1.お気楽令嬢は、婚約破棄にほくそ笑む
「アンネローゼ・フォン・ペリュグリット!! 貴様との婚約を破棄させてもらおう!!」
そう高らかに宣言したのは、王太子のベルゼ様である。
「本気……なのですか? 私との婚約を破棄なさる……と」
王子から直接名指しされたアンネローゼは、心底苦しそうな声でつぶやいた。
「あぁ、もう貴様の虚言には付き合いきれん!
何より、貴様が位の下の人間相手に悪行を尽くしていると聞いている!」
そう言ったベルゼ王子は、横にいた令嬢を庇うようにアンネローゼと対峙した。
心細そうに王子の袖を掴むのは、ピンクブロンドの髪が眩しい小動物のような令嬢。
「ベルゼ様……、私怖いです……あの人に何かされたら……」
「大丈夫だよ、メアリー。何があっても私が守ってあげるからね……」
メアリー嬢は、王子の後ろからアンネローゼに向かってちらちらと視線を送る。その目に浮かぶのは、明らかな優越感。
周りも当然呆気にとられている。今日の夜会は、遠くの国から来賓の方が来るということで、国を挙げての一大行事である。そんな中、アンネローゼの婚約者はとんでもない爆弾を投下してくれた、というわけだ。
アンネローゼは俯いて、何も言えずにいた。
悲しいからではない。というよりむしろ真逆である。
アンネローゼは、湧き上がる喜びを抑えるのに必死だった。
アンネローゼは周りに見えない角度で、思いっきりほくそ笑んだ。
王子たちが何事か喚き立てているが、それすらどうでもいい。
なぜなら、アンネローゼこそ、これを待ち望んでいたから。アンネローゼにとっても、待ちに待った婚約破棄なのだ。
「……ウヒ」
おっと、思わず変な笑いが零れそうになってしまった。
苦節十七年……この時を今か今かと待ち望んでいたのだから……!!
昔から、アンネローゼは貴族らしからぬ性格だった。というか、小市民的マインドの持ち主として生まれた。
同い年の令嬢と集まると、小さい頃から、みんな「位の高い男性と結婚したい」だの、「贅沢な暮らしをしたい」だのほざいていたが、アンネローゼはそんな生活大反対だった。
だって考えてもみてほしい。
例えば、位の高い男性と結婚して、豪勢な暮らしを送ったとしよう。
半端なくストレスが溜まりそうではないか。
綺麗なドレスを着るためには、コルセットでお腹をギュウギュウに圧縮したりといった涙ぐましい努力があるのだ。
だったら、家で部屋着でゴロゴロしていた方がよっぽど気が楽というものである。
例えば、貴族のお茶会だってそうだ。
まー、面倒くさい。絶対に面倒くさい。マナーだのなんだの、それに加え、他人の噂話。
家で一人でお菓子をむさぼり食う方がよっぽど幸せである。
そう。ここにきてアンネローゼは理解した。自分が本当になすべきことを。
自分が本当にやるべきは、辺境の地で大自然に囲まれたスローライフ以外に他はない、とアンネローゼは固く信じるようになったのである。
そうこうして、周りのノリから完全に浮いていたアンネローゼだったが、ひとつだけ大きな、大きな問題があった。
―――アンネローゼには婚約者がいたのだ。それも、王族というめちゃくちゃ位の高い婚約者。
アンネローゼの家は木っ端な小さい貴族で、ふつうそんな家系が王家と婚約を結ぶことなんてあり得ない。
両親に聞けば、なんとアンネローゼの父、フィルマンが賢王と謳われた先代国王と仲が良かったらしく、有無を言わさず、アンネローゼが生まれる前から婚約が決まっていたのだ。
その事実を知ったとき、アンネローゼは泣いた。泣きに泣きまくった。
何が悲しくて、王族という最強に疲れそうな家系に嫁がなきゃいけないのか。
周りは泣き喚くアンネローゼを見て、「あらら、アンネも感動しているわ」なんて世迷い言をほざいていたが、アンネローゼの心中は複雑だった。
ただ、アンネローゼの良いところは、困難でもめげないことだ。
アンネは楽観的に考えていた。まあ王子といえど、めちゃくちゃ嫌なやつというわけでもないだろう、と。
いい感じに交渉して、のんびり過ごせるような環境を整えてほしいな〜と気楽に考えていた。
ところが、である。
神はいなかった。
アンネローゼの婚約者であるベルゼ王子は、まごうことなきクソ野郎であった。近年稀に見る天然記念物並のクソ野郎である。
初対面のアンネに対し、「けっ、こんな地味そうな女と結婚しなきゃいけないのかよ」と抜かしやがった。
こちらのセリフを取らないでいただきたい、とアンネローゼは心底思った。
そもそも、アンネローゼだって一応の王妃教育は受けている。アンネが三度の飯より嫌いなマナーだの礼儀だのを必死に覚えているのだ。つまり、それなりにアンネローゼだって王子に歩み寄ろうとしていた。
その矢先にこれである。
しかも先代国王が亡くなってからは一層バカ――
失敬。こう見えてアンネローゼは、ちゃんと后教育を履修しているので、汚いことばを使ったりはしないのだ。
間抜け、トンチキ王子の行動はさらに酷くなった。
アンネローゼを放って女遊びを優先させまくり、極たまに会ったときだって、アンネローゼが気を遣って話しかけても答えず。
こいつは耳の機能が失われているのか?とアンネローゼは本気で心配になったものだ。
お互いが貴族の学院に入ってからは、間抜け王子の女遊びは、いよいよ最高点に到達した。勉強をサボり、自分の周りをイエスしか言わない側近で固める。
アンネローゼはベルゼの女遊びを友達に報告されるたびに、
「いいのよ。私に魅力が無いのが悪いんだから……もっと努力したらきっとあの人も振り向いてくれるはず……ぐすん」といい女風の演技をして楽しんでいた。
もちろん、陰では付き合う女の数を楽しみにカウントしていた。
――そう。あれもこれも、全ては愛しい婚約破棄のため。
この八方塞がりの中で、婚約破棄こそがアンネローゼの考える一発逆転大ドリームであった。
常識的に考えて、アンネローゼの側から婚約破棄をすることはできない。実家にそんなパワーはないし、第一、王家に握り潰されて終わりだろう。最悪、お家取り潰しかもしれない。
アンネローゼは貴族の位が無くなろうとなんとも思わないが、流石に両親が可哀想だ。
ということでこっち側からの婚約破棄はパス。
そう。こっち側から申し込まなきゃいいだけの話なのだ。
つまり、相手側から言わせておけばいい。
たしかに、婚約破棄をされた令嬢なんて、社交界では噂の的で、次の婚約もそうそう決まらないだろう。まあ、でもアンネローゼの理想の田舎スローライフを過ごすには問題ない。そもそも、社交界を離れられればいいのである。
その代わりに、アンネローゼは慰謝料をもらえる。
この気まずい婚約を破談にして、さらに慰謝料をたんまりもらって、スローライフの元手にする。これこそ、天才の発想である。
だからこそ、アンネローゼはここまで被害者ポジションを取り続けたのだ。どんな仕打ちを受けてもただニコニコして、口答えもしない。これだけ都合のいい婚約者も、そうそういやしないだろう。
王子に散々な対応をされても、全くもって余裕だった。なぜならアンネローゼの目には、王子がもはや慰謝料をくれる、ちょっと性格がアレな人くらいのノリで見えていた。
王子に無視されようと、浮気されようとアンネローゼのライフにはノーダメージなのである。
そうこうしているうちにアンネローゼは、気になる噂を聞いた。
王子が平民上がりの令嬢にご執心らしい。
ヘェ~、またいつものことか、と噂を聞いたときに、アンネローゼは思った。
しかし、どうやら今回は様子が違った。
その平民上がりの令嬢は、ピンクブロンドの髪をなびかせ、男心を操る天才だという。その子の魅力に完全に靡いた王子は、それ見たことかとばかりに、張り切ってアンネローゼの噂を流しているらしい。
つまらない女、だとか、なんだとか。
さらに、そのメアリー嬢とやらも、アンネローゼが派閥を組んで、自分をイジメていると言いふらしているらしい。
残念だけど、アンネローゼにそんな派閥を作れるほどの人望はない。
噂をばらまくにしたって、もうちょっと信ぴょう性のある噂を流して欲しいものだ。
というわけで、場面はパーティー会場へと戻る。
アンネローゼはまたもやほくそ笑んだ。
眼前の二人がお互いに身体を密着させながら、アンネローゼを糾弾している。
よくもまあそんな口が続くものである。アンネローゼは感心した。というか王子、耳聞こえてるじゃないか。
もう30分近く、アンネローゼは言われっぱなしである。もはや二人は、この場でキスをせんばかりの表情を浮かべて、お互いの名前を呼び合っている。
――いよっ、ひゅーひゅー。
なんかもう暇になってきたので、アンネローゼは二人が甘い表情でお互いを見つめ、「真実の愛が~」などとほざくたびに、心の中で野次を入れていた。
だいたい真実の愛ってなんだよ、と思う。
真実は、田舎のスローライフでこそ見つかるものである。アンネローゼはそう固く信じている。
とはいえ、流石に合の手を入れるのにも飽きてきた。
え、どうしよう。そろそろ泣きながらダッシュでお家に帰ったほうがいいかな。
それとも、もうちょっといた方が慰謝料が倍増されるかしら、とアンネローゼが俯きがちに、将来の金勘定に夢中になっていたとき、突如として
「もうたくさんだ!!!!」という絶叫が聞こえた。