13.お気楽令嬢は、「瞬間記憶能力」など知らない
「えっ」
(この子、正気……!?)
というのが、嘘偽りあらざるアンネローゼの本音であった。
一応、自分は客人である。屋敷の使用人はみな、ゲオルグに仕えていて、アンネローゼの世話をしていると聞く。
自分で言うのも恥ずかしいが、こっちは、君の主人の婚約者だよ???? 一番丁重に扱わなきゃいけないんじゃないの????
ところが、このメイドはそんなか弱い乙女を非合法な場所に1人で行かせようとしているらしい。
さっぱり意味が分からない。
とはいえ、一応言い訳だけは聞いてあげるか、とアンネローゼは説明を求めることにした。
「え、なんで?」
「いやですから……3手に別れてしまったら、誰がテオドールを迎えに行くんですか?」
心底不思議そうな表情でこちらに訊き返してくるリタ。
「それほど遠くには行っていないと思いますが、もう日はとっくに暮れています。誰かが迎えに行かなくては危ないですよ」
「うん。まあそれもそうだけど」
思わず納得しそうになったが、いや待てよ、とアンネローゼは思い直した。
「ちょ、ちょっと待って。それはおかしくない?? たしかに危ないかもしれないけど、私は??? 私は1人でいいの?」
そう。
従者テオドール君が夜遅くその辺をほっつき歩いているよりも、こんなうら若き令嬢がそんな評判の悪い裏市場に行く方がよっぽど問題があると思うんだけど……。
この子の思考回路はどうなっているんだろうか。
そろそろマジで普段何を考えているのか聞いてみたいな、とアンネローゼは思った。
完全にメンタリティが狂人の類である。
アッハッハッハ、とリタちゃんが笑う。
「もうアンネローゼ様って本当に面白い方ですね。”神の頭脳”は、ユーモアもあるなんて……」
だいたいその”神の頭脳”とやらはいったい何なのか。絶対、噂を突き止めてみせる、とアンネローゼは自分の胸に誓った。
その噂のせいで、今自分はとんでもない目に巻き込まれている。
そのうわさを流している人間をとっちめてやりたい。
いや、ほんと切実に。
「だって、邪魔じゃないですか」と爆笑しすぎて涙をふくリタが言う。
「な、なにが……?」
邪魔の意味がさっぱり分からない。
もしかして、アンネローゼの出身地であるクレイン王国とラヴォワ皇国では、”邪魔”の意味合いが違うのだろうか。
文化交流って難しい。
「アンネローゼの様の噂は聞いております。頭脳明晰。圧倒的知性」
「うん?」
「となれば、きっと素手での戦闘もなんかいい感じにこなせるに違いありません」
「えっ、こわぁ……」
――これが噂の怖い部分である。アンネローゼの広がる噂には尾ひれがつきまくってとんでもないことになっていた。
いつ自分が素手で喧嘩をしたことがあるのか。いやたしかに、その辺の棒を拾ったりして遊んだことはあるよ????
でもその程度よ????
しかし。
「ではアンネローゼ様、御機嫌よう」と表面上和やかな感じで使用人が各々別れていく。
「いやいやいやいや」
――が、
アンネローゼは密かに隠し持っていた地図の感触を確かめていた。
(とはいえ、甘いわね……クックック)
これはさきほどの作戦相談時に、リタが場所を説明するときに使っていた大きめの地図である。それを極限まで折りたたんで、アンネローゼは隠し持っていたのだ。
アンネローゼだって馬鹿ではない。誰が好き好んでそんなところに行くのか。
そう。
むざむざ、そんなやばいところに行く必要なんてない。
うら若き乙女は地図を頼りに、その辺の安全そうな場所でほっつき回るとしよう。
と、ここまで悦に浸っていたアンネローゼだったが、リタの眼がギラリと光った。
「ああ、アンネローゼ様。地図お返しいただきますね」
そう言うと、さっとリタの手が一瞬消えた。
「え??」
――うっそでしょ……。
アンネローゼが一瞬、目をつむった瞬間。その一瞬の後に、目の前のリタの手には、アンネローゼが隠し持っていたはずの地図が握られていた。
とてつもない早業である。
「ず、随分器用なんだね……」
「えぇ。昔の経験で……」と恥ずかしそうにリタがうつむくが、アンネローゼとしては恐怖でしかない。
目にも止まらぬ早業。
昔の経験でどうこうなるレベルの話ではない。今のは完全にプロの手口である。
泥棒か何かかな?
アンディさんと言い、こんな激ヤバな人たちをどうして屋敷に雇っているのだろうか。
アンネローゼは、そろそろゲオルグの良識を疑い始めた。
あの男の人を見る目はいったい、どうなっているんだ、と。
「いやでも返してほしいかも。ほらだって、私、今回初めて屋敷から外に出ることになるし……」
いけいけ、私。
ここで押さなきゃ誰がやる。
絶対に、絶対に地図だけは――、
「はい? でも、お嬢様は、”瞬間記憶能力”をお持ちなのではなかったでしたっけ」
へ?
おお、なんだか。また、危ない単語の出現である。
「な、なに能力って……?」
そんなもん知りません!!
知りませんったら、知りません。
ところが、そんなアンネローゼの必死の抵抗にもかかわらず、リタは相変わらずぺらぺら喋り始める。
「やっぱアンネローゼ様は凄いですよね。一度見たものをすべて完全に記憶できるなんて羨ましいです」
へぇ~、初耳だ。
なるほど、そんな便利能力が私に備わっていたのか。
その割にはアンネローゼの頭脳はしょっちゅう大事なことを忘れまくっているような気がする。
「ちなみに誰からその話を聞いたの……?」とアンネローゼはビビり散らかしながら聞いた。
「もちろん、殿下です」
リタが羨ましそうな顔をして言う。
「殿下は大層アンネローゼ様のことを褒めていましたよ……。ちょっと恥ずかしがって、面と向かっては言えていないみたいですけど。
ほら、以前アンネローゼ様が、一発で武装勢力の位置を割り出した事件があるじゃないですか。あれで、殿下は確信したらしいです。アンネローゼ様はきっと"瞬間記憶能力"を持っているに違いない、と。だからこそ、地図をパッと見ただけであんな芸当ができるんだって」
「本当に殿下もお顔に似合わず、シャイな方ですよね~」というリタの言葉が、するするとアンネローゼの耳を通り抜けていく。
「あ~~~~」
息を吸う。深呼吸。
――あの、くそイケメンがぁぁぁっぁぁっぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!
あぁ、なるほど、とアンネローゼはやっと納得した。
やはり、あのイケメン皇子こそが諸悪の根源なのだ。
そういえばアンネローゼの苦難も、あの皇子に会ってから始まった。多少居候生活をさせてくれるか、と思えば、これである。
覚えていろ。絶対に次に会ったときは、婚約破棄を叩きつけてやる。
やはり当初の予定通り、婚約破棄こそが先決だったのだ。
「ではご武運を、アンネローゼ様」と理解できないほどノリノリなリタをアンネローゼは呆然と見送った。
自分で状況をこんなにややこしくして、「ご武運を」なんてよく言えたものである。
逆に凄い。見習うべき精神力かもしれない。
気が付けば、屋敷にはだれ1人おらず、辺りは真っ暗。
「さあて!!」と叫んで、アンネローゼは思いっきり伸びをした。
「よし!! 瞬間記憶能力の練習でも!! しようかなっ!!!!!」
――もはや、ヤケクソなアンネローゼだった。
新しい短編を投稿しました~。
「皮肉屋公爵と無表情令嬢~宿命のライバルと評された両家の次期当主同士が契約結婚をした場合~(https://ncode.syosetu.com/n7540hr/)」という作品です。
もしよかったらぜひぜひ