9.お気楽令嬢は、余裕をこいてる
「さて、アンネローゼ様。皆の準備ができました。早速、作戦に取り掛かりましょう!」
そう言って、やけにハキハキ喋るのはリタ。
アンネローゼはそれに対し、「はぁ……」と心底やる気のなさそうな声で答えた。
「リタって結構話すタイプなんだね」
アンネローゼ的には、もうちょい大人しいかと思っていたのに……。
真実とは、時に残酷である。
そもそも、どこからどう見たってアンネローゼが全く乗り気ではないことに、なぜ気が付かないのだろうか。
「準備……ねぇ」
まあいい。
確かに認めよう。アンネローゼは劣勢である。
しかし、このアンネローゼをなめていただいては困る。
そう。
アンネローゼだって人間だ。日々進化しているのだ。
この前のような悲劇――たった1回の婚約破棄で王国をめちゃくちゃにしてしまったという惨劇をもう起こすわけにはいかない。
王国でも騒動を起こして、皇国でも騒動を起こしたら、もはや完全に自分が原因である。
しかも、王国は曲がりなりにも十数年過ごしていたのに、皇国には約一か月しか滞在していない。
約一か月で皇国をめちゃくちゃにするのは、あまりにも早すぎである。
(がんばれ自分。ここが踏ん張り時だ!!!)
アンネローゼは必死に気合を入れた。
*****
アンネローゼ邸一階にある大広間。来客用の大きな部屋で、アンネローゼは使用人に囲まれていた。
目の前には、なぜかわからないが、異様にイキイキし始めた赤毛のメイド――リタがいる。
「では、アンネローゼ様は、どちらに行かれますか?」
「本当はどこにも行きたくないんだけど……」
「ははっ。もうアンネローゼ様ったら、こんな時もお茶目なんですから」
アッハッハッハ、と周りで笑い声が広がる。
どうやらここの使用人はアンネローゼの発言を冗談だと捉えているらしい。
お茶目なのは、君たちの頭の方じゃないか、と一言文句を言ってやりたくなったが、アンネローゼは我慢した。
というか、もはや諦めたに近い。
しかし、完全にアンネローゼだって諦めたわけではない。
まあ、つまり、こういうことである。
目標に向かって爆走する使用人たちを正面から止めようとしても無駄だろう。
そう。お気づきだろうか。
――正面から止めなければいい、というだけの話である。
この野生の暴れ馬のような連中のルートをそっと変えてやることで、この場はうまいこと収まり、アンネローゼは再びスローライフに集中することができる、という筋書きである。
「ではどうぞ」と、アンネローゼの目の前に出されたのは、1枚の大きな地図。
都ランゴバルディア全体が書き記された地図には、大きく3つの赤い丸が付けられていた。
「この赤い丸は?」
アンネローゼはなるべく穏やかに問いかけた。
「この赤い丸は、それぞれ貴金属を多く扱う市場の場所です。金や宝石などを扱っている店が集中している場所なんですよ」とリタが説明してくれた。
「テオドールが記憶していたというほどの立派なネックレスであれば、おそらくこのどこかには流通したことがあるか、と」
「ああ、聞き込みってわけね?」
おっ、とアンネローゼは密かにガッツポーズをした。
なんか、思ったより余裕そうでは……?
アンネローゼとしては、皇都中の貴金属店に乱入して金のネックレスを奪いつくす、くらい言われるのかもしれない、と恐れおののいていたのだが、案外普通であった。
さすがにそんな荒くれ盗賊みたいな真似をする気はなかったらしい。
「なんだ、よかった」
安堵の気持ちから、ちょうど緊張もほぐれてきた。
よかった。やっぱりこの前のような状況――自分の婚約破棄で祖国が崩壊したというのは、あくまで例外なのだ。
『神の頭脳』? とやらを期待しているみんなには悪いけど、このまま大人しく終わらせるとしよう。
「さて」
今回はとりあえず聞き込みをすればいいだけだとわかって、アンネローゼは地図上の場所を吟味し始めた。
どれにしようかな~。
1つ目の赤い丸は、この屋敷からも近く、つまり中心部から一番近い。
2つ目は、城からめちゃくちゃ遠く、ほぼ都ランゴバルディアの端っこである。
3番目の丸は、ちょうど中間くらいに位置している。
アンネローゼは考えた。
1番目の場所のメリットは、すぐにたどり着けることだろうか。
反対に心配なのは、屋敷に近すぎることだ。中心部には高位の貴族がわんさかいる、と聞いている。ゲオルグも最近、皇位継承問題で忙しいらしいし、また何か問題を起こして、迷惑をかけるのは申し訳ない。
3番目の丸は、逆に遠すぎである。
これでは、睡眠時間すら無くなってしまうだろう。
となると、だ。
たぶん丁度いいのは、この2番目の丸だろう。
「じゃあ、私はここで!」
アンネローゼは指を差しながら、意気揚々と言い放った。
クックック……どうだろう。この完璧な推測は。
このままうやむやにして、何とか逃げ切れればいいのである。きっと明日にはみんなまともに戻っているに違いない。
今日はきっとみんな体調が悪かったのだろう。
たぶん。
――しかし、アンネローゼはとうに忘れていた。
自分が割とドツボにはまるタイプであることを。
そして、アンネローゼが地図を指さした瞬間、周りの人間が一様に言葉を失っていたことも。
少し遅れてやっとリタが口を開いた。
「お嬢さま。やはりあなたは天才です……」
「もうリタったら。さて、さっさと行くわよ……」
アンネローゼはどや顔で髪をかき上げた。
まあ、この天才アンネローゼにとっては、一番楽ができて適当に過ごせそうな場所を見抜くなんて、ちょちょいのちょいである。
「やはりお嬢さまは、一切恐れなど抱いていないのですね」
恐れ? 一体何のことだろうか?
たかだか、宝石屋に顔を出して話を聞くだけなのに、なんでこの天才アンネローゼがビビらなくてはいけないのか。
大した実力もないくせに、自己評価だけは甘いアンネローゼは、よせばいいのに「もちろんよ」とどや顔で答えた。
「素晴らしい……」
もう一度、リタがうっとりした表情で言う。
手を組んで祈るような形でアンネローゼをうっとり見据えている。
「ん?? なにが???」
「本当にお嬢様には、頭が下がります。確かに、テオドールの母君は切羽詰まっていた、と聞いています。
そうなれば、中心部の高級店や、郊外の市場よりも、手っ取り早く換金しようとするはずです」
いや待てよ。なんか猛烈に嫌な予感がしてきた。
が、しかし。
「あの、やっぱ他の場所にしよっか……」というアンネローゼの抵抗は、興奮したリタが発した衝撃の一言で、粉みじんにされることとなった。
「たしかに、一番換金しやすい場所がありました。
皇都の中でも、最も危険にして、最も莫大な物が取引される非合法市場――裏市場が!」
「ひ、非合法……? う、裏市場……???」
「はい!」
興奮を抑えられないといったリタの前だったが、あまりにも物騒な単語のオンパレードに、アンネローゼは一瞬で余裕など投げ捨てた。
「いやちょっとそれはさすがに――」
「もう、お嬢さまったら!」
が、しかし、時すでに遅し。
リタを始めとする使用人たちは、「お嬢さまに一生付いていこうと思います!!」などと言って大盛り上がりしていた。
もはやアンネローゼを放っておいて、完全にノリ乗っている使用人の皆さん。
………あっるぇ~?
ど う し て こ う な っ た ?