7.お気楽令嬢は、久々にやばさを感じている
(へぇ、割と頭が回るんだな)
テオドールは感心していた。
屋敷の一室で自分を除いた使用人が集まり、こちらに敵意を向けてきている。常人なら明らかに気まずいはずの光景。
が、
「まあ、こんなことだろうとは思っていましたけどね」
テオドールは余裕を失わずにせせら笑った。
(なるほど。今日急に用事を頼まれておかしいと感じてたけど、そういうことか)
テオドールだってバカではない。
屋敷にきて間もない新入りの自分が、唐突に用事を任される。
そんな状況に違和感を感じた彼は、名ばかりのお使いをさっさと終えて早めに帰宅した。そしたら予想通り、屋敷の居間では自分の行動が報告されていた、というわけだ。
(まあ、ここまでバレるのが早いとは思わなかったけどな)
どうやら屋敷の主人、アンネローゼに報告の機会を作るために、仕掛けられたらしかった。
「皆さんお揃いのようで、どうかしましたか?」
テオドールは、居間に集まった連中を見回した。
「あんたよくもッ!」
赤毛のメイドがにらんでくる。
メイドのリタは、比較的よく仕事を頼まれる使用人の1人だったが、テオドールはそれすら意にも返さなかった。
リタだけでなく、侍女もコックもほぼ全員が、敵意に満ちた目線でテオドールを見てくる。
――しかし。
おや、とテオドールは違和感に気が付いた。
たった1人物静かに佇む人間がいた。
平静を装っているのはただ1人、アンネローゼだった。
「なぜ、こんなことを?」
少し経ち、正面にいたアンネローゼがゆっくりと言葉を紡いだ。
「テオドール……。私に言ってくれれば……」と、あくまで優しげなアンネローゼの声が耳に届く。
だが、
「言ってくれればって、いったい何をしてくれるんですかね?」
そう言って、テオドールはわざとバカ丁寧に聞き返した。
(いるんだよな、そういう偽善者ぶった人間が)
たしかに、アンネローゼは不思議な空気感の令嬢だった。
なぜかアンネローゼは、テオドールがいくら擦り寄っても、いくら「アンネローゼ様はお綺麗ですね」と褒めても効果がなかった。
それどころか、わざわざ、テオドールを憐れんだのか勉強を教えようとしてくるし、なぜか身体を鍛えよう! とかご飯をもっと食べなさい、とわけのわからないことを言う始末。
が、しかし、
(その程度の優しさは甘いんだよ)
そのアンネローゼの優しさすら、テオドールは切って捨てた。
それは、テオドールがこれまで生きてきて、やっと得た教訓だった。
なるほど。たしかに、アンネローゼは優しい、としよう。
ただ、誰だって、裕福で恵まれた生活を送っていればそうなる。
自分のような生活をしてみろよ、とテオドールは心の中で嘲った。
ラヴォワは徹底的な実力主義。
貧民で生まれたテオドールは、文字通り生きるために必死だった。
――自分を産んだ母を最後に見たのは、いつだったか。
その母が残した唯一の財産である金のネックレスだって、いつの間にか無くなっていた。
母の口癖はいつも、「他人のために生きなさい」だった。
その結果がこれだ。
(この世で信じられるのは、自分だけなんだよ)
他人のために生きる、などと甘えたことを言っているから、母は奪われたのだ。
みんなもそうだ。
生きていくために友だって犠牲にした。
孤児院だってあったが、そんなもの利権まみれで話にならなかった。
――生きるためには奪うしかない。
文字通り、テオドールが幼い頃に学んだひとつの教訓。
そうやってテオドールは、ある仮面を付けるようになった。
殊勝に振る舞い、相手の心に侵入する。相手のしてほしいことが瞬時にわかる。
この見た目とこの能力で、今まで自分は登りつめたのだ。
貧民から、貴族の使用人へと成り上がれたのもそのおかげ。
だからこそ、アンネローゼの、何の隔たりもない、単なる優しさを見せられる度に、テオドールの心はささくれだった。
――お勉強しましょう。きっとあなたのためになるから。
――お散歩もいいわね。
自分のような人間とは違う。
それは、最初からすべてを持って生まれた人間のみができる振る舞いだ。
「わかっただろ? 所詮、人間はこんなもんなんだ。母さんだって、他人のことを気にしてるから、あんな目にあったんだよ」
もはや、外行きの仮面を脱ぎ捨てる。
「テオドール……」
アンネローゼの苦しそうな声。
「アンネローゼ様。じゃあ、あなたは僕にいったい何をしてくれるんですか?」
俯き、無言のアンネローゼ。
その姿を一瞥して、テオドールは無言で走り去った。
「待ちなさい!」というリタの声が遠くに聞こえる。
――できるわけがない。
人は自分にしか優しくできない。
そんなの当たり前だ。
「母さん……」
「アンネローゼ様。じゃあ、あなたは僕にいったい何をしてくれるんですか?」
そう言い残して、金属愛好ボーイは走り去っていた。
他にも、なんかむにゃむにゃ「金のネックレス……」とか「形見……」と言っていたが、アンネローゼはよくしゃべるなあ、と思って見ていたので、あまり会話の内容は覚えていなかった。
「まあまあ……、リタ落ち着いて」
あっけにとられるだけのアンネローゼだったが、今にも追いかけんばかりの勢いでブチ切れているリタに呼び掛ける。
ぶっちゃけ、こっちの方が殺気立ってて怖い。
「ほ、ほら……ハーブティーでも入れましょうか?」
とリタをなだめながらも、アンネローゼは冷静に状況を整理しようとしていた。
なるほど。
どうやらテオドール君は結構、人間不信気味なようだ。
きっとテオドール少年は、人間社会にもまれすぎて人が嫌いになり、金属に愛を覚えるようになったのだろう。
まあ、それが悪いとは言わないさ。
いやでも、
(どうしよう。今やめられるとせっかくの育成計画が無駄になっちゃうな〜)
と自分のことを考えながら、アンネローゼは「大丈夫?」とリタに話しかけた。
「ようやく落ち着いたみたいね」
「えぇ……大丈夫です。あの、でもアンネローゼ様。でも、そんなにテオドールを嫌わないでください。ちょっと私も、気持ちがわかるんです」
ん?
「あの子の、気持ち……?」
「ええ。アンネローゼ様もさっきのテオドールのつぶやきを聞きましたよね?」
「もちろん!」とアンネローゼは力強く頷いた。
嘘である。あまり聞いていない。
なんかもにょもにょ言っていたのは覚えている。
「きっとあの子も、苦しんでいるんだと思います。お母様の優しい教えと、それがもたらしたお母様の結果に。だから誰も信じられなくなり、あんな風な生き方をしてきたんでしょう」
お母さん? お母さんの話なんてしてたっけ???
何も聞いていなかったので、アンネローゼは全然ピンと来ていなかった。
しかし、そんなアンネローゼとは反対に、周囲の使用人たちは、あれやこれや、と言い始める。
テオドールをどうやって連れ戻すか、という話だろう。
まあ、たしかに。一応うちで働いているし、すぐ解雇という訳にはいかないのだろう。
「そうねぇ……」とアンネローゼは外を見た。
日は暮れかけており、辺りは次第に暗くなっている。
もう夜ごはんの時間である。いつもより遅めだし、しかもこんなことをやっているせいで、だいぶお腹も減ってきた。
窓の方へ歩いて、それから、バッと窓を開ける。
「お嬢様何を?」と、後ろから疑問の声が聞こえたが、アンネローゼは無視した。
やはり窓を開けてみても外は暗い。
このままだと寝るまでに、
「時間がない……」
アンネローゼは深刻そうな表情でつぶやいた。睡眠までの残り時間。それまでに夕食を終えなければならない。そうでなきゃ気持ちよく眠れない。
ダメだ、早くベッドに行かないと、という使命感。
アンネローゼは口を開いた。
「今日は少し、本気を出す必要がありそうね」
「お嬢様……やはり、動くおつもりなんですね……」
「ん?」
気が付けば、辺りは静まっていた。
皆がかたずを呑んで、アンネローゼを見守っている。
アンネローゼはむずむずした。
「う、動く……とは?」
なんだか猛烈に嫌な予感を感じながら、リタに聞き返す。
やばい。なんかやばいぞ、この雰囲気。
アンネローゼの頭の中では、久しぶりに緊急信号が鳴り響いていた。
「お嬢さま。あなたは優しすぎます……」
「優しすぎる……?」
どういうことだろうか????
優しい???
何が???
早く寝たいのが、優しい………???
「お嬢さま……あなたは、凍てついて人間の優しさを忘れてしまった、少年の心をも救おうというのですね……?」
「え、凍てついて…なに?」
なんかすごいやな予感がした。一ヶ月ぶりに。
「いいんです。言わずとも、このリタはわかっています」となぜか演劇のように大げさな身振りで頷くリタ。
「え? リタ? 大丈夫? 何が?」
「この巨大な都ランゴバルディアで、何年も前に失われた形見のネックレスを探すなど、普通の人ならば不可能だ、と笑うでしょう。しかし、できるはずです」
リタがぱちん、とウインクをした。
「我々には、かの『神の頭脳』が付いているのですから」
自信満々にリタが言ったその瞬間――屋敷が揺れた。
「さすがはアンネローゼ様!」と泣き崩れる人々。
拍手喝采の雨嵐。
狂乱する使用人。
なぜか、包丁を振り回すコック。
そんな中、アンネローゼだけはついていけずに、ただ一人周囲にドン引きしていた。
「うん、何が」
皮肉なことに夜風だけは気持ちよかった。
そろそろアンネローゼ様には働いていただきます。