12.お気楽令嬢は、たった1人で行くらしい
「よし、もう早くいきましょう。なるべく早く」
これ以上この事態に関わりたくなかったアンネローゼは、屋敷の前に集まった使用人にそう呼びかけた。
――こんなイカれた連中に付き合っていたら、こっちの体力が持たない!!!!
せっかくアンネローゼ派とかいう謎の連中の魔の手から逃れた、と思ったのに皇国に来てもこれである。
「そのうちお祓いにでも行こうかな……」
遠い目をしながらアンネローゼは誓った。
ラヴォワには聖教会というものがあり、お祓いをして悪い霊やら何やらを祓ってくれるらしい。
絶対に自分には、スローライフを阻害するような霊とかが憑いているに違いない。もう事態はこれ以上こじれることはないはずだが、さっさと楽になりたいものだ。
「では、アンネローゼ様」
「ハイハイ」
「それぞれ準備ができたようです。手分けをして探しましょう」
「そーですね」
もはやヤケクソ気味だが、ここでわずかな希望が見えてきた。
あれ?
なんだ、まだ挽回可能じゃないか。
確かに、そんな非合法バリバリの場所なんかには死んでも行きたくはないが、まあ大人数で行くなら悪くない……ように思えてきたのである。
「そ、そうだ……!」
俄然、アンネローゼの身体に力が戻る。
そうは言っても、アンネローゼはそれなりに地位のあるお嬢様のはず。皇太子殿下ゲオルグの婚約者ということは、それなりに偉いはずである。
そんな他国から来た重要人物を放っておくわけがない。きっと、使用人の中でも強い人たちで固めてくれるに違いない。
――いける。これはいけるぞ!!
アンネローゼは生まれて初めて、あのイケメン皇子に感謝した。
この前急に抱き着かれたときには、羞恥心のあまり泡を吹いて気絶してしまったが、今度会ったら感謝してあげよう。お菓子の1つくらい上げてもいいかもしれない。
「では、第1市場ですね! ここラヴォワ城から最も近い地点は、高級店が立ち並んでいます。そこには、執事アンディを中心にしたメンバーを向かわせます」
「あ、アンディさんもいるんだ!?」
おお、またしてもいい風が吹いてきた。
この屋敷の執事で、癒し系のおじいちゃんだったアンディさん。
「執事」というのは、数いる家事使用人の中でも最上級の職種の一つであり、従者を長年勤め上げた者が昇格する、という立派な役職である。
しかし、アンディさんはそんな役職には似合わない、いつも白髪の腰が低い優しいおじいさんで、アンネローゼもよく話しかけていた。
アンネローゼだって、アンディさんが1回も怒鳴ったところを見たことがない。
明らかにまともなタイプである。
あれだけ年がいってたら、それなりに落ち着いているはず。
つまり、リタやほかの若い使用人のように、暴走する危険性が低い、と考えられるのだ。
アンディさんの特技は、皿を一度にたくさん持てることで、今朝だって、皿を一気に10枚くらい持ってきたアンディさんにアンネローゼは、「すごい!」と拍手したものだった。
そう。
なんというほのぼのとした人だろうか。
「よ、良かったあ。まあ、アンディさんならまだマトモでしょ……」と言いかけたアンネローゼは、思わずアンディを探した。
あたりを見渡すと、ちょうど白い髪の毛に上品そうなベストを着た品のよさそうな老人が立っていた。
そうそう。これこそアンディさんである。
「ああ、アンディさん。いた……」
――違和感。
そう言って、手を振りかけたアンネローゼは、何となく違和感を感じた。
なんだろう。
いや、一見おかしいところはどこにもないような気がするが……。
だってそうだ。
いつものように優しそうな笑みを浮かべたアンディさんは、いつも通り、その手に10本のナイフを持って……、
「は?????????」
アンネローゼは慌てて目をこすった。
見間違いではない。
なんということでしょう。
アンディさんは、
「ふふふ、こんな面白いことが起きようとは……。長生きをするもんですなあ……。若いころの血が滾ってくるようです」と言いながら、10本のナイフを巧みに操っている。
「えっ」
十枚の皿の代わりに。
周囲は「アンディ様もやる気のようですね!」だの、
「うぉぉぉぉ!!!かつて、城に忍び込んだ十数人の暗殺者の集団を返り討ちにした、あの武勇がまた見れるのか!」だの大盛り上がりしている。
――血が滾るって何ですか????
もとはと言えば、ただちょっと反抗的な少年を連れ戻すだけのお話に、なぜ「血」とか「暗殺者」という不穏ワードがあふれ出てくるのだろうか。
うん。
もう諦めよう。きっと優しいアンディさんは朝、アンネローゼに食事を提供したあとどこかへと言ってしまったのだ。
きっと里帰りかなんかだろう。
うん、多分そうである。そうに決まっている。
ありがとう、アンディさん。あなたのことは忘れません。
「では、アンネローゼ様こんな感じでいかがでしょうか?」
つかの間のアンディさんショックからアンネローゼを立ち直らせてくれたのは、リタの声だった。
「執事のアンディが高級店の方へ。コック長のミハルが郊外の方面に、それぞれ使用人を引き連れていきます」
ああ、なるほどね。
つまり、最後に残ったリタが、この場合、アンネローゼと共についてきてくれる、ということだろう。
まあ、いないよりはましである。
というか、そもそもこの事件をここまで大きくした元凶なのだから、リタだけは自分と一緒にその危険地帯に来てもらわなきゃ困る。
「そして、私、リタは――」
「はいはい。"裏市場"でしょ? 分かってるわよ。さっさと行きましょ」
「ん? お嬢さま。一体何を仰っているんですか?」
「何って何よ」
「いやですよもう」とリタが笑った。
それはそれは、いい笑顔で。
「私が行くわけないじゃないですか。お嬢様一人で行くんですよ」とリタが気持ちのいいくらい、きっぱりと言いきった。
「んん?????」
主の心情を一切考慮しない系メイド、リタ。
2022.8.31 アンディさんの役職を、家令→執事に。合わせて加筆修正