5.お気楽令嬢は、理想のスローライフ教育に勤しむ
「さあ、一緒にお勉強を始めましょう」
アンネローゼは基本的に他人に勉強を教えるのが得意ではないが、精いっぱいの笑顔を作り、テオドールに微笑みかけた。
「今日は、スローライッ……じゃなくて、世界の地理と自然について勉強しましょうか」
テオドールがアンネローゼの元に来てから、およそ2週間が経とうとしていた。
(うわ~どうしよ)
いや、盛大に困った、というのがアンネローゼの嘘偽りなき本音である。
だって、こっちは将来のスローライフに役立つための労働力が欲しくて従者を頼んだのに、現れたのは金髪のもやしっぽい少年である。
アンネローゼは、ダーヴィトとかいう男の評価を本人のいないところで、思いっきり下げておいた。
だが困るのは、テオドール君の処遇である。
悲しいかな。
彼は結構やる気があるタイプようで、
「アンネローゼ様! 僕もご一緒に食事していいですか」などと結構グイグイ来る。
あと、なんか距離も近いし。
こんな少年をどうスローライフに活かせ、というのだろうか。
アンネローゼは屋敷の中でテオドール君を見るたびに頭を抱えた。
と、まあここで、諦めてしまうのは凡人だ。
――このアンネローゼを舐めないでいただこう。
そもそも、こちらは、婚約破棄後に賠償金をもらってぬくぬく余生を過ごそうと思っていたら、気が付けば国は崩壊しかけてるわ、他国のやけに押しが強いイケメンに婚約を申し込まれるわ、という人生山あり谷ありを地で行くような人生を送っている真っ最中なのだ。
今更、雇ってみた部下が使えなさそうだから、という理由で放り出すほど、このアンネローゼは甘くない。
アンネローゼは思った。
――もやしボーイが頼りないなら、マッチョに変身させればいいじゃない、と。
こうして、アンネローゼの"少年育成計画"が始まった。
そういうわけで、現在、アンネローゼは自分の時間を割いてテオドール君に勉強を教えていた。
「経済や投資は勉強してる? きっとあなたのためになるから」
嘘である。
アンネローゼは、しこたま勉強させて、スローライフの資金源をテオドール君に増やさせようとしていた。。
「世界の地理や、自然の勉強は面白いでしょう? きっと、あなたのためになるから」
嘘である。
アンネローゼは、スローライフを送るのにいい感じの場所をテオドール君に見つけてもらう気満々であった。
「サバイバルの技術も多少、知っておいた方がいいし、運動もしましょう。男の子なんだから、きっとあなたのためになるから」
もちろん体を鍛え、いい感じのマッチョにするためである。
「勉強っていいわよね?」とアンネローゼはテオドールに笑いかける。
もっとも勉強といっても、一般的に従者に施されるマナー教育などではなく、お金の勘定や世界の地理、植物など、完全に「将来のスローライフ」に役立てるための、アンネローゼの趣味満載のラインナップであったが、アンネローゼは、スローライフに心を奪われすぎて、自分の勉強計画のズレっぷりに気が付くこともなかった。
「この……女は……」
ぎりぎりと、一瞬、テオドールは顔をゆがめた。
「ん? どうしたの?」
次の瞬間には、「あ、いえ、嬉しいです! ありがとうございます」と満面の笑みになっていたのでアンネローゼは見間違いだろう、と気にしなかった。
「うんうん、スローライフ適性はありそうね……」
「なにか、おっしゃいましたか?」
子犬か何かのような顔で見上げてくるテオドール君。
「い、いいえ何も!」
焦りながら否定するアンネローゼだったが、着実にスローライフに近づいている、と自信満々なアンネローゼは気が付かなかった。
――テオドールの敵愾心に満ちた目に。
最後まで一切、気が付くことができなかったのである。
*****
数日後。
珍しく、テオドールが用事で外出していて、暇を持て余していたアンネローゼは、リタに話があると呼ばれていた。
言いづらそうな様子のリタが、居間にいた。
「なにかあったの? こんな急にこんな改まって呼び出しなんて」
「お嬢様……」
いつも明るいはずのリタの顔色が優れない。
「非常に申し上げにくいのですが……」
なんだろう。
最近は従者育成計画も固まってきてだいぶ、調子がいいのだが……。
覚悟を決めたように、リタは続けた。
「あの従者をクビにしましょう」
「へ????」