい足音で中断された。
「テオドール。こんなところにいたの?」
周りを囲むのは、見知った顔。屋敷の使用人たちだった。
「……何か御用ですか。盗難の件なら、どちらにせよ辞めますよ」と投げやりに返したテオドール。
しかしその言葉は、リタのあまりの剣幕に中断された。
「今はそれどころじゃないのよ!」
リタが、遮るようにして叫ぶ。
「アンネローゼ様は、金のネックレスを探しに行かれたのよ!!」
「……は?」
予想外の言葉に、テオドールはしばし理解が追いつかなかった。
「僕の母のネックレスですか?」
「それ以外にないでしょう。アンネローゼ様は、わざわざあなたのために母君のネックレスを探しに行かれたのよ……」
「それはご苦労なことですね」
でも、くだらない、とテオドールはリタの顔を見ずに返事をした。
「どうせそのネックレスは見つかりませんよ。僕が今まで何もしなかったと思います? 僕だってずっと探していますよ。今更、そんな偽善者ぶって急に横から探されたところで――」
そもそも何の苦労もしていないご令嬢のお遊びだ、と思って揶揄したテオドール。
が、
――ガッと鈍い音が響いた。
瞬間、頬に衝撃が伝わり、気がつけば、テオドールは地面に倒れ込んでいた
リタが、思いきり頬を殴り飛ばしていたのである。
「ふざけないで! アンタあれだけアンネローゼ様に恩を受けておいてよくそんなことが……」
「いってぇっての」
殴られたテオドールも頬を抑えながら立ち上がる。
「よくもやってくれたな」
「あら。その媚びへつらった感じも、素じゃなかったんだ」
「けっ」
あくまで、媚びへつらっていたのも、アンネローゼに気に入られるためだった。
主人にさえ気に入られてしまえば、後は盗難でも何でも好き勝手できる。
今までの主人は、たいていテオドールを見逃してくれたり、気が付かなかったふりをしていた。
でもここまで大事になってしまった以上、もはや隠す必要もない。テオドールは目の前の侍女を睨みつけた。
「何が悪い? 盗難のことだったら、返せばいいだろ。俺は生まれが貧民なんだよ。母も早くに死んだ。唯一の財産だったネックレスもどこかに消えていた。全部奪われたに決まってる!!
わかるか? 俺は奪い返してやるんだ。どうせあの女だって何も知らずにのうのうと――」
そう言いかけたテオドールは、言葉を失った。
目の前のリタの、あまりに強い目線に射抜かれて。
「テオドール。勘違いしているあなたに一言だけ言ってあげるわ。
あなた、自分をわかってくれないってさっきからわめいてるけど、逆にアンネローゼ様の何を知っているの?」
「そんなこと……」
知らねえよ、と言いかけたテオドールだったが、またしてもリタの射貫くような視線に答えざるを得なくなっていた。
「俺がうわさで聞いたのは……ゲオルグ殿下が外遊していた時に連れてきたってことくらいしか……」
それくらいは、屋敷にいたときから耳にしていた。
だから、てっきり、美人だから見初められたのだろう、とテオドールは思っていたのだが……。
それを聞いて、はぁ、とリタがため息をつく。
「アンネローゼ様とゲオルグ殿下が会った時、アンネローゼ様は、お相手の王子に婚約を破棄されているところだったのよ。しかも衆人の前で」
「……は?」
――ここで、行き違いがあった。
万年スローライフのことしか考えていないアンネローゼにとっては、「みんなの前で婚約破棄されたら、慰謝料がいっぱいもらえるかな」くらいのノリであったが、従者として、無駄に貴族社会での経験もあるテオドールにとっては、婚約破棄というものがどれほど重いものなのかよくわかっていた。
婚約とはただの契約ではない。そして相手が王子なら、もはや国家レベルの問題なのである。
それを破棄されたということは、年頃の令嬢にとってどれほどの苦痛か、どれほどの屈辱か。
いわば、衆人の前でされる『公開処刑』
「そ、そんな……」
力無く、テオドールはつぶやいた。
――アンネローゼが聞けば鼻から紅茶を吹き出してしまいそうなとんでも話が今、リタの手によって幕を開けようとしていた。