8.お気楽令嬢は、恨みごとを言いたい
話は若干変わるが、アンネローゼ邸はもとはゲオルグの屋敷で、何でもゲオルグが幼少期に利用していたらしい。
そう。案外、由緒正しい屋敷なのである。
そんな立派なお屋敷なので、アンネローゼ邸にはいろいろな本が山ほどあって、その中には、なかなか面白いものもあった。例えば、アンネローゼのお気に入りは、『使用人の扱い方』という厚い本である。
この本には、使用人をどう扱って屋敷を維持するのか、という方法が事細かに書かれている。おそらく辞書みたいなものだろう。
使用人をたくさん抱える上位貴族は、こういう本を読んで、きっと使用人をどうこき使うのか勉強したに違いない。
アンネローゼも来るべきスローライフ生活のため、人の扱い方を知りたいところだったので、結構楽しく読んでいた。
さて、アンネローゼは、なぜこんなにも関係ない本のことをグダグダ述べているのか。
まあ、要するに、
――ただの、現実逃避である。
「な、なにが始まったの……?」
もうわけがさっぱりついていけなかったアンネローゼは、いやいや部屋を見回した。
屋敷の中は急ピッチでごたごたし始めている。
「皆聞いたわね! お嬢様が動き始めるわ。準備よ」
「いやだから、あの……リタさん……?」
思わずアンネローゼは、相手が侍女だということも忘れて敬語を使ってしまったが、リタさんはくすりと笑って、こちらに振り向いた。
「アンネローゼ様。言われずともわかっています。ここ一か月、お嬢様をお屋敷に留めていました。ゲオルグ殿下の要請ですから」
「そ、そうなの!?」
へぇ~、初耳だ。
アンネローゼ的には惰眠をむさぼったり、好きなだけスローライフに思いをはせたり、従者兼労働力を雇ってみたり、と割と好き勝手していたつもりだが、どうやら自分は幽閉されていたらしい。
新事実、発見である。
「えぇ。殿下はお嬢さまのことをずっと気にかけていました。
自分の勝手な都合で、お嬢さまを連れてきてしまったのではないか、と。殿下の婚約者ともなれば、嫉妬に政争、あらゆる困難がお嬢様に付きまといます。だからこそ、お嬢さまに屋敷を用意し、そこにとどまるようにしたのです」
「だ、だったら別にそのままでもいいんじゃないのかな……」と言いかけたアンネローゼを置き去ったまま、リタが爆速で話を進める。
「ですがもう、関係ありません。お嬢さま――いえ、『神の頭脳』アンネローゼ・フォン・ペリュグリットが、覚悟を決められたのです。自分から動き出す、と。我々には、止める術もありません」
い、意味が分からない。
ついさっきまでは普通に意思疎通できていたリタと急に会話ができなくなっていて、アンネローゼはひたすら絶望感に襲われた。
「あ、あの~。り、リタ様……?」
もはや侍女相手に敬語だが、アンネローゼは気にしない。
気にしないったら気にしないのだ。
「アンネローゼ様。わかっています。お嬢さま相手に、この屋敷という檻はあまりにも小さすぎました」
そういって、リタが目尻に溢れた涙をぬぐう。
「鳥は今まさに狭い籠を打ち捨てて、大空へとはばたく時が来たのですよね。もう誰にも止められません。殿下でさえも。これは、自然の摂理なのです」
「はい??」
こいつは一体何の話をしているんだ、というのがアンネローゼの嘘偽りあらざる本音である。
いや、全然。どちらかと言えば、檻の中でのんびり暮らしたいんだけど……。
主人の決意を知り、美しく泣く赤毛の侍女。
まるで絵画のような光景であった。
「みんな。聞いたわね。アンネローゼ様の言う通り、『時間がない』わ」と辺りを見回すリタ。
「目当てのネックレスは、失われて長い。確かに捜索は難しいわ。でもそんなの関係ない。屋敷にいた時間は短いけど、テオドールは私たちの仲間よ」
皆が頷く。
「テオドールのお母様の形見を探すわ」
――瞬間、屋敷が揺れた。
奮起する使用人たち。リタだけでなく、普段はまじめな人でさえ、熱狂していた。
それを見て、満足そうに笑みを浮かべるリタ。
そんな中、アンネローゼは熱狂の渦で一人「お、終わった……」とつぶやいていた。
うん。何か見覚えのある光景だと思ったら………
どこかで感じたような嫌な予感がしたと思えば………
「あっ」
やっと気が付いた。
「これ、婚約破棄と同じ雰囲気だわ」
あの駄本め、覚えていろ、とアンネローゼは恨みごとを言いたい気分だった。
『使用人の扱い方』には、やる気を失った使用人を再び働かせる方法や、使えない使用人を罰する方法は乗っていたが、こんな状態の対処法までは書いていなかった。
*****
――拝啓、筆者様。
あなたの『使用人の扱い方』という本を読みましたが、少し、本の内容が足りないと思います。
なぜ、「主人の意向を聞かずに暴走する使用人を何とかなだめる方法」や、「主人への忠誠度をちょこっとだけ下げる方法」などを書いて下さらなかったのでしょうか。
これらの内容は絶対に必要です。
おかげで私アンネローゼは、今、死ぬほど困っております。とりあえず次の版では内容を追加しておいてください
アンネローゼより